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摂津 兵庫城 🏯古代~平安朝からの港に恒興の構想を感じました

摂津 兵庫城 (兵庫県神戸市兵庫区中之島)

「暑さ寒さも彼岸まで」とはいいますが、やっぱりまだまだ暑いです。
「残暑でござんしょ」などと言おうものならヒャダルコのような視線が突き刺さり・・。
それでも胸を張って生きて行かねばならないマイ・ライフです。

さて、・・意外にも「何コレ❓」感で見ていただける今回の摂津の城紀行。
もう少し簡単にではございますがお続けしたいと思うのであります。
今回は花隈城の南近くにある兵庫城にも寄ってまいりました。

shyougo (4)新川運河プロムナード沿いに石碑と説明板があります。

天正8年(1580)池田恒興荒木村重の籠る花隈城を攻め落としました。
その功により信長より兵庫の地を得て花隈城に代わり築いたのが兵庫城です。
しかし2年後、恒興は美濃・大垣城へ転封となり、その後は羽柴秀吉の直轄地となります。

shyougo (3)
新川運河に当時の面影を想起します。

秀吉の直轄地となってからは片桐且元が代官として入城します。
明治時代には兵庫県庁が置かれ伊藤博文が初代知事となりました。
明治7年(1874)兵庫新川運河が作られたため兵庫城跡は跡形なく破壊されました。

shyougo (1)兵庫城に使われたと思われる石材で台が組まれています。

近年の発掘調査では天守台跡とみられる遺構も発見されました。
外堀と内堀が並ぶ「複郭構造」も確認され、堀の間に二の丸があった事も判明。
北側には山陽道が通り、海陸の集散地でもあり交通の要衝でもありました。

shyougo (2)
発掘調査の状況が詳しくまとめられた案内板。当時の規模が伝わります。

兵庫城が城として機能していたのは短い期間でした。
しかし恒興らは信長の天下布武、次の段階を見据えていたことは間違いないでしょう。
古くからの交易地に改めて着目した、と思われます。

shyougo (5)
清盛くんがお出迎え。・・ゆるいです。

兵庫港(現在は神戸港域の一画)は、古代から江戸時代まで良港として栄えました。
背後には平清盛が一時遷都した福原京もあります。
兵庫城は湊川の支流が縦横に走って天然の堀を形成し、前面に湊を持つ「海城」でした。

shyougo (10)
城址地の付近には清盛史跡もあります。ここは住吉神社です。

shyougo (6)あまり知られていない?平清盛公の像もあります。

shyougo (8)
琵琶塚も移設され安置されています。

琵琶と言えば「平家物語」ですが、平経正は琵琶の名手でした。
経正の所持していた琵琶「青山」は三種の神器同様に扱われるほどの稀代の名器でした。
弟の平敦盛も笛の名手として有名ですね・・、経盛ファミリーは芸ファミリーで・・。

・・と、話だしたらキリがないのであとは平家物語を読みましょうね。
(個人的には吉川英治さんの『新平家物語』が愛読書です)

兵庫城は現在の地表面には何も残っていません。
しかし、現地説明版から読み解くに巨大な海城の姿が浮かび上がります。
そこには池田恒興の信長に従い叶えるはずだった今後の展望も読みとれる気がするのでした。


Ⓢ地点には兵庫城の石材で組まれた石積と発掘の様子が写真案内されています。
Ⓖ地点には兵庫城の石碑と案内版が運河に向いて立っています。
レ点地点には清盛塚、琵琶塚、清盛像などが住吉神社内にあります。

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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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