越前 龍門寺城 🏯府中三人衆の一人、不破光治が入った城

越前 龍門寺城 (福井県越前市本町・龍門寺) <市指定史跡>

木ノ芽峠城砦群から平野部に向かって降りてきました。
ここからはほぼ平城を回るコースになります。
それはマラソン大会前日に無理をしない、という前回での学びあっての故です。

しかし、この暑さの中、見知らぬ市街地を歩き回ることにもなりかねません。
結局、反省しているのか、していないのか、自分でもわからず・・。
わかりませんが、行かずに後悔するのはかえって苦になるというもの。

ということで平城めぐりにシフトした、ということだけでも計画的行動という訳でして。
脚をいたわりつつ、城も愉しむ、それなりに考え抜かれたプランなのであります。

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龍門寺の山門脇には城址石碑、説明版などが集中してお出迎えです。

名前からして城郭寺院であることは察しがつきますが
天正元年(1573年)もともと龍門寺があった所に、富田長繁によって築かれました。

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朝倉氏の家臣であった富田長繁は天正元年(1573年)織田信長によって朝倉氏が滅ぼされると、
信長に降って、府中を領し龍門寺城を居城とします。

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天正2年(1574年)一向一揆では、信長の守護代・桂田長俊(前波吉継)を討ち、魚住景固父子を謀殺して越前一国を支配します。
しかし長繁には混乱した越前一国を取りまとめるほどの器量及ばず
天正3年(1575年)一向一揆の襲撃を受け、家臣に裏切られ討死にします。

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城址は本堂一帯が一段高くなっています。西側の墓地には堀とみられる窪地があります。

天正3年(1575年)越前を再び平定した織田信長は北庄城に柴田勝家を軍団長とし、
越前府中に前田利家・佐々成政・不破光治を勝家の目付・与力として配置します。
この面々は府中三人衆とも呼ばれています。

府中城には前田利家、小丸城には佐々成政ここ龍門寺城に不破光治が入りました

賤ケ岳の戦で戦線を離脱した前田利家ですが、この城で北ノ庄へ落ち行く勝家一行を迎え入れます。
勝家に斬られることを覚悟して相対する利家に、勝家は利家を責めずこれまでの労をねぎらいます。
利家はその寛大な処置に涙を流し、そっと湯漬けを差し出すのでした。

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龍門寺の北面に残る卍が辻です。

卍が辻は屈折した4本の道が交差しており、それぞれが行き止まりに見えるようになっています。
見通しを悪くすることで侵入する敵をを欺く城の施設ではないか、という説もあります。

こういった見所もある龍門寺城でした。



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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

僕には城がある?
朝夕がひんやりとしてまいりましたね。
3人の息子のバスケットボールクラブ活動をずっと応援してきましたが、この夏に三男が中学生としての活動を終えて以来、なんとなく物足りない週末を送っております。
あなたには「城とマラソンもあるじゃない」と言われればそうなんですが、試合の合間合間にその会場近くの城を訪ねるのが本当に楽しみでした。
・・と思っていたら高校生の次男の試合もぼちぼちあるようですので、今後はそちらにも足を運べそうです。
「えっ!?来なくていい?」
・・まぁ、そういうお年頃でしたね。(そりゃそうだわな)
城もあればマラソンもある!・・でもこれからも陰で応援していきます。
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