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城友さんとさすらう能登城郭漂流記その② 七尾城・後半編

能登 七尾城 (石川県七尾市古城町・城山) <国指定史跡>
<城友さんとゆる~く行く能登の城めぐり 七尾城編・後半>

前半は七尾城の二ノ丸と三ノ丸を中心に見学した様子です。
後半の本稿では、いよいよ本丸方面へと向かっていきます。
ここでお断りしておきますが、ほんの一部に過ぎない見学ルートです。

七尾城は多数の屋敷地等が合わさった壮大な大規模城郭です。
「詰め城」の類を逸脱して、「山上巨大城郭都市」、といった表現がお似合い。
時間と体力を考慮した計画で見学するといいと思います。

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遊佐屋敷まで戻ってドキドキの本丸方面へと向かいます。

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本丸の外桝形。

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・・たまらない。

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・・ノーコメントで。

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一段ずつ噛みしめるように登る日向さんです。

その後ろ姿、城好きを隠し立てできない歩みぶり。
何かを感じとりながら、味わいながらゆっくり辿っています。
「大人の階段」とは、我々にとってはこういった所を指します。(意味不明)

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4段郭の様子が伝わるかな、と思いまして。・・楽しい位置です。

notonana (39)見下ろされているような七尾城の大石碑。ぎゃ、・・逆光だ・・。

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本丸の大土塁は大樹とのマッチングがお似合いです。

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本丸からは七尾市街と七尾湾が本当に美しかったです。

notonana (40)謙信公も愛でた、とされる絶景に往時を感じますね。

notonana (46)振り返れば、城山神社が鎮座する高台、天守台のようにも見えます。

そこは、花が咲き、蝶が舞う、光溢れる場所でした。 

また一つ日向さんとの記憶に残る場所がありました。

いつまでもここ七尾城の姿と景観が残されますように。

七尾城探索後、麓の七尾城史史料館で展示物などを見学、100名城スタンプを押しました。
セットで拝観した懐古館のおじちゃん、面白かったな。
城友さんとゆる~く行く能登の城めぐり、七尾城編、終わります。
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城友さんとさすらう能登城郭漂流記その①・七尾城・前半編

能登 七尾城 (石川県七尾市古城町・城山) <国指定史跡>
<城友さんとゆる~く行く能登の城めぐり 七尾城編・前半>

ゴールデンウィークも終わって日常が戻ってきた世の中です。
そんな中、城友さんの日向さんと能登方面の城めぐりをしてきました。
少し遅れのG.W、私たちはまだ終わっていません、・・さて、今回のテーマは・・。

能登七尾城と能登守獲得日帰り弾丸ドライブ』です。

毎回ごとに互いの車を出し合うのが通例です。
今回は日向さんのほうの愛車・ジムニーにて24時間耐久城めぐりにチャレンジ。
・・といっても眠たくなったら仮眠する、絶対に無理はしない、というのが約束です。
(当たり前なんですけどね)

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日向さんのクルーザーにて海岸から攻め立てます!

しかしながら、城の事になると無理はせずともついつい無茶をしてしまいがち・・。
ま、振り返ってみれば、それも時として楽しい思い出になるもの。
忙しい中、お互い予定を合わせ、天気も快晴、絶好の城日和(珍しく)に感謝です!

先ずは早朝の千里浜なぎさドライブウェイにて砂浜を爽快にドライブしました。
ここは日本で唯一、車で走ることのできる砂浜です。
千里浜の砂はきめ細かく、海水を含んで引き締まっているため車の走行が可能なんです。

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波打ち際のカモメたちや地平線を見ながらの開放感が楽し!。

さて、海岸からいきなりですが、七尾城に到着しました。
七尾城に続く林道は土砂復旧工事のためまさかの通行行止め・・。
麓から大きく迂回しての予定外ルートになりました。

notonana (53)本丸駐車場での鳥瞰イラストを転写させていただきます。
(以前からのイラスト図がリニューアル、リアル度が増してました)
案内板下のボックスにパンフレットが提供されていますし、きれいなトイレもあります。

戦国史上超有名クラスの山城ですので、もうあれこれ講釈は必要ないですね。
主郭部周辺をゆっくり歩き七尾城の凄さ、美しさ、素晴らしさを体感します。
見所はたくさんありますので、ついつい時を忘れてしまいそう・・。

notonana (130)調度丸からの段石垣はやっぱり実物は圧巻ですね。
・・こう、なんでしょうね、胸がキュンとするこのたまらない感覚は。

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能登守護・畠山氏が築いた全国でも屈指の名山城です。

山上から山麓までの自然地形を巧みに利用しています。
七尾の地名の由来となった七つの尾根筋に多数の曲輪を連ねる大要塞。
山麓には城下の町並みが形成され京風の能登畠山文化が華やぎました。

notonana (27)杉木立から漏れる光を浴び、蒼く浮かび上がっていました。
その迫力に押されて思わずのけぞる感じを受けます。(否、ただの下り坂に足を取られただけ)

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お楽しみの本丸は最後にして、二ノ丸方面へと向かいます。

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スナイパースタイルのワタクシ、久太郎です。(写真提供:日向さん)

サブ・ジェネレーターを搭載した大型ランドセルを装備しています。・・嘘です。
一眼レフカメラを持つと、デキ映えはともかく、「撮っている」感がでてしまいます。
スタンスを広げ、膝を軽く曲げてキープ、安定感を確保したら、あとは狙撃です(笑)。

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温井屋敷~二ノ丸へと見学していきます。

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温井屋敷の九尺石はまるで古墳石棺のような内桝形虎口で、デカい。

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二の丸・三ノ丸間の堀切。もはや山と山の間の谷といった感じです。

他にも本丸と長屋敷(「ながやしき」でなく「ちょうやしき」)間の堀切や、
長屋敷背後の大堀切等、とにかく幅が広く、そして深いです。
曲輪間には「木橋」でもあったのでしょうか?想像してしまいます。

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三ノ丸といっても侮ることできない広い規模の収納郭です。

ここから安寧寺郭、袴腰郭へと続きます。
時間の都合上、ここらでUターンします。
ちょっと長くなってしまいましたので、後半に続けたいと思います。

練習不足なのにフルマラソンって・・

黒部名水マラソン向けて

黒部名水マラソンまであと10日となりました。
・・というか、もう10日後に迫ってしまいました、という感じです。
令和になっての初フルマラソン、いいスタートを切りたかったのですが・・。

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練習不足もいいとこです。
仕事中の足の怪我(軽傷ですが)と仕事の多忙が重なりました。
それに加えて今年は町内会役員としての務めもあり、プチ用事が入ります。

しか~し、何を言っても所詮言い訳になります。
実際、大好きな城めぐりはちゃっかり行っているのですから・・。
・・あ・・、君はそれも走れなかった理由にしてしまうのか?(汗)。

という訳で今回は自己ベスト更新はおろか、ペース配分も何もあったものではありません。
なんとかゴールまで完走できれば良し、とせねばなりません。
「ファンランに徹する」、と言えば気持ちはラクになりますけど。

ええぃ、こうなったら、とことん楽しもう、と思います。
沿道からの声援、振舞われる充実のエイド、包まれる大自然、そして黒部の名水!
お腹たっぷんたぷんになってゴールしたいと思います。

その前に・・、怪我のないように、無理しないようにせねばいけませんからね。
それと・・、一緒に出走するラン友・Y吉さんの目障りにならないようにしないとね。
されど・・、このまま諦めません、10日間でできる調整はしっかりやりますよ!

令和元年5月26日午前9:00スタート号砲が待ち遠しいです!

近江 大溝城 🏯古城感ある天守台と周囲の雰囲気

近江 大溝城 (滋賀県高島市勝野) <市指定史跡>

朽木谷に向かう途中に高島市の大溝城に寄ってみました。
大溝城は現在、天守台遺構と内堀の一部が残っているだけです。
古城の雰囲気漂うノスタルジックな景観が何度来ても楽しませてくれます。

oomizozenntai.jpg水田となった内堀の中に浮かび上がる天守台の姿はまさに古城址。

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大溝城は高島総合病院の東側に本丸が築かれていました。

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南に二の丸、病院付近一帯に三の丸があったようです。ここから入っていきます。

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周囲は一部、内堀が残っていて野性的な雰囲気が残ります。

oomizoj (4)天守台手前に大溝城の石碑と案内板。

大溝城は天正6年(1578)織田信澄によって築かれました。
織田信澄織田信長の実弟・信勝の子です。津田信澄とも称し、信長の信任厚い甥でありました。
「一段の逸物也」と評され、織田遊撃軍のなかにあって優れた司令官でもあったようです。

謀反を企んだ弟・信勝の遺児であったにも拘わらず、その待遇は格別に厚かったようです。
一門衆の序列は第5位であり、破格の待遇であったことは間違いありません。
(信長の嫡子である信忠、信雄、信孝、弟の信包に次ぐ立場になります)

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織田信長浅井長政を滅ぼした後、高島郡に磯野員昌を入部させます。
信澄はこの員昌の養子となりましたが、天正6年(1578)、員昌は信長の勘気を被って突如の放逐。
員昌の所領は信澄が継ぎました。

天正10年(1582)、本能寺の変の際、信澄は四国征伐軍の副将として織田信孝に従い大坂にいました。
しかし、信澄の正妻が明智光秀の娘であったことから内通を疑われます。
そして、疑心暗鬼となった信孝・丹羽長秀に急襲され討たれてしまいました。

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苔むした石垣がたまりません。

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天守台へと続く石段も遺跡チックです。

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東側から見た天守台。

oomizoj (10)荒廃感の中にも圧倒させる迫力がある大溝城・天守台です。

角部には巨石が宛がわれていてその大きさに驚きます。
荒々しい算木積がとても迫力に満ちています。
近江でありながら、穴太積とはまた一味違っているような感を受けます。

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天守台に登ってみました。

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天守内部は二段になっています。

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なかなか無骨っぽくて目が離せません・・。

戦国の天守台、というのにふさわしいこの石積。
個人的には伊勢・神戸城の天守台に似ているな~と感じました。
伊勢・神戸城は同じ一族・織田(神戸)信孝の居城です。
ほぼ同地位の従弟・神戸信孝と同規模城郭の築城が許可されていた、とも考えられますかね?

実際の信澄は信長の厚遇に応えて忠義を尽くしており、有能な武将でした。
謀反に荷担した様子はなく、光秀に助力しようとした素振りも窺えません。
一方、『耶蘇会報』では信澄を「甚だしく勇敢だが惨酷」とも評していました。

信澄はおそらく信長気質に似た人物で、そこを信長自身もかっていたものと思われます。

さて、大溝城の周囲を飛び回っている間、家族のみんなはこちらで散策してました
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『万葉集』の歌の中にも「香取の海」として登場する乙女ヶ池です。

変則的な木橋がとても新鮮で面白く、雄大で美しい池でした。
天平宝字8年(794)に勃発した藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱の戦闘場所としても知られます。
大溝城にとっては外郭の堀として利用されたともいわれています。

ご家族で大溝城を訪れる際は、ここを散策コースとして組み込むといいと思います。
開放的な雰囲気の中で清々しい水辺の散歩が楽しめますヨ。
周囲の雰囲気も含めて、てくてく散歩できる長閑な大溝城でした。

近江 西山城 🏯朽木谷を監視する山上の詰め城

近江 西山城 (滋賀県高島市朽木荒川・西山)

令和元号になり、世間はいきなりのゴールデンウィーク10連休です。
自分は仕事上、さすがにそこまでの連休は頂けません。
しかしながら仕事一辺倒、というわけでもありませんでした。

家族と一泊二日で滋賀県へ旅行におでかけすることができました。
登山と温泉、テニスをしたり、朝一市場や観光ドライブを楽しみました。
この日のため、予定を合わせてくれた家族のみんなには本当に感謝です。

さて、宿での目覚め一発目は早朝山城ランニングから始まります。
午前5時、まだ寝ている家族を起こさないようにそぉ~と宿舎を出発。
日の出と共に、お父さんの贅沢タイムは始まります。

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デジカメだけを持っての山城朝トレランは心躍るものがあります。

今回は宿から近くの朽木城の詰め城、西山城を訪ねます。

ouminisiyama (20)中央のなだらかな山・西山の山頂奥に主郭部をもつ西山城です。

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南の麓から案内板に沿って登山道をひたすら登ります。

登り口には2,3台の駐車スペースが用意されていました。
適所に城への案内札もあるのですが、整備中断状態と思われる林道が酷かった・・。
行く手を遮る伐採されたまま横たわる倒木の連続・・、

これでは大半の人は途中で登城を諦めざるを得ないでしょう。
事情はわかりませんが、この様な道なら無い方がまだマシだと思います。
敢えて写真は掲載しませんが、何とかして欲しいものです。

ouminisiyama (6)主郭部下の案内説明版はイラスト図面が解りやすいです。

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先ずは桝形虎口を通過して本郭へと進みます。

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周囲を土塁に囲まれた広い本郭に到着です。

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高さはそれほどでもないですが、均等の高さで囲われて、見た目美しいです。

ouminisiyama (8)本郭の北部分は「烽火台」と伝わる遺構が現存しています。

一段高くなって周囲をコの字型の土塁で囲ってあります。
この土塁は意識的に高くしてあり、厚みもあります。
西山城の役目を表す注目すべき遺構といえるでしょう。

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烽火台の直下は急斜面となり北郭が見おろせます。

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北郭内部には石で組まれた「溜枡」と呼ばれる遺構がありますが、何でしょう?

虎口の一種でしょうか?すみません、勉強不足です。

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北郭から烽火台部分を外側から見上げてみます。・・なるほど、烽火台に見えます。

ouminisiyama (12)北郭の北斜面は深い堀切と竪堀として下に延びています。

ouminisiyama (13)堀切は2条を重ねてある二重堀切となっています。

急斜面を利用して作事されているので非常に遮断力の強い堀切です。
掴む木がない状態でしたらまず登れないほどの角度が出ています。
しかも両端は竪堀となっているので回り込むこともできない・・。

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こちらは南郭の尾根に備えた堀切。同様に斜面+竪堀のセットが効いています。

ouminisiyama (9)西山城の縄張り図。(現地の案内板より転載いたします)

朽木氏は岩神館から朽木陣屋(朽木城)へ根古屋を移し、その背後の西山山頂に詰城を築きました。
西山の山頂付近は比較的緩やかな地形となっており、主郭部の南側と北側にもピークがあります。
それぞれのピークにも削平された出丸の痕跡があります。

朽木谷につながる街道をすべて一括して監視できる好条件の位置にある、といえます。
緩やかな山頂付近の地形を堀切を利用して堅固な城郭に成し得ているのが特徴です。
規模の大きな烽火台は狼煙台としての役目も大きかった事を示しているようでした。

さて、城ランを終え、宿に帰っての朝風呂は最高の気持ち良さ!
家族と身支度を整えて、人一倍の朝食にありつきます。
「朝からなんでそんなに食べれるん?」と怪訝そうな視線も気にしません。

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この日は朽木方面から蛇谷ヶ峰(標高901M)へ家族と一緒に登りました。
頂上から見る琵琶湖の湖面と朽木谷の山々がとても素晴らしい美しさでした。
こうして家族で山登りできることはこの先もう何度もないでしょう・・。

ドンドン先へ先へといってしまう相変わらずの三男。
遅いメンバーを要所要所で待っててくれる次男。
常に奥方のペースに合わせて歩んでくれる長男。

(みんな成長したな・・)
しみじみといろいろな想いを噛み締めながらの山行きでした。
そして素晴らしい山上狼煙城郭の西山城でした。

遠江 鯉山砦 🏯千頭峯城・南方面の支城

遠江 鯉山砦 (静岡県浜松市北区三ヶ日町三ヶ日・鯉山)

前回、千頭峯城の記事で少しだけ触れた鯉山砦にも登ってみました。
「砦」といっても登ってみると、意外としっかりとした遺構が残っている例はよくあります。
そんな期待感が自分の城めぐりの原動力なのかもしれません。

さて、千頭峯城は東三河に繋がる本坂峠と宇利峠を押さえる要衝、中継地として絶好です。
しかし、唯一の欠点を挙げるとするならば、浜名湖沿いにありながら、その湖面を直視できない、
という点が惜しまれる城郭だと思います。

その視界を立ち塞ぐのが、千頭峯城の南に位置する鯉山。
当然、浜名湖方面からの情報はこの鯉山を介して受け取ることになります。
ここに砦が築かれた理由はやはりあるんですね。

それでは見ていきたいと思います。

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東名高速道路付近から見上げる鯉山砦。

千頭峯城からの距離は直線でおよそ900メートル。
何か事が起きて、千頭峯城まで駆け走っても5分で行ける距離です。
・・あ、これトレラン経験者は語る、って感じです。

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非常にわかりにくい所に案内板があります。

千頭峯城からなら「オレンジロード」という道から入るといいと思います。
名前はお洒落ですが、実はみかん畑管理の農免道路、といったところでしょうか。
にしても、なかなかいい道ですよ。

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このプレートが目印ですが、本当に目立たない!

近くの待避所に車を停めていきました。
車道脇、山腹のこの案内プレートを探すのが第一関門です。
思いつきで気分のまま、目ぼしい斜面から登ってみる、というのもアリかと思います。

まさに「気まぐれオレンジロード」といったことろでしょうか・・。
(これが言いたかっただけ)

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ブッシュを掻き分け進むと、幅はあっても浅い堀切が現われます。

付近には切通りと思われる峠道を掘り切った遺構もあります。
よってこれが城の遺構なのかどうかは疑わしいかもしれません。
図面には現況遺構、として記録だけしておきました。(文末に図面あります)

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鯉山砦の主郭部に到着します。

尾根伝いに西へ向かうと一段高くなった本曲輪が現れます。
単郭の本曲輪ですが、周囲を帯曲輪がとりまいています。
切岸はあまりかけられていません。

koiyama (3)本曲輪の南面には部分的に土塁が確認できます。

虎口を兼ねていたものか、中央部分が途切れている土塁です。
かつては本曲輪全周を巡っていたのか不明ですが、他の箇所には見当たりません。
北側には一応片堀切らしき遺構も存在しますが、遮断性はほぼありません。

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帯曲輪にも外周に沿って数ヶ所の土塁痕跡があります。

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この窪み、果たして烽火台の址なのでしょうか??

本曲輪の西側斜面には円形状に掘り込まれた窪みが見受けられます。
直径2~3mの凹みからして連絡用の烽火台なのではないか、と想像してしまいます。
こうして見ると砦は連絡・中継用の見張り台を目的としたのか、と思われます。

koiyama (9)砦近くからは猪鼻湖と浜名湖の様子が眺望できます。

千頭峯城からは見ることができない様子をここからなら伝達できましょう。
本城山・尾奈城も確認できるので千頭峯城との懸け橋的存在です。
また東三河方面からの連絡も受けられる位置にある、といえます。

koiyamaz.jpg鯉山砦の現況図です。

この様に防御的には特に目立った遺構を持たない鯉山砦です。
しかし狼煙台・伝えの城、と限ってみれば立地的にも理解できます。
千頭峯城の南方面の「目」となった、と考えられるでしょう。

鯉山砦、ひょっとしたら、南北朝期からの遺構が部分的に残った姿、なのかもしれません。


Ⓢは千頭峯城、Ⓖは鯉山砦の主郭部を示します。
鯉山砦は南の林道に案内板がありますが、登山道は未整備です。

遠江 千頭峯城 🏯本坂峠と宇利峠を押さえる国境の要衝

遠江 千頭峯城 (静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶・センドウ山)<県指定史跡>

この春から次男が名古屋の大学に入学することになりました。
奥方の実家・静岡へご報告と休暇を兼ねての帰省です。
遠くからいつも孫たちの事を気にかけてくださる義父と義母には感謝ですね。

さて、今回は空いた時間(正確には空けた時間)をいただいて浜名湖沿いを北上。
千頭峯(せんとうがみね)城を久し振りに訪問してみました。(20年振りです)
この城は登りやすく、実に色々な遺構が残っていて見学しやすいのでおススメです。

senntou (31)やや雨模様時の千頭峯城、比較的なだらかな城山です。

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麓の摩訶耶寺から登るのが解りやすいでしょう。

東側の道路の千頭峯トンネルの南側の入口付近からも城専用の駐車場があります。
摩訶耶寺では素晴しい庭園も見学可能ですし(拝観有料)、城の大手にも相当します。
雰囲気を味わえるので自分はこちらから登りました。

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野地城の城門が山門に移築された、と伝わる高麗門をくぐります。

senntou (2) senntou (3)
寺の東脇の道から一応案内があり、ミカン畑へと進んでいきます。

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まっすぐ北へ登り上がれば主郭までつながっている登山道。

この道は本曲輪(主郭部)への最短ルートです。
しかし、途中に現われる幾つかの腰郭をぶった切って造られた後世のルートでしょう。
大手道は途中から西側を回り込むように延びていたものと思われます。

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その大手を直下に押さえていたと思われる南曲輪の土塁。

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背後と直下には大規模な竪堀が用意されていました。

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そのまま急斜面を登り切れば本曲輪に到着します。

南曲輪から西曲輪へは連絡ルートがありますので、こちらが本来の大手かもしれません。
そしてここから二の曲輪、本曲輪、と至ったのでしょう。
西曲輪も周囲を土塁で囲まれており、虎口が備わっています。

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西曲輪と二の曲輪間は深い堀切で画されています。

発掘調査では、遺物が西曲輪から二の曲輪一帯で多く出土したようです。
城内での生活空間がこの西側にあったと考えられています。
削平もしっかりかけられ、広い空間が集中していることからも窺えます。

senntou (15)二の曲輪から見上げる本曲輪の切岸。

二の曲輪は本曲輪を西から北、東へとぐるっと半周囲んでいます。
本曲輪との高低差も大きく、中央部の窪地によって2つの空間に分かれています。
本曲輪周囲にかけられたシャープな切岸を見学できるビュースポットでもあります。

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二の曲輪東から本曲輪へのルートが延びます。

上の写真を撮影した立ち位置にはかつて低い土塁跡が認められたようです。
現在はほぼ判別不可能なほどに自然消滅しています。
いよいよ正面の木段を登れば本曲輪。

senntou (22)土壇のある本曲輪に到着しました。

3月末日に訪れたにも関わらず既に散り始めている中央の山桜。
静岡県の春の訪れは結構早いんですね・・。
眺望は望めませんが、曲輪内はとても整備されていて長椅子も用意されてました。

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senntou (9)案内板には城歴案内と周辺城砦とのの関わりが示されています。

senntou (10)一帯は城郭網が形成されていたようです。

千頭峯城は中千頭峯砦、長岩砦、鯉山砦などの出丸・支城とで構成されています。
現在残る遺構は戦国時代の今川氏か、徳川氏による改修を受けている、という見方が妥当です。
南北朝時代の千頭峯城は東の中千頭峯砦に比定する考えもあります。
(中千頭峯砦も見学しましたが、現在みかん畑となって全壊状態でした)

senntou (11)高師兼によって攻められたという記録もあります。

千頭峯城は井伊道政が後醍醐天皇の皇子・宗良親王と供に籠もった三岳城・西方の支城でした。
井伊氏一族の奥山朝藤を守将として浜名神戸荘官県氏、大江氏などが籠もった城とされます。
戦国期の記録がよく残っていないのが残念ですが、徳川氏との関りが注目されます。

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東尾根には東曲輪が続きます。

かつては曲輪内を2条の堀切が存在したようです。
内側の堀切は開墾によって全壊、しかし痕跡はなんとなく感じられます。
以前の縄張り図にはそれが示されていて貴重です。

その事実を知らずに現地を訪ねると、「どこにそんな堀切があるんだ(怒)!」
と何度も縄張り図を見比べてしまうことになります。
そういった断り書きを加えた「縄張り現況図」といのも必要な昨今かな、と思いましたね。

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東曲輪の北側には井戸曲輪があります。

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直径で3メートルほどの素掘り井戸、斜面なのによく掘ったものです。

千頭峯城の記録は南北朝時代のものですが現在の遺構は明らかな戦国期遺構。
一部消失した堀切や土塁はあるものの、全体的にはよく残っている遺構群だと思います。
要の部分には土塁や堀切、竪堀を備え、削り込んだ箇所も見られました。

今回はじっくりと作図をしながらの見学でしたので「現況図」として参考になれば幸いです
senntougaminez.jpg

千頭峯城は遠江と三河の国境近くに位置しています。
東三河方面から往来できる本坂峠と宇利峠を同時に監視できる要衝といえましょう。
そして同時に浜松や二俣にかけての中継地点としても重要視されていました。

それぞれの峠方面に向かって西曲輪と南曲輪が受け持つが如く展開しているような・・、
そんな感じを受ける縄張りです。
おそらく南に位置する本城山・尾奈城とも関りが深い城郭なのではないでしょうか。

senntou (26)
中腹の開けた場所から鯉山砦が確認できます。

千頭峯城の支城網の中では遺構がよく残っています。(支城を全てを見てないですが・・)
鯉山砦にも根性で行ってきましたので後日記事にしたいと思っております。
出丸、支城、という表現がピッタリな感じの砦でした。

・・それにしても、

奥方の実家に帰っておりながら相変わらずやってることはなんら変わりません。
これだけは決してブレることがないようなので、今後ともよろしくお願いいたします・・。
・・って今更何言ってんだか・・(冷汗)


Ⓢは摩訶耶寺の駐車場をお借りしました。
Ⓖは千頭峯城の本曲輪。

摂津 榎並城 🏯三好三人衆の一人・三好政勝の史跡

摂津 榎並城 (大阪府大阪市城東区野江)

桜も散る行く頃、長男の用事で急遽、家族で日帰りで大阪へ行くことになりました。
ガイダンスの保護者向け説明会に参加、というものです。
都会の道路事情には不慣れこの上なく、悲鳴をあげながらの運転です。

ガイダンス終了後、そのままとんぼ返りもなんなので・・。
少しの観光と少しの城址めぐりをしてきました。
あべのハルカスに登り、榎並城跡に寄って行く・・。

相変わらず超メジャー所と超マイナー所スポットの組み合わせです。
「やっぱりお城が入ってくるのね」というわかりきった空気。
自然にこういう方向にもっていくのが我が家のパターンになりつつあります。

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城郭の一部ではないかと推定されている榎並小学校に到着。

enamij (1)校門の傍らには石碑があります。

天文17年(1548)三好長慶細川晴元が対立すると三好政長・政勝父子は晴元方として長慶と対峙。
政勝が籠もる榎並城は三好長慶に包囲され、これを支援しようとした政長は討死します。
父の敗死を聞いた政勝は榎並城を棄てて瓦林城へ逃れます。

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周辺には全く城郭の面影は残っていません。

enamij (3)「小さいながら東成郡随一の要衝」、という想像しにくい表現・・。

榎並城は戦国期に三好政長三好政勝親子によって強固な城郭が築かれたようです。
後に本願寺勢力の出城にも再利用されたようなので、それなりの規模だったのでしょう。
石山合戦における「野江城」というのがそれにあたります。

enamij (6)
すぐ隣には野江水神社があります。

この地は度々大きな水害に悩まされており、榎並城築城中にも水害に遭いました。
それを鎮めるために三好政長が守護神として城内に社を建てたのが始まりと言われています。
この野江水神社を含めた部分と学校一帯が城郭であったと推察されています。

長男:「お父さん、今日は急なお願いだったのに、ありがとね!」
自分:「いやいや、お互い収穫のある一日だったな~」
長男:「ハハッ(苦笑)・・、そりゃ、ようござんした・・」


Ⓖは榎並城城址碑の場所です。近隣に駐車場はありません
(野江水神社に参拝者用の駐車場が1,2台あり)

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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