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令和初のフルマラソンに向けて練習中

令和初のフルマラソンに向けて練習中

2020年2月16日、フルマラソンに出場します。
徳島県最南端で開催される「海部川風流(ふる)マラソン」です。
令和初、久し振りのフルマラソンにドキドキワクワクの胸中でございます。

この大会は全国ランニング大会100撰に毎年選出される人気のマラソン大会です。
ランネットなど市民ランナーの口コミによる全国マラソンランキングでも毎年1位に輝きます。
「何がそこまでいいんだろう?、これは走ってみたいな・・」

そんな興味関心がきっかけでした。

・・実を言うと・・。
阿波には行ってみたい中世山城も幾つかありましてね・・。(そっちもかい)
ちょっと遠いけど一度走りに行ってみたい!

ということで、善は急げ、エントリー決定です!(´∀`*)

さて・・。

フルマラソンに出場するのですから練習内容もそれに見合ったメニューになります。
・・といっても相変わらずそんなに特別な事はしていません。
日頃の練習内容を基調にして距離を踏むようになります。

練習ポイントは日頃のジョグやビルドアップ走にミドル走・ロング走を組み込みます。
自分の中ではハーフ~25km走程度がミドル走、35kmぐらいがロング走かな?
これは以前ラン友・Y吉さんからのアドバイスによるものです。

kasen1.jpg

平日にはとても走れないので休日のまとまった空き時間に走ります。
普段走り慣れているコースを飛び出し、普段なら車で行くような所まで走ります。
何かとても新鮮で見慣れた景色が違って見えたりもします。

気合も要りますがスペシャルなランが楽しめます。

でも調子に乗って怪我をしないようにしないといけません。
本番4週間前に25km走、3週間前に35kmを走ります。
練習することで自信もつきそうです、頑張ろっと!
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美濃 太鼓部屋砦 🏯境城、野尻城との大三角形を成す砦

美濃 太鼓部屋砦 (岐阜県郡上市和良宮代堂場)

世の中には神秘に満ちた三角形がたくさんあります。

例えば・・。

冬の星空の大三角形(夏もありますね)(※1)。
男女関係の三角関係(・・?)(※2)。
バミューダトライアングル・・(・・??)(※3)。

※1 冬の大三角・・北半球における冬季に南東の夜空で確認ができます。
   おおいぬ座α星シリウス
   こいぬ座α星プロキオン
   オリオン座α星ベテルギウス
   の3つの1等星で構成される三角形のアステリズムであります。

※2 これに関しては久太郎の前半生で哀しいほど一切無縁なのでパス・・。

※3 バミューダトライアングルは魔の三角地帯海域を指します。
   フロリダ半島先端と大西洋にあるプエルトリコ海域、バミューダ諸島を結んだ三角海域。
   昔から船や飛行機、もしくはその乗務員のみが消えてしまうという伝説があります。

全く無意味な例ばかりですみません。
そしてここ郡上の和良地域にも和良の大三角城郭があります。
前回からご紹介している野尻城境城、そして今回の太鼓部屋砦の三城です。

taikobeya (4)境城からの北西支峰尾根に築かれた太鼓部屋砦の山容。

一般的に城郭名はその地域の地名に由来することが多いものです。
しかしこの砦に伝わる城砦名はとてもユニークですね。
「太鼓部屋」とは太鼓や鐘などで集落や本城支城へ急を知らせたのでしょうか?

いずれにせよ、監視や物見、或いは伝達的な役割を担った砦だと言えそうです。

taikobeya (11)
境城から降ってきた尾根部も城郭の一部となっています。

taikobeya (8)城域を画するように立ち塞がる尾根土塁。

土塁の下には堀切があってもよさそうですが現状では確認できません。
尾根側面が若干鞍部になっていることから以前は浅い堀切があったのやもしれません。
境城との連絡を重視したため敢えて堀り切らなかったとも解釈できます。

taikobeya (12)
土塁の上からみた本曲輪の様子。細長いですがよく整地されています。

taikobeya (13)土塁外側には石積みの痕跡も見られます。

taikobeya (15)
本曲輪周囲は急傾斜となり小さいながら要害性が強く感じられます。

特に北側と西側は法面の途中から削り落としたような痕が見られます。
この点、砦が単なる狼煙連絡台だけでなく外敵侵入に対する備えもあったといえます。
尾根で繋がっている境城との関連性が深い砦だといえましょう。

taikobeya (19)本曲輪南側に残る腰曲輪と切岸。

taikobeya (20)

本曲輪の南側に虎口と思われる遺構があります。
またスロープ状になった出入り口も別に確認できます。
境城からと麓からの連絡機能も兼ねていたように感じる空間でした。

taiko.jpg果たして「太鼓の達人」がいたのでしょうか?(笑)

taikobeya (21)

太鼓部屋砦が南東の境城を本城とするならお互いの距離は直線で約650メートル。
また境城から南西の野尻城までの直線距離もほぼ同じ約700メートル。
太鼓部屋砦と野尻城は南北で相対し、その距離は約1000メートル。

境城、野尻城、太鼓部屋砦でほぼ均等な二等辺三角形を形作っています。

三城砦が同一期に機能していたかどうかは不明です。
しかしながらこの「三角の構え」は防備面において非常に有効な選地だといえましょう。
後年、鹿倉川と和良川を扼する野尻城のみに手が加えられたのかもしれませんね。


レ点は太鼓部屋砦を示します。
Ⓢは野尻城、Ⓖは境城を示し、その位置関係を示します。
ほぼ均等な二等辺三角形となっている様がわかると思います。

※太鼓部屋砦への登城について
砦の西側麓から登ることもできそうですが個人様の獣除けフェンスがあります。
よって自分は位置関係を把握するためも境城(野尻城)の尾根から出入りをしました。
ご訪問を予定される方はその点には注意していただきたいと思います。

美濃 境城 🏯和良の大三角、頂点の城

美濃 境城 (岐阜県郡上市和良沢・上野山)

前回の野尻城散策に続いて尾根伝いに境城(さかえじょう)にも登ってみます。
野尻城の比高が70メートルに対して境城の比高はなんと300メートル!
野尻城を実に4つ分を登る、という事になります(尻込み)。

sakaej (26)野尻城背後にそびえる境城との位置関係を遠望。ひぇ~、たっけぇ~(;゜0゜)

しかも登山道は尾根沿いとはいえ非常に険峻で厳しいルート。
野尻城には散策案内が示されていますが、さすがに境城にはそれがありません。
登山者は自己責任で地形を確認しルートを辿る慎重さが求められます。

sakaej (14)
野尻城・境城見学の際は獣除けフェンスの扉を通過します。(ここまでは同じ)

sakaej (15)
野尻城出丸の北東尾根からルートを辿ります。(境城への案内はここだけ)

境城城址碑も何故か野尻城出丸尻の(無関係な)場所に立てられています。
「この先の山の上が境城ですよ」という先出し配慮でしょう・・。
何もえらい目して登らなくても「行った事にさせよう」とする優しさなのでしょうか。

しかしそんな配慮は我々には無用というもの。
むしろそういった手付かずの山城探訪にこそ本懐があります。
ここを起点に意を決して登ってみます。

sakaej (16)城址碑が立てられている、という点では大変感謝したい気分です。

登山道入口に立っている境城城址碑ですが、整備された道ではありません。
荒れた尾根道を木々を薙ぎ払い、或いは倒木をまたぎ、潜ったり・・、結構大変です。
途中途中で休憩を入れながら頂上を目指します。

やっとのおもいで頂部に着きますが、しばらくは自然地形の平地が続きます。
この平地、手を加えれば格好な曲輪になりそうなものです。
・・はて?何故この平地を城郭内に取り込まないのか?疑問が湧きます。

しかし、しばらく歩くといきなり大きな堀切が現れます。

sakaej (21)前触れなく現れる境城の西堀切。

堀切は途中から竪堀となっていきます。
谷を利用するでもなく、山の斜面ごと断ち切るといった感じのやや強引な堀切。
山頂部の西方面を南北に大きく遮断しています。

sakaej (1)
横からみるとこんな感じ。ここを堀り切った理由を知りたし・・。

sakaej (22)
境城の本丸。

堀切を越えるとよく広く削平された曲輪となります。
ここが境城の中枢部になるのですが、最初はわかりませんでした。
山の最高所であっても尾根筋との高さレベルが同じだからです。

sakaej (17)
本丸の西側微高地には今は朽ちてしまった「鎧掛けの松」の跡があります。

sakaej (18)こちらは本丸東側の堀切。

即ち境城の本丸は東西の大きな堀切に仕切られた間部分を主郭としています。
山頂ピーク部が広いため適度な場所に堀切を入れ、主郭部としたようです。
東堀切も西堀切とほぼ同規模で同じ性格、鏡写ししたような堀切配置が印象的。

sakaej (20)
本丸の南側にのみ腰曲輪が展開しています。

sakaijz.jpg大きな堀切に挟まれた主郭部と堀切外側の未整形曲輪で成り立ちます。

境城は麓の和良地域を広範囲にわたって見渡すことができる絶好の場所。
そのため周辺地域を治める在地土豪の城と見てよい、とは思います。
しかしその役割は麓の野尻城だけでは役不足だったのでしょうか?

高すぎる標高に突出した堀切遺構、またその規模に伴わない内部遺構・・。
そして南方面にのみ展開する腰曲輪と曲輪にも相当する面積の未整形空間。
これらをみると麓の野尻城の詰め城というよりは別目的の城郭とも考えられます。

長期間使われたのであれば未整形空間も何らかの普請が充てられるはず。
その点、陣城の類における臨時駐屯空間とする見方もありえないでしょうか。
未整形空間もなんらかの形で利用されていたのではと思えてなりません。

境城の築城年代や機能した期間等は詳しくはわかりません。
和良遠藤氏が野尻城と共に築城したものなのかも不明です。
でも両城を直接結びつけることはその完成度からも断言できないところですね。

次回はもう一つの支峰、太鼓部屋砦に下ってみます。


レ点は山頂一帯の境城を示します。
Ⓢは野尻城で、Ⓖは太鼓部屋砦の位置を示します。

三つの城郭を一度に効率的に見学するのであれば
野尻城→境城→太鼓部屋砦の順番に尾根を伝うといいと思います。
但し冬でもかなりの汗をかきますので着替えと多めの水分・補給食を用意したいところ。

美濃 野尻城 🏯曲輪を囲う周線土塁が美しい

美濃 野尻城 (岐阜県郡上市和良野尻・小山)

新春を迎えまして、新しい一年が始りました。。
皆様におかれましては充実した年になることを心からお祈り申し上げます。
自分も相変わらずのマイペースを大切にした行動的な年にしたいと思っております。

昨年末は仕事納めの日に営業用のトラックが突然の故障・・(-_-;)。
年明けにならないと修理にも出せない、という不運での年越しとなりました。
そんなアクシデントも「開き直り」で乗り切ってやる!、と強がってみたりもしますが・・。

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」

・・と・・そんな決意の欠片も持ち合わせてない軟弱者・・。
ちゃっかり両手合わせてみても願っている内容は違い過ぎる。
鹿之介さんには遠く及ばないな・・。

さて、昨年末は郡上市の旧明宝村エリアの城郭を訪ね歩きました。
今回からはその足運びで郡上市の旧和良村を訪ねるという流れです。
まず最初は和良の代表郭、野尻城に行ってきました。

nojiri (1)
野尻城の麓、「九頭の宮」戸隠神社を目指します。

nojiri (2)
周辺はパワースポットとして見所に溢れています。

天の岩戸の欠片と伝わる「重ね岩」、「一本杉」や「夫婦杉」・・。
時間に余裕があったら寄ってみたいスポットばかりです。
説明版の中には「野尻城址」と「境城址」の表示もちゃんとありますよ。

nojiri (3)
戸隠神社の西から散策できます。

nojiri (4)
獣除けフェンスをセルフで開閉、少し歩くと案内標示があります。

nojiri (5)
まずは出丸に到着します。

出丸は不整形のようにも感じますが50メートルに及ぶ平地があります。
曲輪尻はやや堀切状になっており、ここも城郭の出城として機能したのでしょう。
ここから西へ辿り、野尻城の主郭部へ進みます。

またここから北の尾根を辿ると、境城へと登るルートになります。
(境城と太鼓部屋砦については次回以降改めて記事にしたいと思っております)
この地域には同じ山塊内に3つの城郭址が確認されているのも特徴です。

ここ野尻城、境(山)城、太鼓部屋砦の三城砦との関係性も興味深い所です。

nojiri (6)見上げると出丸方面に向かって伸びる竪堀がくっきりと現れます。

nojiri (7)
主郭内に到着。説明版と城址碑が立ちます。

野尻城は室町期の和良遠藤氏、遠藤清左衛門胤善の創始と伝わります。
後、美濃守護代斎藤妙椿の郡上侵攻、飛騨より三木氏の郡上侵攻を受けます。
関ケ原の戦い前には遠藤慶隆の八幡城奪回戦の陣宿としても利用されたようです。

nojiri (8)ヘディングアップの縄張り図は初心者には解りやすいかも。

nojiri (9)城址碑を見ながらの横堀、こりゃたまりません。心躍る瞬間。

nojiri (10)本曲輪と西郭との間は明確な堀切で仕切られています。

西曲輪は説明版では「二の曲輪と三の曲輪」として扱われています。
しかし厳密には3つの空間で成り立っている一連の曲輪と言えます。
外周が累線土塁で囲われている様子が観察できる郡上郡では珍しい遺構です。

nojiri (11)
かなり埋まってますが天水池(或いは井戸跡?)の跡と思われる穴。

nojiri (12)
西曲輪先端部の土塁。

nojiri (13)
西曲輪外周を累線土塁が囲みます。

nojiri (14)上部から見下ろした西曲輪の内部。

黄色矢印には不明瞭ながら虎口があった形跡が見られます。
この方面からの大手ルートがあったものと推測できます。
これ程の塁線土塁は郡上郡では他に見当たらない注目の遺構と言えます。

nojiri (15)西曲輪から見た本曲輪間との堀切はなかなかの圧巻です。

nojiri (16)
堀切を渡って本丸へ。

本丸も一部を除き外周を土塁で囲う形になっています。
削平もしっかりとされ周囲の切岸も一段とよくかけられています。
最高所だけあって三方の遺構の繋がりが確認できます。

nojiri (17)
先程通ってきた本丸南側の堀底もくっきり確認できます。

nojiri (18)
本丸周囲の切岸の様子。手前にはわかりずらいですが竪堀が。

野尻城はさほど広くないコンパクトな縄張りですが土塁普請量が多いのが特徴です。
特に西曲輪は戦闘守備に対する備えが強く感じられます。
どの時期に誰の手によって今の姿になったのでしょうか・・。

nojiriz.jpg

恐らく戦国末期から関ケ原前後の改修時期と思われます。
飛騨から侵攻を受けた際に三木氏はしばらくここ和良の地に駐屯していたようですし。
また尾根の北東山上につながる境城、北にある太鼓部屋砦との関係性も大ありでしょう。

野尻城のみを見学しただけでは自分なりの答えはとてもだせません。
・・ということは、必然的に3つの城址を見学する、ということになります。
こんなラリー訪問、ワクワクしてきますね~。


Ⓢの戸隠神社の駐車場をお借りしました。もちろん登城前には参拝させていただきました。
神社の西口に散策路入口の標柱が立っているのでそこから辿ります。
獣除けフェンスはセルフ開閉します。
Ⓖは野尻城の主郭部です。

注意事項!
野尻城の麓周囲一帯はぐるっと一周に獣除けフェンスが取り巻いています。
出入りができるのはここの散策路だけなのであらぬ方向に下山すると大変な目に遭います。
必ずこの散策ルートで行き帰りしてください(←酷い目にあった自分の精一杯の主張です(-_-;))

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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