越前 亥山城 🏯朝倉氏・大野郡代の重要拠点

越前 亥山城 (福井県大野市日吉町・日吉神社) <市指定史跡>

G.Wは弟クンと越前の城めぐりに行ってきました。
乗り心地がお世辞にもいいといえないジムニーでの兄弟旅。
嫌な顔をするどころかノリノリで付き合ってくれる可愛い弟です。

しかし、お互いにいいオッサンになったものです。
昔からお城めぐりと虫採集は共に気合を入れて出かけます。
今回は兄である自分が組んだツアー計画ですので、張り切りっての行軍です。

九頭竜川に沿って福井県・越前入り。
最初は軽くウォーミングアップを兼ね、平城・亥山城(いやまじょう)から見学です。

e-iyama (4)亥山城址を道路から見ます。

亥山城は現在の日吉神社境内一帯に築かれていました。
比高はそれほどないのですが、平野部の中ではそれなりに微高地といえます。

e-iyama (10)亥山城の城址碑は参道入口にくくりつけられていました。

よく混同されるのですが・・、
大野城から東へ1000メートルにあるこの平城が亥山城(いやまじょう)で、
大野城から西へ1000メートルにある山城が戌山城(いぬやまじょう)です。
かなり紛らわしいので、こちらを別名の「土橋城」と呼ぶ場合もあるようです。

e-iyama (5)
参道入口脇の隣の池が堀の名残りだということです。

e-iyama (9)
日吉神社の参道から。

e-iyama (13) e-iyama (11)e-iyama (12)神のお使い方々、なかなかにぎやかしい雰囲気です。

e-iyama (14)
本丸跡には神殿が祀られています。

戦国時代末には朝倉一族衆筆頭・朝倉景鏡が大野郡司として亥山城に入ります。
天正元年(1573年)朝倉景鏡は、織田信長との戦いに敗れ命からがら逃げ帰った主君・朝倉義景に大野郡へ退き、再起を図るよう進言しておきながら亥山城近くの賢松寺に住まわせて襲撃、朝倉義景は自刃して果てます。

景鏡は後に亥山城の別名「土橋城」からとり、土橋信鏡と改名しました。
信長の一字を拝領(果たして信長公認なんでしょうか?)、朝倉の姓を捨てます。
さすがに「朝倉」姓を自称するには後ろめたかったのでしょうか・・。

しかし、「名は体を表す」とはこのことでしょう。
主君を欺いた裏切り行為は後に起きた越前一向一揆にて討ち死、という因果を招きます。
鏡の法則、即ち、他者におこなったことが、そっくりそのまま自分自身に返ってきたようです。

「鏡」の字だけは捨てずも、そうなる運命を覚悟していたのでしょうか。




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 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

「晩秋」
「秋」、というと皆さんはまず最初に何を連想するのでしょう?
四季がうつろいゆく様子が最も目と肌で感じることができる季節なのではないでしょうか?
今年の秋は久太郎にとっては一段と物悲しい季節になりました。
しかし、その思いが故にまた大切なことを感じる季節にもなりそうです。
でもなんだか秋の歌っていいですよね~。
以前なら、男闘呼組さん達の「秋」を熱唱していたものですが(古いですな)、あ、ナンノちゃんの「秋からもそばにいて」もいいかも?
(それも古いよ(#^ω^))
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