越前 木ノ芽峠城 🏯歴史の深い北陸街道の要衝城砦群

越前 木ノ芽峠城砦群 (福井県南条郡南越前町板取・木ノ芽峠)

e-kinome (9)木ノ芽峠の直下に設けられた城砦群の鳥瞰図がリアルです。

南越前町にて早朝マラソンに参加すべく例によっての前日入り。
今回はずっと気になっていた木ノ芽峠の城砦群の見学でスタートです。
滋賀県の木之本から北上して栃の木峠へと到着。(一年ぶりです)

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国道365号線から栃の木峠を左折して、林道を進みます。峠のこの巨木トチノキが目印。

木ノ芽峠城は峠を中心に尾根沿いのピークに城郭が複数設けられました。
トップの写真で紹介したように主に4つの城郭遺構が確認できるようです。
今回は当然、全城郭を見学します!、はい。

e-kinome (49)今庄365スキー場から見た城砦群の位置をパノラマにて。

南から順番に見学してきました。
(この順番がくまなく一番早く見学できるコースだと思います)


西光寺丸城 
西光寺真教が立て籠もったと伝わる城砦群の中では最も新しい城。

e-kinome (3) 林道脇の標柱から登るコースがありました。

徒歩2,3分で主郭に到着できるのがうれしいです。
標高が高いためか、湿度もなくさわやかです。但し冬は大変そうです。

e-kinome (34) 主郭部に向かって切岸を登り切ると・・。

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土塁に囲まれた主郭部に到達します。(ササノハで土塁が覆われてしまっていますが)
中央の石碑は立て籠もった大将・西光寺真教の碑です。

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虎口は両脇を土塁で固めているようです。

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ササノハが茂る中には横堀も・・これ以上は見学できませんでした。

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木ノ芽峠城
古くは南北朝時代、それ以前より城砦があったと伝わる歴史ある城。

e-kinome (29)駐車場から歩いていくコースがあります。

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木ノ芽峠は古来より北陸道の要衝として重視されてきました。
戦国時代末期には柴田勝家によって越前~近江間を結ぶ栃ノ木峠が整備されましたが、
木ノ芽峠はそれ以降も重要な峠道として明治まで使用されました。

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峠には明治天皇陛下行幸のおり、口に含まれた御膳水もあります。

御酌もあります。これは一口いただきましょう・・。
・・うん、さっぱりしてて渇いた喉に最高です!
福井県の嶺南・嶺北の分嶺水、実に美味しかったです!

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写真左の山上が木ノ芽峠城があった高台です。

木ノ芽峠城は、峠の茶屋番・前川氏宅の背後の畑地が主郭部です。
訪問した際に、前川さんとはいろいろとおしゃべりをさせていただきました。
個人所有の敷地と県クラスの史跡指定との狭間に諸事情、諸問題、いろいろあるようです・・。

現在は城の案内板も撤去されており(理由不明)、無許可で立ち入ることはできません。
自分は許可をいただきましたが、やはり眺めて良し、としました。
ここは空気を読んだ形をとります。

東側の西光寺丸城との間を守備する出丸もあったようです。
木ノ芽峠城は観音寺丸城と一帯の城であり、木ノ芽峠を挟むように東西に築かれています。
永禄12年(1569年)朝倉義景織田信長の侵攻に備えて家臣の堀二郎三郎を守備に置きます。

天正2年(1574年)越前の一向一揆勢力は織田氏の守護代・桂田長俊(前波吉継)を討ち、木ノ芽峠へ侵攻します。
下間筑後守頼照は番手を置き、翌年信長が再び越前に侵攻したときには、西光寺真教が守備を固めました。


観音寺丸城
実質的に木ノ芽峠城の本丸に相当する規模をもつ城。

e-kinome (15)曲輪内に本尊の十一面観音像が安置されていたことから「観音丸」とも呼ばれます。

この城は木ノ芽峠の北西対面に築城されています。
城の規模は約150m四方と広く、二重の堀切に土塁を巡らした曲輪を持ちます。
周囲の斜面には幾つもの堅堀が備えられ、ここから約500m先の鉢伏城へは尾根道で繋がっています。

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鉢伏城につながる連絡道には土橋を備えた堀切が確認できます。

遺構は残念ながらササノハまるけで確認できませんでした。
木ノ芽峠城より高地のピークに位置することやその遺構規模、鉢伏城との連絡遺構などから
最終的にこの観音寺丸城が主城だった可能性は大です。

e-kinome (19)
観音寺丸城から見下ろす木ノ芽峠と越前国方面の山々。


桂田長俊を滅ぼした一揆衆は加賀国から一向宗の七里頼周を呼んで自らの指導者としました。
越前を平定した後は下間頼照が顕如によって新たな総大将として派遣されます。
これで越前国は実質的な本願寺領となりました。

しかし一揆の主力である地元勢力と大坂から派遣された頼照や七里頼周らとの間は険悪でした。
家臣のように扱われることに不満をもち、反乱がおきるのです。
頼照はじめ本願寺側の勢力はこれを弾圧してしまいました。

天正3年(1575年)夏、織田の勢力が越前に進攻。
地元の一揆勢の十分な協力を得られなかったこともあり、織田方の猛攻に遭い城は落城、
頼照は海路をのがれようとしましたが、真宗高田派の門徒に発見され、首を討たれてしまうのです。

以後木ノ芽峠城一帯は織田方の柴田勝家らの管轄となり、廃城となっていきます。

ちょっと長くなり、疲れましたので続きの鉢伏城は次回の予定とさせていただきます。
最後まで見て頂いた方(みえましたら)、お礼の言葉もございません。
ありがとうございました!



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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

僕には城がある?
朝夕がひんやりとしてまいりましたね。
3人の息子のバスケットボールクラブ活動をずっと応援してきましたが、この夏に三男が中学生としての活動を終えて以来、なんとなく物足りない週末を送っております。
あなたには「城とマラソンもあるじゃない」と言われればそうなんですが、試合の合間合間にその会場近くの城を訪ねるのが本当に楽しみでした。
・・と思っていたら高校生の次男の試合もぼちぼちあるようですので、今後はそちらにも足を運べそうです。
「えっ!?来なくていい?」
・・まぁ、そういうお年頃でしたね。(そりゃそうだわな)
城もあればマラソンもある!・・でもこれからも陰で応援していきます。
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