尾張 五丁堀砦 🏯小牧合戦における織田・徳川軍、最北端の砦???

尾張 五丁堀砦 (愛知県江南市前野町新田北)

以前、訪れた小牧合戦での城砦めぐりが自分の中で熱いです。
今回も記憶をたどっての城址碑めぐりです。

五丁堀砦に行ってきました。
砦址であることを唯一示す「城址碑を探す」、というのが最大のポイント。
およそ城址とは思えない場所にあり、全く姿をとどめていません。

gotyouhori (2)
城址碑を発見できたことに喜びを味わえる城址です。

それでも見つけた時は感動して思わず笑ってしまいます。
「なんだ、こんなところにいたのかい。」

しかもブルーの網ネットが横たわっています。
よもや、ゴミの集積場?ですかね・・。おいたわしや・・。

gotyouhori (8)城址碑だけなので思いっきり寄ってみました。

五丁、という長さは尺貫法の単位によれば500メートル以上にもなります。
(1丁=109メートル)
これほどの長さのバリケート的直線堀が掘られたのか?
或いは一辺が100メートル超の城郭だったのか?
どちらも可能性はありますが、だとしたら大規模な砦、ということになります。

果たして、どんな姿だったのでしょう・・。

gotyouhori (5)石碑の裏面には説明書きがありました。

小牧・長久手の戦いでは織田・徳川連合軍の砦として築かれ、
前野喜左衛門義康の手勢300余騎が砦の守備におかれたそうです。
義康はおそらく前野将右衛門長康の一族かと思われます。
(誤字でなければ・・)

しかし、このエリアは当時羽柴方勢力圏の真っただ中。
織田・徳川方の砦があった、というのはちょっと考えづらいです。

第一、前野家は秀吉の最古参の家臣の一族で一貫して秀吉に協力してきました。
しかも、この前野には前野氏館もあるお膝元。
現に前野長康は羽柴方で参戦しています。

さらにさらに・・
西にある宮後城は蜂須賀氏の居城、東にある小口城は羽柴方の砦として利用されています。
いかな家康とて両城に挟まれた突出した地に砦を築ける訳がありません。
小競り合いを含めた局地戦が発生した記録もありません。

よって、推測なりますがこの五丁堀砦、羽柴方の砦として機能していたのではないでしょうか?
・・というのが自分の推測です。
みなさんはどう思われますか?

箸休め程度の内容にしようかと思いましたが、
熱くなるあまり、ついつい語ってしましました。



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テーマ : 城郭
ジャンル : 学問・文化・芸術

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ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

「晩秋」
「秋」、というと皆さんはまず最初に何を連想するのでしょう?
四季がうつろいゆく様子が最も目と肌で感じることができる季節なのではないでしょうか?
今年の秋は久太郎にとっては一段と物悲しい季節になりました。
しかし、その思いが故にまた大切なことを感じる季節にもなりそうです。
でもなんだか秋の歌っていいですよね~。
以前なら、男闘呼組さん達の「秋」を熱唱していたものですが(古いですな)、あ、ナンノちゃんの「秋からもそばにいて」もいいかも?
(それも古いよ(#^ω^))
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