京都山城 槇島城 🏯京での室町幕府終焉を迎えた城

京都山城 槇島城 (京都府宇治市槇島町薗場・城址碑公園と槇島公園)

将軍家を再興するため足利義昭が雄々しく誕生した、記念すべき城館が矢島御所だとしたら
こちら槇島城は義昭の野望潰え、事実上、室町幕府の終焉の地となった城です。

個人的には義昭ほど信長に対し、腐らず、めげず、諦めず抵抗した人物はいないんじゃないかな。
・・そう思う時があります。
実際、信長包囲網を立案、発布、それを受けた諸大名は次々と起動をしたわけです。
それに室町幕府将軍に供奉した御供衆(おともしゅう)も健在です。

並大抵の外交手腕ではできないことです。
金もカリスマも必要とされます。
そして、なにより不屈の情熱が備わっていたのでしょう。

そんな「貧乏公方」、足利義昭に愛着さえ感じるのです。

槇島城は現在、遺構はすべて消失して、何も残っていません。
しかし、城址碑が語るゾーンが2ヶ所あるので紹介したいと思います。
(記事の末尾に地図を添付いたしました。)

makisima (5) 一つは住宅街の中の公園に立つ城址碑です。

makisima (2)この石碑は公園なのになかなか発見しづらい場所にあります。

makisima (4)説明版を読むとすっかり変貌した様子がわかります。

槇島城は、足利将軍家の家臣・真木島氏が本拠としていた城でした。
回りを川で囲まれた天然の要害にもなっていました。

元亀4年(1573)、信長に追われた義昭は、真木島昭光がいる槇島城に居を移します。
しかし、追ってきた信長軍勢の攻撃をうけ、義昭は昭光等と河内国へ逃亡しました。
これにより、城は開城、室町幕府はこの地で滅びます。この戦を槇島合戦と呼んでいます。


いま一つの城址碑は北の方角の槇島公園の隅にあります。

makisima (13) 槙島公園。

makisima (6)美しい花壇の奥にあります。

makisima (9)槙島城記念碑、という城址碑です。

本当に面影も何もあったものではありませんでした。
室町幕府の滅亡、というのに相応しい姿なのかもしれません。
城址碑を探し当てる、そんな楽しみ方が好きな城郭ファン向けの城、といった所でしょう。

槇島城は何も遺構がありませんが歴史的には重要な城です。
この場所に立つと、義昭公に労いの言葉をかけたくなるのです。
しかし、義昭公のほうからはこんな言葉も聞こえてきそうです。

「めげんなよ。」




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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

僕には城がある?
朝夕がひんやりとしてまいりましたね。
3人の息子のバスケットボールクラブ活動をずっと応援してきましたが、この夏に三男が中学生としての活動を終えて以来、なんとなく物足りない週末を送っております。
あなたには「城とマラソンもあるじゃない」と言われればそうなんですが、試合の合間合間にその会場近くの城を訪ねるのが本当に楽しみでした。
・・と思っていたら高校生の次男の試合もぼちぼちあるようですので、今後はそちらにも足を運べそうです。
「えっ!?来なくていい?」
・・まぁ、そういうお年頃でしたね。(そりゃそうだわな)
城もあればマラソンもある!・・でもこれからも陰で応援していきます。
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