美濃 刈安城 🏯権現山山上に築かれた森厳な神社と城郭

美濃 苅安権現山城 (岐阜県瑞浪市釜戸町大久後・権現山)

「美濃の山城よ!私は帰ってきたぁ!」
アナベル・ガトー少佐※の名言が国道19号線に響き渡る時がきました。

※アニメ「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」におけるアナベル・ガトーのセリフ。
「ソロモンよ!私は帰ってきた!」のアレンジ(パクリ)で生還した喜びの余りに出る言葉です。

久々に美濃の山城に帰ってきました。
山城での雪と寒さ、日没の早さを最大の苦手とする自分としてはちょっとした冬眠期でした。
もっぱら尾張地方の平野部城址めぐりも楽しくて止められませんでしたが・・。

山城の遺構は葉っぱの落ちた冬が観察しやすい、と言われます。
充分、理解していますが、それも諸刃の剣。

実際に登ってみると、山頂には残雪、さっきまでの晴れ空が見る見るうちに雪雲に・・。
北風が吹きこみ、雪がちらつき始めた途端、顔面蒼白になって、慌てて山を降る・・。
そんなことはなるべく御免です。(経験あり・・)

しかしそんな時期ももう過ぎたようです。絶好のシーズンの到来。
今年最初の美濃・山城めぐりはここにしました。
それが苅安権現山城です。

gongen-k (38)シンボルチックな山の山頂部が苅安権現山城です。

地元では「権現山城」というのが一般的な呼び名のようですが、
信仰関連の山名だけに「権現山城」なるもの、全国に点在しています。
岐阜県内(※)だけでも何ヶ所かありますので「苅安権現城」として記していきます。

(※ 御嵩町の御嵩権現山城、岐阜市芥見の長山権現山城、等々・・)

gongen-k (41)
麓から見ると高い山ですが中腹部を通った旧中山道までは車でいけます。(安心してください。)

gongen-k (1) gongen-k (2)
ちょっと歩きますが旧中山道沿いの大久後駐車場に停車、権現坂を登っていきます。

gongen-k (3)登り切った所で苅安神社の参道を登っていきます。

「ちょっと神社があるようだから行ってみよう」、という軽い気持ちは捨ててください。
思いのほかハードな参道です。きつい傾斜もあり15分から20分の登山になります。
ただし、登山道はかなり整備さていますから大丈夫。(安心してください、2回目。)

gonngenn-k2 (1)南に面した登山道は広く木洩れ日が気持ちいいです。

gongen-k (5) gongen-k (7)

gongen-k (6)頂上の苅安神社に到着しました。ほら、やっぱり雪が残っています。

gonngenn-k2 (4) 手洗いしたくともできず・・。

苅安神社は大戦中、多くの出征する方々が麓から戦勝を祈願しに参詣したようです。
現在でも天井や壁や梁など当時の書き込みの跡が見られます。
(生々しいですが、これも過日の貴重なメッセージなのです。)

gongen-k (9)本殿の裏にそびえる大きな岩は「烏帽子岩」と呼ばれています。

この烏帽子岩の西一帯に主な城郭遺構が見られます。
もちろん神社の東側も城の一部であったのでしょうが、
やはり本殿一帯は造成されたスペースのようです。

gongen-k (8) 比較的新しい石垣で拡張されています。

gongen-k (22)烏帽子岩の西側には堀切があります。

gonngenn-k2 (5)堀切の北端は竪堀となって下に延びています。

gongen-k (23)
ちょっと恐れ多いのですが、烏帽子岩に登って見おろしてみます。
おぉ、足元がこぉわぁ~ぃぃ・・でも・・。

gongen-k (27) 正面の恵那山がきれい~。

gongen-k (12)

gongen-k (18)主郭部の法面は切岸がしっかりありますね。

gongen-k (19)腰曲輪の外周には低い土塁が巡っています。

この土塁遺構が西からの尾根筋に備えられていることは理解できます。
しかし堀切を設けていないことから、西尾根伝いからの味方連絡路の確保を重要視した、
とも解釈できます。土塁中央部が途切れ、出入りが容易になっているからです。

gongen-k (26)土塁中央部は開口しており尾根道へとつながっています。

gongen-k (24)主郭北側にはL字型の虎口状遺構も見られます。

gongen-k (25) 主郭の周囲は腰郭がとりまいています。

gonngenn-k2 (7)神社の東側は断崖の岩がとりまき取り付くことができません。

gongen-k (40)東端部の岩からは武並方面・屏風山山系の眺望がすぐれています。

現在は木々が生い茂り眺望は一部しか得られませんが、
本来は周囲の視界は遮るものがなく広い範囲を一望のもとに見渡せる場所です。
城や砦、狼煙台など置かれない理由がないくらいの絶好の山です。

さて、このような苅安城ですが伝承としては不明点が多いのが事実です。

武並町藤にある洞禅院の沿革によれば、文明年間に尾張大草城主・西尾道永が築城した、
というのが一説としてあります。
そうです、あの尾張・大草城(現・小牧市)の西尾道永さんです。(👈是非、リンクで・・。)

touzenninn2.jpg 藤地区の洞禅院にも訪問です。

大草城での約束を自分、忘れてはいません!。
あれ以来、ずっと引っかかって気になっていたのです。
それゆえ、今回は感激もひとしお、といったところでした。

西尾氏は岩村城の遠山氏の家老であったともいわれていますが、道永の後裔、西尾五郎八
慶長5年(1600)の関ケ原の戦いの際は東濃地方で西軍側として家康方東濃諸氏と戦い、
滅亡した、と伝えられています。

また、さること文明5年(1473)の小笠原・木曽氏の南下により落城した東濃地方の「萩之島城」を
この城址と比定している向きもあり、諸説入り乱れてはっきりしていない、というのが実情のようです。

しかし、この苅安城の北の中腹部の尾根先端部にも「五郎塞」という城郭が存在します。
「五郎塞」の城主は先程の西尾五郎八が伝わるので西尾氏と何らかの関係があった、
ということだけは想像できそうです。

次回はその「五郎塞」の内容を記していきたいと思っております。
そこでは思わぬ出会いもありました・・。



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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

僕には城がある?
朝夕がひんやりとしてまいりましたね。
3人の息子のバスケットボールクラブ活動をずっと応援してきましたが、この夏に三男が中学生としての活動を終えて以来、なんとなく物足りない週末を送っております。
あなたには「城とマラソンもあるじゃない」と言われればそうなんですが、試合の合間合間にその会場近くの城を訪ねるのが本当に楽しみでした。
・・と思っていたら高校生の次男の試合もぼちぼちあるようですので、今後はそちらにも足を運べそうです。
「えっ!?来なくていい?」
・・まぁ、そういうお年頃でしたね。(そりゃそうだわな)
城もあればマラソンもある!・・でもこれからも陰で応援していきます。
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