尾張 長久手大草城 🏯長久手の辻を押さえる城

尾張 長久手大草城 (愛知県愛知郡長久手町熊張溝之杁・郷前)

尾張の大草城が3つ存在することは以前、小牧大草城の記事でふれました。
長久手大草城は瀬戸市と長久手町の境あたりに位置しています。
この間の街道を押さえるのに適した場所だと言えます。

n-ookusa (1)大草城の城山を東から眺めます。

15世紀後期から存在し、当地の土豪・福岡新助の居城とされます。
1579年以降、領主である森武蔵守長可によって改修され
天正12年(1584)、小牧、長久手の戦いで長可没後、廃城になったと伝わります。

美濃・兼山城の森長可の勢力がこの地まで及んでいたのか?、という疑問があります。
これがもし事実なら、三河への中入り作戦の主張、大いに筋が通るというもの。
しかし、実際にはあり得ない話だと思えます。

恐らくは、作戦に先立って、池田・森氏らの根回しに協力姿勢を示していた・・
・・そう、考えた方が自然だと思います。
またそこで反抗的態度を示したのが岩崎城の丹羽氏らだったのではないでしょうか。

n-ookusa (6)
主郭につながる鍵手状の道。

山は近年の造成や開墾などで形が変わっているようです。
どこからどこまでが遺構と見るかはなかなか判別しずらい所があります。
また、個人所有地の区画もありますので見学には注意が必要です。

n-ookusa (5)
頂上の熊野神社手前入口に置かれた城址石碑。

晴天の日中にも関わらず、結構暗い所にあります。
また夏はヤブ蚊がすぐ寄ってきますので、虫よけ対策は必要。
おかげで石碑の裏面をチェックし忘れましたわ・・。(今でも気になる・・)

n-ookusa (4)

n-ookusa (3)

神社周辺には明らかに堀の址や切岸の址も確認できます。
しかし明瞭な遺構はないようです。
城址碑のある西側の丘陵にかなり城址らしい遺構が見られる、との事ですが・・。

n-ookusa (2)
大草児童公園から登ったあたりの切岸と堀切の一部の様子。

やはり宅地造成などの影響を受け、遺構だと言い切れない感じはありますね。
面影を追う分には発想の自由でお任せしたい部分です。
くれぐれも許可なき宅地侵入だけはお控えください。

大草城は小牧・長久手合戦の際にどのような意思表明をしたのか・・。
羽柴方の池田・森らに従い、城と道を素通りさせたのか・・、
或いは彼らをあえて呼び込んだ後に家康に通報したものか・・、

徳川家康公が陣取った色金山は目と鼻の先にあります・・。
しかも大草城の正面に堂々と・・。
なんか匂いますね。(匂うんだよな~)

次回はその色金山をちょっと見学した様子を・・と、思っております。


見つけずらい場所ですので城址碑のある場所をポイントしておきます。

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 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

「晩秋」
「秋」、というと皆さんはまず最初に何を連想するのでしょう?
四季がうつろいゆく様子が最も目と肌で感じることができる季節なのではないでしょうか?
今年の秋は久太郎にとっては一段と物悲しい季節になりました。
しかし、その思いが故にまた大切なことを感じる季節にもなりそうです。
でもなんだか秋の歌っていいですよね~。
以前なら、男闘呼組さん達の「秋」を熱唱していたものですが(古いですな)、あ、ナンノちゃんの「秋からもそばにいて」もいいかも?
(それも古いよ(#^ω^))
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