美濃 木越城 🏯奥美濃の驍将・遠藤慶隆、生誕の城

🏯 美濃 木越城 (岐阜県郡上市大和町島場皿) <市指定史跡>

午前中に神路城の見学を終え、対岸の木越城へと向かいます。
この城は縁あって某も何回か登城している城です。
古き郡上郡の中世戦国らしい縄張りが良好な状態で残っています。

kigosij (18) いかにも城山、といった感じ独立峰の木越城です。

kigosij (1) kigosij (15)

県道61号線から料理旅館・金松館さんを目指します。
城址の説明案内板がおかれているあたりに駐車場をお借りしました。
説明版と城址柱の奥に大手口の登山道があります。

kigosij (16)遠藤盛数の居城にして、慶隆と一豊の妻・千代出生の城、で掴みはオッケー。

掴みその1 慶隆誕生の秘話 場皿割れ岩の伝説
遠藤慶隆が生まれた時雷鳴はげしく天地震動して白昼まるで闇夜となり、
大きな岩が谷川に落下して真二つに割れたということです。」

・・すさまじい天変地異です。武将出生によくある風雲児的なエピソード。
まさか、その割れた岩から慶隆が現れた、なんて展開じゃなくてホント良かったです。
・・それじゃまるで「西遊記」ですもんね。

掴みその2 慶隆の妹は土佐藩主の妻!(←「」(笑))
「土佐藩主・山内一豊の妻・千代は、(中略) 最近遠藤慶隆の妹だと言うことがわかり、(中略)
千代の兄が慶隆で、千代もこの木越城で生まれたかもしれません。(以下略)」

これは後で調べてみましたが結構説得力のある話でした。
NHK大河ドラマ「功名が辻」では全く触れていませんでたが信憑性はありそうです。
千代と慶隆、それぞれにまつわるエピソードでした。

kigositiyo.jpg ←郡上八幡城麓の千代の「すごくおおきい」銅像。

kigosij (2) kigosij (3)
大手道ですね。よく見ると要所要所の両脇には木戸の礎石らしき址が残っていますね。

城山の中腹部にも番所らしき曲輪が点在しており城郭が山全体に及んでいたようです。

kigosij (14)中腹から山麓に向けて巨大な竪堀が延び、敵の横移動を遮断できてますね。

kigosij (10) kigosij (4)
頂上付近の主郭を腰曲輪から見上げます。とりまく切岸が周囲にみられます。

kigosij (5)木越城本丸下の城址柱。いい感じに朽ちてきて城址の雰囲気でてます。

kigosij (13) 本丸頂上は細長く、やや荒れていました。

kigosij (6) 主郭背後にある自然地形を活かした竪堀状遺構。

kigosij (7)主郭東面に連なる石垣。苔むした感じがたまりません。(´∀`)

土留め用の石垣ですが、同時に狭い山頂部の曲輪の面積を確保しています。
高さは1メートル、長さは10メートルほどの規模で、
角石を使用せず、丸石、平石のみで積み上げられた珍しい石垣です。

kigosij (8) kigosij (9)
河原の丸石や平石で積み上げられているようです。結構珍しいですよね。

これだけの量の石を長良川から運び上げたのでしょうか?
いろいろな石垣を見てきましたが、丸石での野面積は美濃国内ではあまり見かけません。
遠江の横須賀城には大規模な丸石による石垣がありましたが。

kigosij (11) kigosij (12)
頂上から対岸の神路城を睨めます。(写真:左) と 長良川沿いの様子も見おろせます。(写真:右)

ひょっとしたら神路城とは連携して街道筋を監視していた、かもしれません。
天文9年(1540)朝倉軍が越前から侵入し、東氏の篠脇城を攻め立てた際、
木越城の遠藤胤縁・遠藤盛数兄弟は朝倉勢の背後をついて1か月後には越前へ敗退させます。


木越城は篠脇城主・東常縁の庶子・遠藤盛胤によって築かれたそうです。
盛胤の孫・遠藤胤縁の頃には主家である東氏を凌ぐ程の勢力となり、
東常慶の子・東常尭は遠藤氏と婚姻を結んで勢力の回復を計ろうとします。

しかし、胤縁は畑佐氏との縁組を選択、面子を潰され失望・憤慨した常尭は、
永禄2年(1559年)赤谷山城で挨拶に登城した胤縁を暗殺してしまします。
常尭は、朝倉来襲時、東家の危機を救った功臣の遠藤家を一転、敵に回してしまいます。

対して胤縁の弟・遠藤盛数は、胤縁の子・胤俊を助けて弔い合戦、とばかりに赤谷山城を攻め落とします。
盛数は郡上八幡城を築きいて自身が郡上郡を支配し、胤俊には木越城(木越遠藤家)が与えられました。

その後、遠藤胤俊の弟・胤基が木越城主となっていましたが、
天正16年(1588年)郡上八幡城主遠藤慶隆とともに織田信孝に与したことで、
羽柴秀吉に所領を没収され加茂郡へ転封させられてしまいます。

遠藤慶隆も加茂郡・小原に転封され苦難の日々を送りますが、苦節を乗り越え
関ケ原の戦いでは東軍に属すことで後日、郡上八幡城主へと返り咲きます。

遠藤慶隆はその出生のエピソードが暗示するかのように、波乱な戦国時代を渡ることになり、
苦難の末、やがて郡上一円を支配する武将へと成長していきます。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

僕には城がある?
朝夕がひんやりとしてまいりましたね。
3人の息子のバスケットボールクラブ活動をずっと応援してきましたが、この夏に三男が中学生としての活動を終えて以来、なんとなく物足りない週末を送っております。
あなたには「城とマラソンもあるじゃない」と言われればそうなんですが、試合の合間合間にその会場近くの城を訪ねるのが本当に楽しみでした。
・・と思っていたら高校生の次男の試合もぼちぼちあるようですので、今後はそちらにも足を運べそうです。
「えっ!?来なくていい?」
・・まぁ、そういうお年頃でしたね。(そりゃそうだわな)
城もあればマラソンもある!・・でもこれからも陰で応援していきます。
最新登城記事
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数