竹鼻城と一夜堤を巡る

美濃 竹鼻城 (岐阜県羽島市竹鼻町) <羽島市指定史跡>

そもそもの築城は応仁年間、竹腰尚隆によるものとされていますが、その後
土岐氏、斎藤氏、織田氏と時代の権力者に従っていきました。
戦国期は織田信雄の家臣であった不破源六広綱が居城としていました。

IMG_7240.jpg竹鼻城石碑と説明版

この城は小牧・長久手の戦いにおいて尾張へ出陣した羽柴軍によって水攻めに
されたことで有名です。不破源六広綱は20日間余りに及ぶ水攻めに降伏しました。

ちなみに「水攻め」された城の実例はそんなに確認さていません。
一番有名なのはなんといっても織田軍の羽柴秀吉による備中高松城の水攻めでしょうか。
次はどうでしょう、羽柴軍の小田原合戦の際、石田三成が武蔵忍城に寄せた際の水攻めでしょうか。

では、その次は・・地元びいきでここ竹鼻城!としたいところですが・・
なんでも「日本3大水攻め」なるものがございまして(誰が何を基準につけたものか・・)
羽柴軍による紀州太田城の水攻めだそうです(T_T)・・。なんか悔しさが込み上げてきました。

今回の竹鼻城は残念ながら見所がないので、その代わりに秀吉による水攻めがいかなる規模
のものだったのか、その址を追ってみました。
竹鼻城周辺には秀吉によって築かれた「一夜堤」の碑が何ヶ所か見られますね。
(ホント羽島市には敬服いたします)。

IMG_7383.jpg羽島市営斎場西側の一夜堤碑(北端)

IMG_7379.jpg今町交差点西の一夜堤碑

IMG_7238.jpg蒲池交差点南東の一夜堤碑

IMG_7381.jpg羽島郵便局西向かい地の一夜堤碑(南端)

確認できたものは4ケ所ですがこの4ケ所を点と線で結べばぐるっと竹鼻城を包み込むように
半周にかけて取り囲んでいたであろう様子がわかります。その土木量たるや相当なものだった事でしょう。

そして個人的にこの一夜堤を探しめぐるラリーはなかなか楽しいものがありました。

そしてこの城は関ケ原の戦いにも前哨戦の地として再び巻き込まれます。
西軍に呼応した織田秀信(信長嫡孫)の家臣、杉浦重勝が立て籠もりますが
東軍の先鋒、福島正則らに城は落とされます。重勝は自害したようです。

現在城址碑と説明版が羽島市歴史民俗資料館の前に建てられていました。

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 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
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久太郎と申します。
「城跡が好き」
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おかげさまで、開設以来、3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

24時間戦えますよ
今年のゴールデンウィークはなんとか2日のお休みが取れました!
一日は久しぶりに家族全員にて本格アスレチックとテニスで汗を流しました。
もう一日は弟クンと丹波地方へ城めぐりに行けました。
渋滞を避けるため前日の夜から出発し、現地では早朝から山城を立て続けで攻め登ります。
4つの山城と2つの平城の見学をして帰宅したのは深夜12時。
次の日はいたる所が2日分の筋肉痛・・。
24時間戦えますか?と聞かれたら・・。
城のためなら(なんとか)戦える久太郎でありました。
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