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美濃 郡上久須見城 🏯未整形曲輪と三条の堀切が語りかけるもの

美濃 郡上久須見城 (岐阜県郡上市明宝大谷) <市指定史跡>

山の木々たちがいよいよ美しい色に変わる時期になってきました。
風情豊かな皆さんは紅葉穴場スポットなどにお出かけする事と思います。
そして城ファンの方々は山城穴場スポットへと向かわれていることでしょう。

今回訪れたのは紅葉で賑わっている郡上八幡!・・を通り抜けての旧明宝村。
明宝村といえば岐阜県民なら皆さんご存知の「明宝ハム」が有名ですね。
自分、子供の頃は「幻のハム」とされ、食卓に出された時は歓喜したものです。

現在は平成の大合併により郡上市に編入されました。
さて、そんな旧明宝村には指定史跡を受けている城が4城も存在します。
しかし、あまり知られていないようなので順次紹介していきたいと思います。

gkusumi (1)道の駅 明宝・磨墨の里公園から望む※郡上久須見城の城山。

※岐阜県美濃地方には恵那市にも久須見城が存在します。
 混同されることはないのですが、ここでは郡上久須見城の名で取り上げます。

gkusumi (2)
梶原景季と彼の愛馬・磨墨(するすみ)の銅像が目を引きます。

寿永3(1184)宇治川の戦いの先陣争いで活躍した梶原景季の愛馬・磨墨の故郷です。
名馬として知られその名のとおり色が黒く精悍な容姿だったそうです。
宇治川ではやはり名馬の誉れ高い池月(いけづき)に乗る佐々木高綱と先陣を争いました。

gkusumi (3)
林道で城山の麓近くまで行くことができます。給水施設が目印。

gkusumi (4)
獣除けフェンスと城址の案内説明版があります。

フェンスには留め金がかかっていますので外して入山します。
外した金具は帰りでも良いですので必ずかけ直していただきたいです。
こうして見学させていただくご厚意を大切にしましょう!

郡上久須見城の来歴や城主などはほぼ不明です。
和田仁兵衛という人物が城主であったともいわれています。
彼は永禄年間(1558~1570)この地の在地土豪ということで名があげられています。

gkusumi (6)
前触れなくいきなり現れる南大堀切に驚きました(゚△゚;ノ)ノ。

幅は約9メートル深さ4メートルの大きな堀切です。
南北に竪堀として延びており、中央には土橋も確認できます。
繋がる曲輪がなく、ホントに前触れナシといった感じです(サプライズ堀切)。

gkusumi (7)
上手から見下ろすとこの様に尾根筋がぱっくりと掘られています。

gkusumi (8)本丸に到着。図面案内板と石碑が!w( ̄o ̄)w

登山口フェンスに掲げられていた案内板とほぼ同じ内容です。
こちらの方が新しく最近になって立てられた感を受けます。
美濃の城の草分け的研究者・林春樹さんの縄張り図です。

gkusumi (9)

gkusumi (16)
かつて本丸に休憩施設があったそうですが今はこんな状態に。

gkusumi (18)
地球は丸いのです・・、ではなく曲輪内は軟傾斜をともなっています。

楕円形の曲輪ですが端部にいくにつれ軟傾斜を伴っています。
腰曲輪との境目が南面に向かうほど甘くなっていきます。
北の堀切連結部には土塁が設けられています。

本丸内には建物が存在したようで一段高くなった微高地があります。
しかし曲輪の端部は非常に不明瞭なもので実線で区画することができません。
本丸からして自然地形が残っている、といった状況です。

gkusumi (12)
本丸南側の腰曲輪と切岸。

腰曲輪を巡らすも切岸がいまひとつ不充分でメリハリがありません。
・・とても不思議な気分になります。
先程はあんな立派な堀切が出迎えてくれたのに・・。

gkusumi (14)
こちら北側の腰曲輪もほぼ同様に普請が曖昧です。

gkusumi (15)
城から北方面・二曲手集落を眺めます。

gkusumi (13)
南方面の大谷方面の眺め、それぞれ麓の様子はよく見えたのだと思います。

gkusumi (10)本丸北側の堀切です。

3条の堀切の内、本丸と北曲輪を分かつ中央の堀切です。
本丸より外側に向かってハノ字型に竪堀となって伸びます。
先程の南堀切同様、はっきりとした遮断性の強い堀切です。

gkusumi (11)
北側尾根続きにはさらにもう一条の堀切も確認できます。

gkusumi (17)細尾根を大きく遮断した3条目の堀切です。

いずれの堀切も明確かつ強い遮断性が感じ取られます。
それに対してその間に画された曲輪の普請はかなり手抜きな状態です。
これは一体どういうことでしょう?

考えられるのはこの城が築城途中のある段階で中断されたのでは?という見方。
また或いはある時期の短い期間にだけ機能した城郭ではなかったか?という見方。
いずれにせよ、急な軍事的状況の中で普請された急造の城郭、との解釈です。

改めて図面にて検討してみます

gkusumizu.jpgある程度整形してあるのは本丸北側の土塁・堀切連結部の周辺のみ。

郡上郡内にはこうした堀切だけはしっかりと残るのに内部の作普請はあま~い!。
そんな城郭が他にもあることは注目すべき点だと思われます。
尾壺山城(郡上八幡)、境城(郡上和良)、横井城(郡上和良)等の城です。

ただ見方を変えれば城を築城していく際、どこから普請にとりかかるのか?
どの部分を重要視するのか、そんな工事の流れを掴むこともできそうですね。
郡上久須見城の場合はやはり堅固な堀切からだった・・。そうゆうことでしょうか?

そんな当時の現場監督の気持ちも伝わってくるような城址でした。


レ点は郡上久須見城の位置を示します。
Ⓢは道の駅明宝。Ⓖは林道経由で行ける登山口を示します。
駐車場は給水施設がある場所の向かい側に3台程停められます。
くどいようですが、獣除けフェンスの戸締りは遵守してくださいね。

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美濃 妻木城 🏯圧巻の巨石群とメリハリある遺構を味わう(後編)

美濃 妻木城 (岐阜県土岐市妻木町上郷本城・城山) <県指定史跡>
<城友さんと巡る美濃山城訪問記・妻木城登城録・後編>

前回の記事の後半となります。
集中力も根気もない自分、極力前半・後半に分けない横着者なのですが・・。
妻木城はお伝えしたい見所がたくさんあって困ります(^_^;)。

三の曲輪(北曲輪)で妻木領内の展望を楽しんだあと、東周りで見学していきます。

samtto (44)
主郭部東を取り巻く武者走りを通ります。

非常に狭い道で下は断崖、最低限で最速の南北移動連絡路になっています。
幅は狭い所で50センチ程、これも立派な防御施設です。
我々も5人一列、つまずかないよう数珠繋ぎで歩いていきます。

「押すなよ、押すなよ・・」ダチョウ倶楽部さんのネタはここでは大変危険です。

samtto (43)主郭部東下、横堀部は古代神秘的な空間が広がっています。

関ケ原の戦いの時、西軍・岩村城方面からの攻撃に備えた普請部分です。
城を取り巻く東側から南側に横堀が作られたと考えられてます。
作事中に露出した巨石があちこちに残っている不思議な空間になっています。

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「節理」によって四角形のかたまりのように分かれた巨石。

マグマが地下で冷えて花崗岩になる時に全体が収縮して割れ目ができます。
これが「節理」と呼ばれる現象だそうです。
地表に現れた時に風化浸食によってこのようになります。

samtto (18)まるで人が積んだようにも見える自然の底知れぬパワーを感じます。

こうした自然の巨石群をうまく利用して導線を配しています。
土塁などを作らなくとも「巨石塁」として充分な防御施設となっています。
ここに立ち寄った見学者はその圧倒さに誰もが足を止めて見入ります。(多分・・)

samtto (42)
こちらは伝南曲輪と主郭部の間の堀切。

samtto (11)南方面から頂部の本曲輪に到着しました。

八幡神社、伝・旗立て岩・伝・物見杉、主郭部石垣などが残っています。
曲輪の端部は樹木が残され、中心部はとても見通しが効く曲輪です。
長野からいらしたていぴすさんも伝・物見杉の御前で感慨深げで嬉しい( ^ω^ )。

samtto (10)
伝・旗立て岩、これは石の割れ目に幟棒を挟みこんであげたのでしょうか??

samtto (47)
下の帯曲輪から見上げると、こんな巨石の伝・旗立て岩です。

samtto (12)主郭部本曲輪1・2を分ける石垣。

高さ約3メートルの石垣は妻木城の印象深い遺構部分です。
しかし石垣のほとんどは昭和40年代に積み直されたもの、との事。
元々、どのあたりまで残存していたのか大変興味深いところです。

samtto (15)
北口には桝形虎口の存在が発掘調査で明らかになりました。

samtto (13)
曲輪1・2間の東側には当時からあったとされるスロープ状の虎口が。

samtto (14)石垣をローアングルから。

発掘調査では曲輪1と2には建物の礎石が確認されています。
北側の桝形虎口にも門跡が確認されています。
山上の曲輪群にも櫓や城門などの建築物が作事されていたんですね。

さて、ここで主に戦国時代の妻木城城関連人物について軽くおさえておこうと思います。
押さえてきたい人物は3人で、だいぶ超特急ですが簡単にご紹介したいと思います。

妻木広忠
妻木広忠 (ひろただ)は妻木城城主にして明智光秀の家臣。
旗本妻木氏の系譜では、光秀の叔父とされている。
また、光秀の正室・煕子の父ともされるが典拠となる史料では不明です。

明智光秀の与力となり各地で転戦したようです。
本能寺の変の後、山崎の戦いで明智光秀が敗れ近江国坂本城が陥落。
西教寺で関係者一族の墓を作った後に、墓の前で自害したといいいます

妻木貞徳
妻木広忠の子で織田家中では信長の馬廻を務めていたそうです。
本能寺の変時、明智光秀とそれに味方した父・広忠が死亡すると隠居を表明。
若干18歳の長男頼忠に家督を譲りました。

しかし関ヶ原の戦いを前にして頼忠が徳川家康を支持した際は再び表舞台に登場。
子の頼忠と共に出馬して西軍の岩村方と戦い勝利に貢献しました。
故に諱よりも、隠居後に号した「伝入」の名で知られています。

妻木頼忠
父・貞徳の隠居後、妻木城主を継ぎますが、森長可による東濃平定戦に屈服。
人質として2人の弟らを金山城へ出仕させます。
小牧・長久手の戦いの際は森長可の与力として秀吉側につきます。

頼忠らは尾張と美濃の境目、内津峠に布陣し合戦の行方を見守ります。
この時、麓にある町や内津神社などが焼失したという記録があります。
長可戦死後は跡を付いだ森忠政に仕えますが後の忠政信濃川中島転封には同行しませんでした。

関ヶ原の戦の際には徳川家康側につき、頼忠はこの地域を守るよう命じられます。
父・貞徳と共に岩村城主の田丸直昌と戦い、遠山利景、小里光親ら東濃衆と協力します。
その戦功により頼忠は徳川家康から改めて土岐郡内7,500石を所領として与えられました。

しかし実は広忠と貞徳・頼忠との血縁関係は不明な点も多くはっきりとしていません。
これには光秀の謀反に関わった一族という負い目も関係しているとも思われます。
そして妻木城の城主としていられた陰には徳川家康による強い後押しもうかがわれます。

スキャン_20191124今回の記事で取り上げた見所を図面にてざっとおさらいいたします。

ここまで見学して次は麓の御殿・士屋敷を見学しに下山しました。

妻木城士屋敷(岐阜県土岐市妻木町上郷・御殿) <県指定史跡>

妻木城士屋敷は、妻木城の北側山麓にあった領主御殿や家臣屋敷の総称です。
江戸時代に入ってから妻木氏が断絶するまで山城の麓、ここが本政庁となりました。
北に向かって家臣屋敷地の区画も残っています。

samtto (31)
累々たる石垣が当時を物語っています。

samtto (37)山城と共にこちらも県の指定文化財に登録されています。

samtto (36)立派な説明文があると理解しやすいですね。

samtto (20)

samtto (21) samtto (34)
一部で崩落した石垣箇所も見られます。

samtto (33)
石段と桝形虎口。

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石垣の高さは1~2メートルで区画されています。

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各区画は広々とした政庁敷地となっています。

siyasiki (3)
井戸の址。

samtto (30)こういう感じ、遺跡感に満ち溢れています。

siyasiki (5)
巨石も結構ふんだんに使われています。

山城部でパワーを使い切った感じでしてコメント少なめでスミマセン💦
ここではクールダウン的にゆっくりと散策するのがおススメです。
やはり平和な時代の遺構、生活感のある空間が広がっています。

山城部ばかりに気をとられ、以前からあまり気にしていなかったエリアでした。
時間的にも限られ、もっとしっかり見学すればよかったと後悔しています。
でも自宅から近いのでまた立ち寄ってじっくり散策したいな、とも思っております。

他、こんなところにも行ってきました。

妻木 崇禅寺

初代妻木城主・土岐頼重が菩提寺として開山しました。
釈迦如来立像、夢窓国師筆果山条幅、等の文化財を多数所蔵しています。
山門は妻木城士屋敷から移築されたものであると伝わっています。

samtto (59)

samtto (60) samtto (61)

samtto (62)
寺奥には妻木城歴代城主の墓。

妻木 八幡神社

元応元年(1319)土岐頼貞が氏神として創建しました。
土岐頼貞の九男の土岐頼重が妻木城を築くと、妻木城の守護神とされます。
以後、妻木氏の氏神として保護されてきました。

siyasiki (1)

tumahati (1) tumahati (2)

こちらでの流鏑馬神事は特に有名です。

毎年10月第2日曜日の例祭に行われる流鏑馬。
妻木城主・妻木家頼が武運を祈り馬を奉納したことが始まりです。
馬の乗り手は地元の小学校高学年の子供たち6名で行います。

siyasiki (2)
当日は陣笠羽織姿で3回、古代衣装で3回の計6回参道の坂道(約130m)を駆け抜けます。

馬の乗り手から扇子や鞭が参拝者へ縁起物として向けて投げられます。
乗り手に選ばれた(または志願した)子供はこの時期人気者なんだそうです(笑)。
子供たちは馬に乗れるよう夏休みから猛特訓をしてのぞむそうですよ。

samtto (28)最後は妻木城・士屋敷の石碑を紹介いたします。

この石碑の位置はやや人目につかない所にあります。
妻木城士屋敷から妻木川に降りていく道の途中にひっそり佇んでいます。
「御城印よりも石碑!」という石碑フェチの皆さんは見落とされないようチェックです。

また近々、「小牧長久手合戦古戦場めぐり・番外編」を予定しております。
小牧長久手の戦いにおける妻木氏の動向に特化した記事です。
ろくでもない記事にならないように久太郎、流鏑馬キッズに負けない意欲で頑張ります!
(このモチベーションが維持できるかどうか自分でもとても疑わしい・・)


レ点は妻木城・士屋敷跡の石碑の位置を示します。

Ⓢは妻木城・士屋敷跡を訪問する際の駐車場です。
もちろん体力と時間に余裕がある方はここから城山への登山道に挑戦してください。
また今後駐車場の整地工事が更に進む予定なので安心して駐車できそうです。

Ⓖは士屋敷一帯の主な遺構部分です。
ちょっと奥まった隠れた場所などを散策してみると眼を見張るような遺構も出現してきます。

美濃 妻木城 🏯圧巻の巨石群とメリハリある遺構を味わう(前編)

美濃 妻木城 (岐阜県土岐市妻木町上郷本城・城山)
<城友さんと巡る美濃山城訪問記・妻木城登城録・前編>

秋深まりゆく中、「第26回全国山城サミット可児大会」に2日間出掛けてきました。
そこで待っていたのは「一期一会」ともいえる城友さんとブロ友さんたちとの出逢いでした。
お互いブログコメントを通してのやりとりはありましても、顔を合わせるのは今回初めて・・。

改めてご紹介いたしたいと思います。

長野県より『らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~』の管理人、城想い人 らんまるさん
らんまるさんと共に長野の山城を調査されてみえる、城追い人 ていぴすさん
以上、信濃先方(山猿)衆。

長崎県より身一つで来られたしんこうの趣味のブログ』の管理人、城駆け人 しんこうさん
そして自分をさらなる城ワールドの別次元へと導いていただく、城誘い人 日向さん
あと自分、城訪ね人(普通だな)の自分久太郎との5人が一堂に会しました。

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会場の可児市文化創造センター(写真左)と一段と目を引いた金山城復元模型(写真右)。

その中でもしんこうさんは仕事、家族、世間体?といった全てを捨てての一大決心だったようです。
「清水寺の舞台から飛び降りる」という言葉は大袈裟かもしれません。
しかし、我々からすると、「そこまでして」というその覚悟に感動し、救われるのでありました。

そしてらんまるさんご一行は来年の山城サミットの予定地・上田・坂城に向けての視察が主目的。
初日の終わりに壇上にて次回開催地としての開催宣言が声高らかにあげられました。
また会場の様子や講演会の内容についての勉強会というのが使命でした。

samtto (4)
2020年の開催地は長野県上田市周辺の山城が注目されることでしょう。
(壇上にて決起宣言の役員・スタッフのメンバーさん方の中にはらんまるさんのお姿も)

こんな素晴らしい夢にもみられないメンバーが揃ったのです。
地元の美濃の山城に行かない理由はありません。
日向さんと相談して金山城の発掘説明会の後、土岐市の妻木城へ行くことになりました。

samtto (63)

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妻木城へ登る前に妻木公民館に寄ってみることをおススメします。

こちら公民館では「妻木城址の会さん」発行の散策マップがいただけます。
御城印を集めてみえる方がみえましたらそれもこちらで購入できます。
御城印は2種類ありますが自分は両方買っちゃいました💦。

tumagiojyou.jpg
令和になって一大ブームになりそうな御城印、まずは地元の城から・・。

ダムカードならぬSABO(砂防)カードも貰えちゃいます。(写真下の一枚カード)
「ダムカード」の形式に準じており、表面は砂防施設の写真、裏面は砂防施設の情報が凝縮。
これはマニアック!。収集するかどうかはあなた次第!!

samtto (39)
今回は(今回も・・)妻木城の裏手の林道からの最接近ルートを利用します。
(県道19号を妻木川沿いに登っていき、うまごめ橋をすぐ右折します)

麓から登る道もいいのですがなにせ急斜面。
20分もあれば登れるのですが汗ダクダク、息ゼイゼイになります。
利用できるものは利用してその労力、城内を散策する方に使うのも手かと・・。

samtto (40)
一部ダート道になりますが普通乗用車でも問題なく走行できます。

samtto (41)
ほぼ城址まで行けてしまい、広い駐車場が用意されています。

城内に入るとどこから見ていいかわからない程の山城オーラを感じます。
そんな時は先程の散策マップを見ながら要所別に分けて回るといいでしょう。
主な見所は全て「妻木城址の会の皆さん」により見やすく整備されています。

私たちは先ず西側の遺構から見学しました。(マニア向けコースから・・)

samtto (6)
西尾根に延びている遺構群と伝太鼓櫓との間の堀切です。

堀を掘削する際に出土した大きな花崗岩が横たわっています。
岩を細かく砕いて除去しようとしたのでしょう、岩には十字にあてられたクサビの跡が。
結局断念したと思われますが、その困難さが伝わってきます。

samtto (5)
矢穴の跡がこんなにもくっきりと残っています。

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西尾根の曲輪はまとまった広さの曲輪が続いていきます。

samtto (48)
尾根筋を堀切と土橋で画しているのですが片堀切となっています。

敢えて強い遮断をせず、運搬物などの搬入を考慮したのでしょうか?
三河方面、柿野街道からの出入りがしやすいようにしてあります。
全体的に切岸も緩く、曲輪の格段が浅いのもそのあたりと関係しているようです。

samtto (50)太鼓櫓西の深い横堀。

太鼓櫓の西から南へかけて深い横堀と高土塁を設けています。
妻木城の主郭部がここより東側に展開していくことがわかります。
写真の左側が大土塁になりますが一つの出曲輪としても機能しています。

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その太鼓櫓、曲輪の堀切方面には土塁も構えています。

samtto (9)
土塁の上から覗き込むと、直下に先程のクサビ岩が・・、確かに邪魔くさいな(笑)。

samtto (51)
太鼓櫓と御蔵の間の堀切。同レベルの曲輪なんで往時は木橋で連絡できていたとも。

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木橋で連絡できてたとも伝わる2つの曲輪。

samtto (7)
太鼓櫓と御蔵の南には大土塁に守られた井戸跡があります。

南側からの攻撃から井戸をを守るように立ちはだかる大土塁。
水源を守る、という強い防御線はまた直進できないようにも工夫されています。
二つの曲輪と土塁に守られたこの井戸は幸せものですね。

今度はここから北に向かって行きます。

samtto (54)
伝・御釜屋の曲輪に降りていきます。

北向きの夏でもひんやりした谷曲輪です。
台所曲輪、といったところでしょうか?でも足場は石がゴロゴロしていて歩きずらい。
北側には竪堀状になっているようにも感じる箇所があります。

ここから本来なら麓から登ってきたつもりになって登山道を一旦下っていきます。
(この登山道が大手道かどうかは別として)

samtto (55)
巨石の間を縫うようにして登り詰めていくアスレチックな道です。

samtto (56)
城内に入る手前の道は意識的に細くされ、足元の山肌は削り落とされています。

samtto (57)待ち受ける曲輪では頭上からこのように・・。南無・・。

ここは尻つぼみになった大手曲輪ともいえそうな曲輪です。周囲は絶壁。
攻め手は狭いスペースに入った途端、頭上の曲輪から迎撃を受ける仕組みです。
麓から登りつめ、この曲輪に入ったら退くも進むも地獄でしょうね・・。

samtto (45)
北側からの攻撃に備えた三の丸曲輪。

samtto (16)ここからは足下の妻木集落から土岐郡一円を見渡すことができます。

双眼鏡を持参できれば恵那郡~土岐郡~可児郡までが見通せます。
天気が良ければ恵那山、御嶽山はもちろん、白山連峰もくっきりと目視できます。
美濃東濃地方自体が大きな一つの盆地であることがわかります。

さて、じっくりと探索しているとここらで景色を見ながら休憩したくなります。
一つの曲輪に5人がいるとは思えないほどの静寂に包まれます。
皆同じ方角の景色をみてそれぞれの想いにふける・・。

こういう時、城友同士っていうのは言葉なくとも伝わりあっているような・・。
そんな気がしてなりませんでした。
本記事もここいらで休憩、後半に続けたいと思います。


今回の記事でご案内した妻木城への林道ルートを示します。
Ⓢは城山林道入口と起点を示します。
Ⓖは城山裏の駐車場を示します。お時間があったらすぐ東脇にある本城池を散策するのもいいものです。自然に囲まれたなかでいろいろな生物との出逢いもありますよ。

美濃 天狗ヶ城 🏯「城歩き」の気分で「山歩き」

美濃 天狗ヶ城 (岐阜県山県市葛原・天狗城)

紅葉にはまだちょっと早いようですが山歩きにはいいシーズンになってきました。
今回訪れたのは山県市の天狗ヶ城です。
「城」という名が付いていますが、城の伝承がある「山」と聞いていました。

ん~ん、だったらパス!・・、という訳には参りません。
「城」なのか、そうじゃないのか、実際に登ってみて納得して判断したい・・。
遠回りの人生を歩んでいると、こうなります・・。

なので今回は「城めぐり気分」で「山歩き紀行」ということになります。

tengu (2)
国道418号線、葛原の市井集落からのルートで登ってみます。
(バス停横の空きスペースには駐車しないようにしてください)

この「天狗ヶ城」、地元では「てんがじょう」と読むそうです。
道を尋ねた方々は皆々そう発音されていました。
たしかに「てんぐがじょう」より威風もあっていい呼び名ですね。

tengu (1)案内版によると天狗ヶ城までは2.8km、約1時間30分の時間を算出。

自分の場合、登りの山道をゆっくり歩くのに1km/30分を目安にしています。
もちろん小休憩や写真撮影時間等も入れてのゆったりとした時間枠です。
これがトレイルランニングだったりすると1km/8分あたりになるでしょうか。

tengu (22)
先ずは登り口の貴船神社を目指しますが・・、これがわかりずらい!

車でのお越しでしたら坂を登りきった奥の右側空き地に駐車できます。
地元の人に登り口を尋ねて、細い民家の間道を抜けていきます。
このあたり今一つ案内不足のような気がしますが、ま、秘境とはそんなもの。

tengu (3)
何はともあれ、やっと探し当てた貴船神社。第一関門クリアっす。

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ふと見ると、山裾に登山口標柱を発見、ここから登山道のようです。

この標柱まるで山肌の倒木模様に擬態しているようです。
「ここだよ、見つけてくれ。」そんなオーラを感じました。
「天狗ヶ城登山口」となんとか読み取れます。

tengu (4)
出会わないことを祈るばかりです。

tengu (5)
尾根に出るととても歩きやすい気持ちいい山道になります。

tengu (6) tengu (8)
山仕事で使われているのでしょう、踏み跡がしっかりと残っています。

所々に大木の倒木が行く手を遮りますが、とても見通しがいい森です。
鳥のさえずり、木々が風にそよぐ音、・・そして鳥獣が逃げていく音!
久し振りに味わいます。

tengu (7)
途中、可愛らしいお地蔵様にお会いします。ここでちょい休憩します。

お地蔵様は大正時代に置かれたもののようです。
峠道を介して山で隔てられた集落と集落を結ぶ道として利用されたのでしょう。
なんとなく語りかけたくなる、そんなお地蔵さんでした。

tengu (19)
さらに登って行くと天狗ヶ城方面と神崎方面に抜ける分岐点に到着します。

tengu (18)
松の木の根元に石の道標があることに気が付きます。

どれどれ(._.)、えーっと・・「右 神崎道」で・・。
「左 山道」?・・。
・・でしょうね!

tengu (9)
途中に景色が開ける鉄塔を通過します。

tengu (10)
さらに進むと、ちょっと城っぽいような自然地形もあったりします。
(奥の法面が切岸、手前の窪みが堀切、みたいなみたいな)

tengu (17) これなどほぼ土橋にしか見えない。

tengu (20)
山道の脇には所々に補強の石垣も見られます。

tengu (11)
そしていよいよ「手取岩」と呼ばれる巨石に到着。

地層のいたずらでしょうか、ミルフィーユのように見える岩。
登山道を立ち阻むかのように鎮座しています。
左側から回り込んでいくのですがまるで「城門」のような存在感がありますね。

tengu (12)
いよいよ近づいてきたようです。松宇土頂部方面と天狗ヶ城方面との分岐点です。

tengu (13)山頂部には見通しがよい広~い平地が広がっています。

長さは90メートルほどあり確かに一見すると城の曲輪のように見えてきます。
平地の部分が多少ならされているように感じるからです。
しかし一帯はやはり自然地形で城郭として手を加えられた形跡はありません。

tengu (14)設置されている説明版と哀れに朽ちた木柱。

砺波山の戦いで敗走し討ち死にした藤原長門守家次の残党ら平家落人が籠ったそうです。
天狗城に拠って決死の戦いをした結果この土地に土着したと言う伝承が残っています。
しかし越中からここまで逃れてくる点はなかなか理解できませんが・・。

tenngaz.jpg
とりあえず現況をお伝えしたいと作図してみました。

山頂一帯は確かに自然地形ですが「籠る」ことはできそうなスペースがあります。
西の尾根伝いををずっとずっと伝っていくと根尾方面に出ることも可能です。
麓の谷筋を通るよりも尾根を伝ったほうが安全かつ速いという点は注目できます。

山道側面を補強した石垣、踏み固められた尾根道、広々とした頂部・・。
伝説の天狗ヶ城はやはり「城」ではないと思われます。
が、ここにはかつての昔の人々の気配を感じることができる空間がありました。

tengu (16)
実はもう一つある「裏手取岩?」は天狗ヶ城の北尾根を下った窪みにあります。

手取岩を大手門に見立てられるのなら、こちらは搦手門といったところでしょうか?


Ⓢは麓の駐車場を示します。できれば付近の方に一声かけておくと良いと思います。
登城口である貴船神社までの道も教えて頂けると思います。
レ点は貴船神社を示します。
Ⓖが天狗ヶ城のある山頂部です。じっくりと登ることで山に浸り、昔の人々の生活に想いを寄せてみたいものです。

美濃 神所城 🏯切岸だけでもここまで圧巻!

美濃 神所城(根尾城) (岐阜県本巣市根尾神所・城山)

秋深まる中、岐阜を北上し神所城(別名:根尾城)へと行ってきました。
平成16年(2004)本巣市に合併される以前は「根尾村」という村がありました。
春には樹齢1500年以上とされる淡墨桜(うすずみざくら)が咲き誇り有名です。

koudokoro.jpg
秋真っ盛りに桜名所の話もなんなのですがとても荘厳で神々しい古木であります。

満開時にはつややかな白色が、散り際には淡墨色になることから淡墨桜と名付けられました。
開花シーズンになるとそれはもうたくさんの観光客が訪れます。
時には4月の満開時でも降雪に見舞われることもあり、やや遅咲きの桜です。

「淡墨桜」(岐阜県本巣市根尾)
「三春滝桜」(福島県田村郡三春町)
「山高神代桜」(山梨県北杜市)
「日本三大桜」と呼ばれています。

・・がしかし、今回は桜の話はこれくらいに置きまして城の話に行こうと思います・・。
今回訪れた神所(こうどころ)城は根尾(ねお)城とも呼ばれます。
地元の皆様に聞くと、ここでは俗に「こうどこ」と読むらしいです。

neoj (26)根尾中学校から神所城(こうどこじょう)の城山を眺めます。

根尾西谷川沿いの街道(温見峠越え道)・現在の国道157号線沿いにあります。
街道の直進を妨げるように突き出した尾根・城山の頂上一帯が城址です。
根尾神社や春日神社など神社があり「神所」の名の由縁となっているようです。

neoj (1)国道沿いの城址登り口には合戦にまつわるレリーフがあります。

「太平記」によれば越前国での合戦に敗れた南朝方の脇屋義助が拠ったそうです。
しかし、義助は美濃国守護の土岐頼遠・土岐頼康らに攻められ城は落城。
その後、戦国期には根尾右京亮が当城に関わっていたと伝承さています。

「ネオ・ジオン」とか「ネオ・ショッカー」とかテレビで観てきた世代です。
名は「NEO・ネオ(新しい)城」なんですが、歴史は結構古くからの古城なんですね・・。
・・そんなアナタの言いたいことはどうでもいいんですよね・・。

neoj (24)
神所城へのルートはわかりやすそうで見落としがちな位置にあります。

カーブの頭上にあるので攻めながら走っていると見落とします。
スロウ・イン・ファスト・アウトで察知したいものです。(ん?)
休校日でしたので根尾中学校さんの駐車場をお借りしました。

neoj (2)階段を登るとすぐに城址石碑と案内板があります。

neoj (3) neoj (4)
頂上の諏訪神社に向かって石段が延びています。上に登るほど荒れていく・・。

この石段、河原の丸石で組まれています。
段差がはっきりしているのは最初だけ、徐々に足をかける場所がなくなっていきます。
つま先だちで足をかけ登って行きます。(下りは特に注意です!)

neoj (5)そして姿を見せる、光降りそそぐ主郭部が眼前に。

なんと神々しい姿・・。
名は体を示します、「神所城」とはうってつけの城名かと。
・・あ、これ「神発言」ではありませんから・・。

ここでも石段が延びています。
まるで『北斗の拳』でいう聖帝十字陵頂上に続く石段のようです・・。
・・この表現・・結構伝わると思ったのですが、ダメですかね?

neoj (6)
諏訪神社を中心に広い本丸が広がっています。

長さは60メートルくらいの奥行きがあります。
本丸主郭部の周囲には南面に腰曲輪、北面に武者走りを設けています。
虎口は自分の見たところ、南からのスロープ状になった箇所かなと思いました。

neoj (7)
本丸の周囲は所々に石垣も組まれていたのがわかります。(写真は南西部の石垣)

neoj (8)
土留め目的と思われますが、それも役目を終え、なんとか張り付いている様子。
(写真は北面の石垣)

neoj (11)
主郭北東部には浅い堀切も見られます。

neoj (12)堀切を側面から見るとこんな感じでわかりやすいかと。

それほど遮断性のある堀切ではありません。
当時は深かったものが埋もれたのかもしれません。
むしろ主郭部側の鋭い切岸が印象的です。

主郭周囲の切岸は全周にわたって鋭く削りあげられています。
南北朝期の城、といわれていますが練り直されたのは戦国初期と思われます。
本丸の北端部から東端部には土塁痕もみられます。

neoj (13)
願わくばこらえていつまでも張り付いていて欲しい石垣ですが・・。

neoj (15)
剥がれ落ちていく石垣は腰曲輪のあちらこちらに散石しています。

koudokozum.jpg主郭部が鋭い切岸で浮かびあがる縄張りです。

神所城は単純な縄張りですが、土の城の基本としての切岸はピカイチ!
高度な仕掛けは見られませんが高く削りあげられた見上げるような法面が見所です。
河原石を使用した石垣も野暮ったい中に先人たちの苦労が強く感じられます。

樽見鉄道は桜の時期には「桜ダイヤ」と称した特別ダイヤが運行しています。
(樽見鉄道は大垣駅~樽見駅までを結ぶ路線)
これは「薄墨桜」の開花に合わせて実施される特別ダイヤです。
(毎年4月1日~4月15日まで)
特に谷汲口駅は駅自体が桜に囲まれており、桜と電車を合わせて堪能できますよ。

「根尾の薄墨桜」を鑑賞に行かれる際は近くの神所城にも是非寄ってみて欲しいです。

neoj (25)
秋ですけど春の話題でスミマセン・・(^_^;)💦



<「上の城」、「下の城」伝承について>

さて・・、従来、根尾城は標高のある背後の山の頂上一帯がそれだとされていました。
現にある書籍では山上一帯に縄張りが広がっている図面をあげている例もみられます。
「上の城」、「下の城」と麓付近にも展開する大城郭に仕上がっています。・・しかし。

確認のため登ってみたところ、城郭につながるような遺構は確認できませんでした。
ただ、頂上付近の尾根筋にそって土塁と窪みのような遺構は確認できました。
これが城郭と結びつくものかと考察するとやはり不自然と思われます。

neoj (17)
尾根に沿って伸びる竪状の土塁と窪み。

neoj (16)
山上一帯には広い平場がありますが自然地形の様相でした。

山上までの険しい道のりでしたが、これといった城郭遺構はみられませんでした。

<根尾市場城について>

根尾の市場という地名の背後の尾根中腹にあったとされます。
北野神社の裏から登った尾根中腹の平らな場所なんですが・・。
ここも積極的には城郭遺構だと思えませんでした。

neoj (23)
かつて鉄塔が建っていた平場があります。

上の写真の奥、ちょうど光が指している部分に土塁のような高まりがあります。
土塁に沿って内側には堀切のような窪みも確認できます。
平場の西面から南面にかけては小さな曲輪群も見られます。

neoj (21) neoj (19)
土塁に沿うように堀(窪み)も見られます。

状況的には城郭の様相を呈しているといえますが・・。
各々の遺構からは遮断性が感じられず、別の意図とした類似遺構の可能性もあります。
鉄塔造成や林業の掛け小屋趾などに伴った痕跡ではないでしょうか?




レ点は神所城を示します。
Ⓢは根尾薄墨桜のある薄墨公園を示します。樽見駅から薄墨公園までは徒歩で10分程。
薄墨公園から神所城までは徒歩15分程でしょう。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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