伊賀 百地丹波城 🏯謎多き伊賀の上忍、百地丹波守の城
伊賀 百地丹波城 (三重県上野市喰代城谷)
年末も押し迫ってきて、忙しい・・、はずなのですが・・。
今回は年末城納め、と題して今年一年の締めくくりのプチ遠征に出かけました。
城友・日向守さんにも無理くり、休みを合わせて頂いての行軍です。
今年の城めぐりでは、なんとなく藤堂高虎公の縁ある城が多かった気がします。
そんなわけで、〆は伊賀上野城方面に行こう!ということにしました(強引に)。
周辺の城址にも時間が許す範囲で寄ってみたいと思います。
まずは百地丹波城を朝一で散策してみました。
車は永保寺の駐車場をお借りしました。
どうやら曲輪間の堀底が道になっているよう。
こちらの奥には百地丹波の墓と伝わる墓所があります。
百地丹波が修行したと伝える丸型池。
ここで水蜘蛛の術(水上歩き)、とか水遁(すいとん)の術とかしていたんでしょうか?
シュノーケルの竹筒が出てないか目を凝らして探してしまいました。
・・あるわけないのに。
青雲寺から見上げる主郭部。崩落石を防ぐため、コンクリートで固められているほど急峻な切岸です。
青雲寺から主郭部に入っていきます。
落ち葉が似合う、伊賀流上忍・百地丹波守城址の石碑と説明版。
百地丹波城は、百地氏によって防御の固い居城(居館)として築城されました。
百地氏は、戦国時代には有力な土豪で藤林長門守・服部半蔵と共に伊賀上忍三家に数えられます。
(最近の研究では百地丹波と藤林長門の同一人物説もあり)
百地丹波守は天正2年の織田信雄の独断による伊賀侵攻時に忍者軍を指揮して山間部の狭隘な地形を巧みに利用。
神出鬼没のゲリラ戦法で信雄軍を見事に撃退したのです。(第一次・天正伊賀の乱)
しかし2年後の天正9年、信長は織田信雄を総大将として再び伊賀に侵攻。
この抵抗戦で、百地城も落城してしまいます。(第二次・天正伊賀の乱)
百地丹波守のその後の足取りはよくわかっていません。
主郭内の東から北、西方面は土塁で囲われていて、特に東の大土塁には圧倒されます。
さらに圧倒されたのは土塁と連動したこの大箱堀です。(゚△゚;ノ)
果敢にも土塁を登ろうとする城友さんだが・・。
この直後、ぬかるんだ土で靴が滑り、堀底まであえなく敗退!
「日向守殿、そのような失態では、百地丹波守に笑われようぞ。」
・・となじりつつ、自分はしっかり遠回りしていくのでした。
二の郭から見下ろす大堀切は幅も広いです。
物見櫓でもあった感じの出丸があります。
百地丹波守は戦場ではあまりその姿を見せなかったといいます。
音もなく、においもなく、姿・形まで現さない、まさに影の支配者・百地丹波守。
ベールに包まれた伝説の謎の上忍、う~ん、ミステリアスです。
年末も押し迫ってきて、忙しい・・、はずなのですが・・。
今回は年末城納め、と題して今年一年の締めくくりのプチ遠征に出かけました。
城友・日向守さんにも無理くり、休みを合わせて頂いての行軍です。
今年の城めぐりでは、なんとなく藤堂高虎公の縁ある城が多かった気がします。
そんなわけで、〆は伊賀上野城方面に行こう!ということにしました(強引に)。
周辺の城址にも時間が許す範囲で寄ってみたいと思います。
まずは百地丹波城を朝一で散策してみました。
車は永保寺の駐車場をお借りしました。
どうやら曲輪間の堀底が道になっているよう。
こちらの奥には百地丹波の墓と伝わる墓所があります。
百地丹波が修行したと伝える丸型池。
ここで水蜘蛛の術(水上歩き)、とか水遁(すいとん)の術とかしていたんでしょうか?
シュノーケルの竹筒が出てないか目を凝らして探してしまいました。
・・あるわけないのに。
青雲寺から見上げる主郭部。崩落石を防ぐため、コンクリートで固められているほど急峻な切岸です。
青雲寺から主郭部に入っていきます。
落ち葉が似合う、伊賀流上忍・百地丹波守城址の石碑と説明版。
百地丹波城は、百地氏によって防御の固い居城(居館)として築城されました。
百地氏は、戦国時代には有力な土豪で藤林長門守・服部半蔵と共に伊賀上忍三家に数えられます。
(最近の研究では百地丹波と藤林長門の同一人物説もあり)
百地丹波守は天正2年の織田信雄の独断による伊賀侵攻時に忍者軍を指揮して山間部の狭隘な地形を巧みに利用。
神出鬼没のゲリラ戦法で信雄軍を見事に撃退したのです。(第一次・天正伊賀の乱)
しかし2年後の天正9年、信長は織田信雄を総大将として再び伊賀に侵攻。
この抵抗戦で、百地城も落城してしまいます。(第二次・天正伊賀の乱)
百地丹波守のその後の足取りはよくわかっていません。
主郭内の東から北、西方面は土塁で囲われていて、特に東の大土塁には圧倒されます。
さらに圧倒されたのは土塁と連動したこの大箱堀です。(゚△゚;ノ)
果敢にも土塁を登ろうとする城友さんだが・・。
この直後、ぬかるんだ土で靴が滑り、堀底まであえなく敗退!
「日向守殿、そのような失態では、百地丹波守に笑われようぞ。」
・・となじりつつ、自分はしっかり遠回りしていくのでした。
二の郭から見下ろす大堀切は幅も広いです。
物見櫓でもあった感じの出丸があります。
百地丹波守は戦場ではあまりその姿を見せなかったといいます。
音もなく、においもなく、姿・形まで現さない、まさに影の支配者・百地丹波守。
ベールに包まれた伝説の謎の上忍、う~ん、ミステリアスです。
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