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阿波 一宮城・前半 🏯胸を突き破られました

阿波 一宮城 <前半>
(徳島県徳島市一宮町西丁)  <県指定史跡 >  【続日本100名城】
【海部川風流マラソンで訪れた阿波の城と史跡・その③】

マラソンと城を巡る旅は続いていきます。
海部城から北上して徳島方面へと向かいました。
42.195kmを走った後はさすがに体が疲れ切ってます。

しかし走り終えて気が楽になるとゆっくりと山城を愉しむことができます。
マラソンで見た景色、車窓から見る景色、どれも一期で新鮮。
心地よき疲れと共に・・旅はいいものです。

さて、今回の一宮城はかねてより一度訪れてみたかった城でした。
旅館で身体をしっかり休めてリフレッシュ!翌朝一番からの登頂です。
異国の城に恋い焦がれる、そんな気持ちありますよね?

awaiti (42)鮎喰川に架かる一宮橋北詰めから眺める一宮城。

一宮城前面には吉野川支流の鮎喰川が流れています。
背後の高い山々には東竜王山系の山並みが控えています。
「いい城」というのはその立地条件からして伝わってくるものがありますね。

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県道21号線沿いから入って行きます。主要道だけあって結構な交通量です。

awaiti (21)バス停は「一宮城」、入口に城址石碑と案内板があります。o(^▽^)o

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麓の一宮神社さんに駐車場をお借りしました。(参拝して登頂)

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本丸まで約700メートルの登山道を登って行きます。

登山道入口には散策マップが用意されています。
杉原賢治氏による素晴らしい縄張り図で案内されています。
少し奥には清潔な公衆トイレもあります。

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階段状に整備された往路はとてもリズムカルに登れます。

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登山途中には湧き水がこんこんと。

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倉庫跡に辿り着きます。

soukoni.jpg
地元の人から「ヤケムギ」と呼ばれる倉庫跡曲輪。竪堀も備えてあります。
(以前までは大雨の後炭化麦が採取された由縁です)

awaiti (2)明神丸と才蔵丸間の大きな堀切と切岸。

目が覚めるような遺構に足が止まる・・。
いわゆる堀切が通路になっている堀底道。
え?この間を通って進むんですか?・・いや恐ろしすぎる・・。

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才蔵丸は「才蔵」なる家臣の名が曲輪名称の由来となっているそうです。

awaitino (6)
低い石囲いの桝形門の跡。

才蔵丸と明神丸を隔てる堀底道を通り抜けるとT字路になり門跡となります。
ここを右に曲がると明神丸へ至ります。
この地点一帯が最も大手の厳重地域であると感じ取れます。

awaiti (27)防御施設が最も堅固な地点。明神丸と才蔵丸、堀底道と門のスクラム!

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明神丸曲輪内は現在発掘調査中でした。

awaiti (28)明神丸からは城下の様子が間近に望めます。明媚。

awaiti (4)そしていよいよ本丸に向かいます。

待ち焦がれ緊張に胸を強く打たれる瞬間でした。
少し長くなってしまいましたんで、一休み。
次回の後半へとつなげたいと思います(^^ゞ。


Ⓢは一宮神社からの登山道で登りました。
 基本的にここから登ればほぼすべての遺構を見学して戻ってこられます。

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阿波海部城番外編 島弥九郎事件

阿波 海部城<番外編>
島弥九郎事件跡を訪ねて-
【海部川風流マラソンで訪れた阿波の城と史跡・その②】

yakur (1)

自分の手元の愛読本として2つの作品があります。
『長宗我部』 長宗我部友親 著 (バジリコ((株) 刊)
『夏草の賦 上・下』 司馬遼太郎 著 (文春文庫 刊)


どちらの本も自分にとって長宗我部氏に関して大いに興味を抱かせてくれた本です。
特に長宗我部元親の弟たち、香宗我部親泰吉良親貞、そして島親益(親房)
元親の四国統一にあって弟たちの存在がなくてはならない大きな原動力となったことを感じます。


amagawa (295)海部城を訪れた後、那佐湾にやって来ました。

徳島県南部、那佐湾(なさわん)。
高知県の県境とも近いこの付近は陸地に囲まれ穏やかな海が広がっています。
荒々しい太平洋の波もここではひっそりと静まり返っています。

amagawa (293)
対岸の山頂には江戸時代、異国船監視のための乳ノ崎狼煙台もありました。

amagawa (289)島弥九郎事件跡にたつ石碑。

元亀二年(1571)嵐を避けてこの湾に逃げ込み非業の死を遂げた武将がいました。
土佐一国を平定した長宗我部元親の末弟・島弥九郎親益(親房とも)です。
武勇に優れ本山氏攻めでも活躍した武将だったそうです。

異母兄である元親の信頼も厚かったそうです。
しかし病気がちで身体が弱く兄の好意で療養のため有馬温泉に向かっていました。
その道中海路で嵐に遭い波静かな那佐湾へ家臣と共に停泊することになりました。

amagawa (291)

嵐を避けて湾内に停泊した弥九郎たちでしたが海部方はこれを元親の偵察或いは敵襲と誤認。
停泊していた弥九郎とその家臣団を襲いこれを悉く討ち果たしてしまいました。
当時、安芸国虎を破って土佐東部を平定した「元親侵攻」の噂は海部方にとって脅威でした。

amagawa (292)現地説明版に海部城の位置を加筆させて頂きました。

敵襲の際、弥九郎は病床から跳ね起き真っ先に船から陸にあがります。
「我弓馬の家に生まれ病床で死ぬのは無念、戦場にて命を落とすのなら本懐」
「後代に名を汚すことはない、潔く討ち死にせよ」
(土佐物語より略文にて)

一歩も引かない勇敢な最期だったそうです。

yakur (2)
那佐湾の奥、二つの小山が浮かぶように並んでいるのが二子島(ふたごじま)です。

この島で、追い詰められた弥九郎らが最期を迎えたと伝わります。
後にその霊を慰めるために 村人たちによって小塚が築かれました。
弥九郎の遺骸を二子島に丁重に葬った三島神社はしばらく二子島にありその後移転。

amagawa (306)
弥九郎を祭ったといわれる吉野神社に参拝させていただきました。

amagawa (65)

現在では旧三島神社は吉野神社に合祀されています。
吉野神社境内には、現当主・長宗我部友親氏によって島弥九郎らの鎮魂碑が建立されました。
現在も続く長宗我部家の源流は、当地で討たれた島弥九郎の末裔となっています。

amagawa (302)吉野神社境内、島弥九郎主従を弔う石碑。

amagawa (305)
裏面には現在に至る歴代当主の名が刻まれていました。

この事件はすぐさま元親の耳に入り、弟を弔う為兵を挙げ 海部城を攻略します。

海部氏は長宗我部氏に滅ぼされた安芸氏と親密な関係にありました。
停泊した船を長宗我部側の偵察・先手部隊と思い込んだためという説は当然だと思います。
海部友光は遠征中で不在であったため、そのまま紀伊の縁者を頼って落ち延びたとも言われます。

戦国の世です、海部方のとった処置もごく当然の決断であったと理解します。

この一連の事件、戦国時代にあっての兄弟愛と取れるエピソードになるのでしょうか?
それとも、病弱の弟を囮の如く出し阿波侵攻の口実作りを行った挑発説ととるのか?
事の真相はともかくこの事件を契機として長宗我部元親は弟の弔い合戦の名目で阿波へ侵攻。

各地での激戦と中富川の戦いにて阿波を手中に収めていくのでした。
それは「四国の蓋」とならんとした家をあげての総力戦への突入となります。
この地にて壮烈で非業の死を遂げた元親の弟・弥九郎。

自分はただただその追悼の意を込めたくここを訪れたかったのです。


Ⓖは島弥九郎事件跡の碑が立つ位置です。
 国道55号線から湾側に脇道があります。見落とさないよう入ります。
 車高の低い車だと下をこするかもしれませんので徐行してください。
Ⓢは島弥九郎の供養碑が立つ吉野神社です。
 ここも国道55号線から北側の脇道に入ります。神社が目印です。
㋹は前回の記事で取り上げた海部城の位置です。

阿波 海部城 🏯県南最大級の港の城

阿波 海部城 (徳島県海部郡海陽町奥浦・城山) <町指定史跡 >
【海部川風流マラソンで訪れた阿波の城と史跡・その①】

海部川風流マラソンを無事完走し、余韻に浸りながら訪れたのが海部城(かいふじょう)です。
走っていた時にあんなに降っていた雨もゴールした途端から止み始めました。
・・これって果たして運がいいのか、悪いのか・・(^_^;)。

フルマラソンを走り終えた後は疲れ切った体のボディケア。
病人・久太郎にとっては標高の低い山城に登るのが最適のクールダウンです。
ゆっくりと登ることで筋肉の緊張がほぐれ心身もリフレッシュさせるのに丁度いいですね。

あ、でも、これ自分にしか当てはまらないかもしれませんです、ハイ。(^^ゞ

amagawa (285)漁港に面した島状地形の城山・海部城を眺めます。

標高は約50メートルの独立丘陵で海部川の河口に面しています。
かつては海部川とその支流によって囲まれた要害の地だったようです。
また商業港津を押さえた重要な城でありました。

amagawa (271)城山の北入口に立つ海部城城址石碑。雨上がりの半渇き状態です。

海部川に面した北登り口に立っています(海部東中学校の東)。
ここから登って行きます。
観音庵も隣接しているので立ち寄ってみるのもいいと思います。

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岩盤から削り出した登城階段は雰囲気がいい。

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登りだすとすぐに城域に入ります。所々で石組みの遺構もみられます。

amagawa (279)
荒々しい整備道も。ここは逆に阻まれているかのような登城道で面白いです。
(マラソン後の体にはちとつらい・・)

amagawa (29)二の丸に相当する曲輪からの眺望は絶景です。

コンクリートで固められていない河口部は自然の美しさがあります。
その先に見える弧を描くように湾曲した大里海岸は特に美しいです。
大里松原は「日本の白砂青松100選」にも選ばれています。

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視線を西に向けると先程まで無我夢中で走り渡った海部川橋が見えます(感動)。

amagawa (32)
さていよいよ本丸へ。トラロープが優しいですね~。

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主郭部には石垣(石積)遺構がみられます。

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石垣は高さこそないものの一直線に続いており映えます。

amagawa (39)本丸内側の石垣です。小さめの石で乱雑ながら組まれています。

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角部もなんか頼りなさそう・・。

amagawa (41)本丸はよく整地され建造物があった様子を感じ取れます。

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土塁の上からみた本丸曲輪。

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主郭部南の櫓台部。

amagawa (34) amagawa (61)
竪堀の遺構も随所で見られます。

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各曲輪間には切岸がしっかりかかっています。

海に面した城というのは長年の風雨にさらされ法面がかなり崩れているもの。
ところが海部城は全体的に内陸部の城にも劣らないほどの状態で残っています。
室戸岬から何度台風の直撃を受けたことかもしれないのに・・、すごい事です。

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切れ味抜群の曲輪が南に続いていきます。

城郭全体が広大な城ですが、個々の曲輪が広いな、と感じます。
どの曲輪もしっかり削平されており城郭構成がしっかりしています。
一つ一つの曲輪に与えられた機能を感じることができましょう。

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直下には集落がすぐそこに。崩落防止措置がとられています。

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陣屋址に続く鞍部は大きな堀切に相当します。

amagawa (54)
堀切をベースに麓との連絡できるよう切通し状に加工された遺構です。

海部城は元亀2年(1571年)頃に海部左近将監友光(宗寿)によって築かれたとされます。
海部氏はそれまでの居城・吉野城より海部川下流の鞆浦に築城しました。
長宗我部元親が土佐国を統一すると阿波国の最前線となりました。

長宗我部元親には末弟に島弥九郎親益(親房)がいました。
元亀2年(1571)病気療養の為土佐から海路有馬温泉に療養に赴く途中、強風によって那佐湾に停泊。
この時海部城主・海部友光は手勢を率いて島弥九郎を討ち取ってしまいます。

この事件を発端として長宗我部元親は仇討ちもあって阿波国へ侵攻することを決意。
海部城を攻め落とした元親は弟の香宗我部親泰を入れて阿波国の拠点とします。
(後に牛岐城へ移る)
天正13年(1585)蜂須賀家政が阿波国へ入封すると、阿波九城の一つとして改修されました。


・・さて、この「島弥九郎襲撃事件」に関しては個人的には非常に興味がありまして。
土佐を手中にした長宗我部元親が四国有史上で初の外征に踏み切ったのです。
それは四国統一への避けられない戦いへの決断になった、と思うからです。

海部城の見学後、島弥九郎襲撃事件の現場に直行しました。
島弥九郎、長宗我部親益に哀悼の意を感じたためです。
どうしても行く必要がありました。自分でも不思議な気持ちです。

kaifugawa.jpg下山する前にもう一度麓の様子を眺めて帰りました。

マラソンで走った街をこうして見下ろしてみるととても愛着を感じます。
清流・海部川はとても美しく透き通っていました。
海部川沿いを走り、海部城を訪ねたことで、自分の心まで透き通っていく気持ちになりました。

次回は海部城番外編として「島弥九郎襲撃事件」を取り上げてみたいと思っています。


㋹が海部城のある城山を指します。北登山口に城址石碑があり、そこから登りました。

海部川風流マラソン走ってきました!

徳島・海陽究極の清流 海部川風流マラソンに出場

メイン会場:まぜのおかオートキャンプ場
令和2年2月16日(日) フルマラソン:AM9:00スタート


2月春一番のフルマラソンは徳島県の海陽町での海部川風流マラソン。
徳島県、といっても室戸岬、高知県に近い太平洋沿いの街です。
本州から淡路島経由で鳴門大橋を渡るルートで行きました。

kaifufm (1)
毎回この橋を渡る時は期待に心躍ります。

kaifufm (6)

しかしながら当日は小雨模様。
走っている時間帯は降水確率100%の予報で気分が上がりません。
いい時ばかりではないな・・。イメージ通りにはいかないものです。

kaifufm (5)
フルマラソンだけに「降るマラソン」という自虐ギャグが哀しい。

気持ちを切り替えよう、とアップジョグをします。
・・と途端に降りつける雨、雨・・。
そんな塞ぎ込みそうな気持を明るくしてくれたのがゆるキャラの「ふるるん」でした。

fururun.jpg シューズの色が一緒だね!

海陽町を流れる清流海部川の妖精「ふるるん」です。
頭の山からぐるっと一周して流れる川がチャームポイント。
特技は大きなお腹をふるふる揺らすこと、だそうです(笑)。

kaifufmb.jpg大会パンフとスケジュール・コース表です。

海部川沿いがメインのコースですが2つの折り返し地点があります。
この折り返し地点間のアップダウンは結構キツカッタ!です。
その代わり30kn地点からは緩やかな下りとなっています。

また制限時間6時間というのも割と厳しい・・。
時間的には特に問題ありませんがツワモノ揃いといったランナー対象ですね。

<序盤>
10km地点までは海部川沿いを快走できました。
相変わらず降る雨ですが時折みせる晴れ間もあり。
海部川に虹が架かる幻想的なシーンもありました。

<中盤>
アップダウンが始まりペースが乱れます。
上り坂で削られていき、じわりじわりとペースが落ちていきました。
下りになっても上げることができなかった、というか奮い立たせること能わず。

<後盤>
30km過ぎからはもういつものジョグのペースに落ち着きます。
開き直ってエイドでパンやバナナをかじりながらの御賞味ランに。
時折打ち付ける強い雨で目が開けていられなかったのもありです。

<終盤>
それでも4時間切りのペースメーカーさんを捕捉!
必死に付いていきます。ここまで励ましの声も沢山いただきました。
そして雨の中にも関わらず声援をくれる地元の方々に奮起します。

そう、辛い時こそ笑顔、だったな。

<ラストスパート>
「もう少し!、まだまだやれる!」自分を励まして走ります。
どこからでしょう、ずっと一緒に並走してるランナーさんと笑顔で会話を交わします。
今更ですが自己ベストにははるかに及びません。

でもこれまで頑張ってきた自分の姿が自分の先を走っています。
前身グショグショで格好悪い自分の後ろ姿です。
その後ろ姿に付いていき、気付けば食らいつようにゴールしていました。

kaifufm (7)
記録は3時間57分03秒。う~ん、4時間切れれば良しとしましょう!

雨の中、厳しいコースでしたが「風流」という通り、素晴らしいコースでした。
スタッフの皆さん、沿道の応援の方々、海陽町の自然溢れるコースに感謝!です。
雨、海、港、街、川、山、里、そして虹。どの場面も心に深く残った大会となりました。

kaifiud (1)

kaifiud (2)
走った後のおうどん、伊勢エビの赤だし、贅沢過ぎて美味しすぎて、感激しちゃいました。

ジョグでつないで少し休んだらまた練習再始動したいと思います。
次回のマラソンは5月の群馬県、「昭和村・河岸段丘ハーフマラソン」です。
「弱さ」は「強さ」に変えたい、また練習して頑張ります!!

また出走前に激励を頂きましたお友達の皆さん、とても力になりました。
この場をお借りして厚く御礼申し上げます!
ありがとうございました!!

ドキドキワクワクいよいよ近づいてきました

いよいよ近づいてきました😅

海部川風流マラソンまであと1週間を切りました。
ここにきて寒さが身にしみる冬でございます。
しかし日差しや日中の暖かさに少しずつ新春の足音を感じます。

harurun (3)
春はもうそこまで来ています。蝋梅ともそろそろサヨナラです。

フルマラソンまでいよいよあと1週間。
やるだけの練習はやったつもりです。(1月月間走行距離は300km超え!)
あとはジョグと短いスピード練習で調整していきます。

しかしなんでしょう・・。
いつものことなんですが不安も付きまといます・・。
うまく快走できるかな・・、歩いちゃうかな・・、雨降らないかな・・。(うじうじ)

ま、あれこれ考えても仕方ないです。いつも通りなんですけどね(^_^;)。
この時期は疲労を抜きながら適度な刺激を与えてやるトレーニング期間になります。
マラソン直前の調整法は一人一人違います。

いろいろ試して自分に合った調整法を試していき本番に臨みます。
反省点を次のレースで改善してまたプランを練ります。
この繰り返しの自己管理から効果と実感を得ていきます。

harurun (1)
レース前になるといつも走るコースにもお礼したくなります。ありがとう!

やるだけやってきた!
・・でも途中どうしてもきつくなったら・・。
その時は笑顔!で乗り切ります!o(≧ω≦)o

がんばっちゃうぞ!阿波の城!、じゃない、海部風流マラソン!!
待ってろよ!阿波の城!、じゃない、海部風流マラソン!!
こんなフリ毎回恥ずかしいわ・・。

でも阿波の城でおススメしたい城があったら後々お知らせしたいと思います。
今回はあくまでもマラソンが主ですからね、と自己暗示。・・そして。
いつもマラソン(城)に理解を示してくれる素振りの家族に感謝!

気を付けて行ってまいります!

美濃 横井城 🏯完成手前で放棄されましたか?

美濃 横井城 (岐阜県郡上市和良町横野・城山(南古城跡山))

一日署長(いちにちしょちょう)という警察署のPRイベントがあります。
起用されるのはその時の旬な有名芸能人(女優・女性アイドル)やスポーツ選手です。
当然、警察官としての司法警察権一切を与えられるものではありませんが。

アイドルさんなんかは一層可愛らしさが増したりなんかします。
「逮捕しちゃうぞ♪」。・・とかですね。

しかし山城調査で誰にも遭わず一人黙々と城の隅々を見ているとふと思う事は。
「・・あぁ、今日の俺、ここの一日城主じゃねえか・・」。
皆さんもこんな経験おありなんじゃないでしょうか?(自分しょっちゅうです)

この城のことならなんでも訊いてくださりませ!
「籠城しちゃうぞ♪」。・・なんか違う。

さて(^_^;)、今回も郡上和良の城郭を取り上げていきたいと思います。
謎に包まれた城郭の多い和良地区ですが、ここでもやはり首を傾げてしまうかも。
和良の大三角城(野尻城・境城・太鼓部屋砦)に相対している横井城に登りました。

wyokoi (26)横井城のある山は「城山」と呼ばれています。
(或いは南古城跡山(みなみこじょうしやま)とも)

鹿倉川と和良川の合流点南の山上に構築されています。
現在の和良地区中心部を見渡すことのできる格好の場所といえます。
相対する城として一番近いのは野尻城で1000メートル程しかありません。

上の写真も野尻城の城下から撮影しています。

wyokoi n(1) wyokoi n(2)
今回は城山の東尾根より登頂することに。祠が目印で迷うことはなさそうです。

和良川公園オートキャンプ場さんの駐車場をお借りしました。
とても開放感があるキャンプ場です、夏でしたら和良川で水遊びをしたり楽しそうです。
和良川に架かる橋(神渕洞橋)を渡ったらすぐを山の尾根道を辿ります。

wyokoi (3)
間伐手入れが行き届いた非常に登りやすい広い尾根道です。

東尾根を登っていく途中、山の中腹に若干人工的な平地が確認出ます。
防御的な遺構はないのですがこれを遺構だと捉える方も見えるようです。
自分は山頂主郭部との距離感や連動面を考慮して参考、とまでにしました。

wyokoi (4)登りつめると、先ずは東曲輪群が現れます。

上の写真でおわかりになるように切岸はあっても、曲輪内の普請は結構粗雑。
所々で自然地形を残しつつ、辛うじて平地を設けている箇所が多々見られます。
ただ、腰曲輪としての遺構は曖昧なりに確認できます。

続いて主郭部分へと足を運んでみます。

wyokoi (12)主郭部と東曲輪間の接合部になります。

この箇所は堀切を設けて遮断するのにもってこいの場所。
・・ですが堀り切らず浅い横堀を南方面にのみ延ばし、ほぼ自然地形です。
北側には「これから堀り切ろうかな?」ぐらいの意思が切岸から感じられます。

wyokoi (11)南方面に掘られた横堀の様子。

横堀は途中で途切れて完全に掘り切られていない様子です。
途中から武者走り状の腰曲輪に接合していきます。
普請意欲を感じつつも中途半端な感を受けますね。

wyokoi (10)
主郭南側に沿って延びる武者走り状の曲輪。

wyokoi (14)
主郭内部は西へ向かう程整地されていきます。

wyokoi (6)
主郭内部からは竪堀状の作事が下段に落とされた形跡が。

2、3本の竪堀状遺構が見られますが幅が狭く下の曲輪との連絡路かもしれません。
目立った虎口遺構が確認できないので或いはここが連絡道だったとも想像します。
これも築城途中の遺構なのでしょうか?

wyokoi (5)
主郭部北の下段腰曲輪と連絡します。

wyokoi (7)こちらははっきりと残る南の下段腰曲輪。(先ほどの武者走りの延長部です)

集落に面している北の腰曲輪よりも南の腰曲輪の方がしっかりと残っています。
さらにこの南腰曲輪は尾根の南まで伸びています。
主郭部と尾根南方面との主要連絡道も兼ねていた意図を感じます。

wyokoi (8)南尾根を大きく遮断する堀切。

wyokoi (9)
南尾根の尻つぼみになった位置を掘り切っています。

wyokoi (13)
主郭側から見るとそのシャープさがよくわかります。

wyokoi (16)
標高が100メートルほど高い「お向い」の境城からは見下ろされているように感じます。

wyokoi (17)
こちらは山頂~麓への北西尾根ルートの状況です。

尾根道に大きな溝が麓に向かって伸びています。
おそらく伐採した材木を引きずり下ろすために掘られたものでしょう。
それが大量の降水時によってさらにえぐられた箇所もあると考えられます。

場所によっては城の主郭部よりも普請量が認められ驚くことがあります。
塹壕のようにも見えますし、竪土塁や竪堀のようにも見えます。
これも城に関係した遺構だと捉える方もみえるのですが、自分は同意いたしかねます。

意見が分かれるところもありますが要は「遺構と連動しているか」という点ですね。
横井城の場合は溝が主郭部から離れた所から発生しているので別物といえるでしょう。
主郭部作事を後回しにして登城ルートの普請量に人員をさくなど滑稽な話です。

wyokoi (18)北西尾根の入口奥には横井城の標柱が立てられています。
(手書き文字とても上手ですね←そこにも感動)

尾根から外れた奥地に入ったところにポツンと立っています。
何故こんな人目に付かない所に立てたのか不思議です・・。
白色標柱でなかったらまず気が付きません。それでもあるのはうれしいですが(^-^)。

「横井城付馬場」というのは主郭部から南に延びた主峰付近の平地を指します。
自然地形なのですが山中にも関わらず広大な平地が確認できます。
馬場等の施設が設営されたかもしれませんが、城郭遺構は特に認められません。

wyokoizu.jpg

横井城は南口の堀切を除けば全体的に曖昧な作事として済まされています。
はっきりとした虎口やポイントとして重視された点も特に見られません。
しかし城自体の面積としては広く完成を前に中断されたような形跡を受けます。

横井城についての記述は他の和良地区の城郭同様、不明です。
この地区が北より三木氏、南より斎藤氏の侵入を受けたというのが手掛かり。
そして各々勢力が城を築き、ある期間の睨み合いがあったということは想像できます。
(或いはある期間中に奪われていたかもしれません)

天正2年(1574)頃、加治田城主・斎藤新五郎長龍が郡上郡に侵入したようです。
その際に野尻城・境城に籠る和良遠藤氏と対峙した陣城が横井城だと伝わり考えられています。
また『郡上郡史』には斎藤佐玄太の城址、とする伝えも記述されています。

いずれにせよ時の和良の在地勢力と斎藤氏との抗争の中で横井城は築かれたのでしょう。
主郭南側の敵側の目に止まらないような隠れ武者走りはそれを暗示しているようです。
この横井城、最終形態はどんな縄張りになったのかな~なんて考えちゃいますね。

頭の中で普請の続きを思い浮かべながら城址をあとにした和良の横井城でした。


今回はⓈの和良川公園オートキャンプ場を起点としました。
キャンプ場内からかぶち橋を渡って東尾根を辿り登って行くのがわかりわすいです。
㋹の山頂部一帯が城址です。
どうもこのマップでは城主としてオオサンショウウオが君臨しているようですね・・。
Ⓖあたりに城址木柱碑が立ってます。自分のような城址碑ファンはお見逃しなく。北西尾根を下っていくとワカルと思います。
帰る時は大回りですが国道まで出てキャンプ場まで戻って一周です。

美濃 法師丸砦 🏯小さくてもしっかり「砦」してます

美濃 法師丸砦 (岐阜県郡上市和良町法師丸)

車の運転中における「ながら運転」を厳罰化した改正道交法が施行されました。
運転中のスマホ使用やカーナビ注視など違反点数、罰則、反則金は約3倍に!(゚△゚;ノ)ノ
事故を起こすと一発免停になる可能性ありです。

・・正直申します。自分も心当たりはあるのです。
皆さんもくれぐれも法令遵守の意識をもちましょう。
・・と、ここまで厳罰化しないといけなくなった、という今の世の中なのです。

自分:「もう絶対携帯ながら運転はあかんね」
奥方:「・・その前にね、城のそばを通る時の城見ながら運転、あれもなんとかしたら・・」
自分:「ムムム・・(思い当たり過ぎて)お返しする言葉もございません・・」

城の近くでは運転しながら相当キョロキョロ、ソワソワしてるんでしょうね・・。
自覚症状はありますので言わせていただこう。
改善努力します!(これだけは自信ないな・・)

さてそんな奥方とのやりとりを脳裏に焼き付けつつ向かう山城紀行。
今回も引き続き郡上市和良地区の城砦を訪ねます。
訪れたのは法師丸砦(ほしまるとりで)です。

hosimaru (12)法師丸集落に突き出た尾根に構えられた砦です。

それほどシンボリックでない山容ですので位置がわかりませんでした。
麓でトラクターを操作していた方にお尋ねしたところご親切に教えていただきました。
わからないときは地元の方にお聴きするのが一番ですね。

hosimaru (11)
井谷洞川沿いの林道脇から谷沿いに登ってみました。

hosimaru (8)なんと途中の森の中に城址碑を発見できて狂喜乱舞ですo(≧ω≦)o。

hosimaru (6)
程なく登ると「ザッツ・堀切」に遭遇、再びの狂喜乱舞。

hosimaru (3)自然谷に沿った単純だが鋭い堀切が一条。

堀切は主郭から見て内側にハノ字型展開しています。(下に図面掲載しました)
際立った遺構はこの堀切のみですが実に原風景を残しており味があります。
西側へ竪堀となって自然谷と融合していく様が心くすぐられました。

hosimaru (5)
単郭ながらよく整地されており砦としての役割を感じさせます。

砦にはその広さからおそらく数名の見張り城番が務めていたものと思われます。
イチョウ葉の形をした小さな単郭砦です。
東側には登城口を押さえる小郭並びに虎口の形跡が見て取れます。

hosimaru (7)
小さいながら周囲は絶壁に囲まれた要害の地です。

法師丸砦の築城者や在地領主など詳しい伝えは不明です。
唯、関ケ原合戦に合わせた「八幡城合戦」にて遠藤慶隆が野尻城・法師丸砦で野営した、
という記録があります。

砦はその時急造されたものではなく、それ以前からあったようです。
尾根伝いに続く道の存在や削平された郭内の作事具合がそれを物語っています。
砦名の由来はひょっとしたら元来「法師丸」と呼ばれていたのかもしれませんね。

次回記事に予定している「横井城」とも関係をもった砦なのかもしれません。

hosimaruz.jpg
小さくてもしっかりとした「ザッツ・砦」、法師丸砦でした。


㋹が法師丸砦の主郭遺構です。東側麓のⓈあたりの斜面に城址碑が立っています。
城址碑のある谷から登ると登りやすいです。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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