美濃 西保城 🏯西美濃四人衆、といったらこの城の御方が加わる

美濃 西保城 (西保北方城) (岐阜県安八郡神戸町西保・城跡) <町指定史跡>

梅雨も本格的になってきました。
このジメジメ感をぶっ飛ばすには城址めぐりはうってつけ・・でもないです。
集中力がなくなり蜘蛛の巣が顔にかかった瞬間、発狂したくなる時期です。

しかし、相変わらず子息はバスケマンとして、チームメイトと頑張っています。
本日も大垣にて開催された大会2日目に出場しました。
中体連大会を前に弾みをつけたいところです。

nissinohok (1)
大垣女子短期大学が本日の会場です。

いつ雨が降ってきてもおかしくない空模様のなか、城址めぐりに出かけます。
神戸町には2つの平城が存在しています。
いずれも遺構は残っていないようですので、石碑めぐり、という気分です。

nissinohok (5)西保北方城一帯とされる林を眺めます。

城址は町指定史跡となっているものの、個人宅様の敷地となっています。
ですので、外周を取り巻く水路や水田などから城域を把握できるのが関の山です。
畑仕事をしてみえたおばあちゃんに石碑の位置を教えて頂きました。

nissinohok (3)電信柱に隠れていてなかなかみつけられない石碑です。(^-^)/

ぐるぐる歩き回ってようやく発見できた石碑です。↑
、というか最初は視界に入らず、見落としてしましました。
おかげで城域は一周できましたが・・。

nissinohok (4)
このクランク部が城っぽい部分といえばそうでしょうか?

西保城は不破道広によって築かれたといわれます。
3代目城主が不破光治で、土岐氏・斉藤氏・織田信長と仕え、信長の馬廻りとして活躍します。

美濃三人衆、といえば稲葉、氏家、安藤氏、の三氏を指しますが
ままに「西美濃四人衆(四家老)」といった場合には不破氏がこれに加わります。

光治は佐々成政・前田利家と共に府中三人衆と呼ばれ、柴田勝家の与力・目付として抜擢されます。
天正5年(1577年)8月の勝家を総大将とした加賀国平定戦には、三人衆そろって参陣。
天正9年(1581年)2月の京都御馬揃えにも、「越前衆」の一武将として利家らと共に参加しました。

子の直光も父に従い、その名跡を受け継ぎながら各地で転戦したようです。
親子共に信長お気に入りの部将だったと思われます。
賤ケ岳の戦いでは律義に勝家方に味方するも降伏、表舞台から消えていきます。

城はその後、稲葉方通木村勝正が城主となりまた。

不破親子の出生地、そして飛躍の城、と解釈すればなかなか思い入れのある城址ですね。


城址石碑がなかなか発見しずらいので記憶のあるうちに図示しておきます。
(次、「行け」と言われても自信がないので・・)

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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

「晩秋」
「秋」、というと皆さんはまず最初に何を連想するのでしょう?
四季がうつろいゆく様子が最も目と肌で感じることができる季節なのではないでしょうか?
今年の秋は久太郎にとっては一段と物悲しい季節になりました。
しかし、その思いが故にまた大切なことを感じる季節にもなりそうです。
でもなんだか秋の歌っていいですよね~。
以前なら、男闘呼組さん達の「秋」を熱唱していたものですが(古いですな)、あ、ナンノちゃんの「秋からもそばにいて」もいいかも?
(それも古いよ(#^ω^))
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