美濃 御嵩権現山城 🏯白蛇の降らす霧に守られた霧隠城

美濃 御嵩権現山城 (岐阜県可児郡御嵩町御嵩城町・権現山)

9月になって朝夕が急に涼しくなってきました。
日中はさすがに残暑が厳しいのですが、木陰ではひんやりした風が吹き抜けます。
山城の季節がやってまりましたね。

今年の春に御嵩町にある御嵩城を訪ねてみました。
遠征やらマラソンやらで延ばし伸ばしになってしまった地元の城を取り上げます。
郷土の英城たちにスポットを当てていきたいと思います。(やっとここまで来れました)

・・さて、「御嵩城」、というと地誌や口碑などから2つの城が存在します。

1つが、権現山山頂とその一帯に築かれた、御嵩権現山城
そしてもう1つが、「ホンジ山」と訛って伝わる、御嵩本陣山城です。
一般的には展望台が設けられた本陣山城のほうを御嵩城、と呼んでいるようです。

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可児川に面した2つの御嵩城、両城の距離は約500mと至近距離。

これだけ離れていると居館と詰め城、という図式は当てはまらないような気がします。
つまり、本城、支城の関係にこそあるにせよ、別城同士である、といえそうです。

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北東からみた権現山城が今回取り上げる御嵩城です。

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御嵩権現山城は金峰神社とふれあいの森として整備されています。

車で南側の駐車場まで行くことができフリーで利用できます。
残念ながら城址であること示すような標柱や案内板は設けられておりません!
そこはちょっと反省して改善していただきたいものです・・。

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可児川方面から徒歩で登りたい方には遊歩道もあります。

時代によってはこちらの道が大手道だった可能性もあります。
後でのべる、二の郭と出丸の間を通り抜けるコースだからです。

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主郭本丸へと続く急階段を登っていきます。

駐車所から北側の山が本丸と呼ばれ、こちらから見学していきましょう。
中学校の部活の時にウサギ飛びをやらされた自分にとってはあまり見たくない急階段。
しかし、差し込む光の向こうに本丸が待っている、となるとブーストアップするのです。

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主郭本丸部に相当する金峰神社には広い削平地があります。

ここに城址碑があったら最高なんですが・・ね。

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裏の奥にかけて本殿が置かれています。

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掲げられた、龍に注目。ねじり木を上手く利用して彫られています。素晴らしい秀作。

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本丸からは御嵩街道筋や小原方面まで見渡すことができます。

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本丸周囲の切岸は特に斜面が鋭く仕上げられています。

木につかまって昇り降りするのがやっとの急斜面。
本丸の周囲には少し下ったところに複数の腰郭が確認できます。
侵入が危ぶまれる東側から南側にかけてには土塁が伴う郭が備えてあります。

権現山城には南に出丸、と呼ばれる遺構もありますので向かってみます。

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本丸と二ノ丸をつなぐ部分には土塁で塞ぐような喰い違い虎口もみられます。

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本丸の南郭との間の堀切から~の竪堀へ。

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こちらの南側の郭には端部にコの字型の大土塁もあります。

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冒頭で記した大手道らしき道はこの底間へとあがってきます。

先程の大土塁を備えた南郭と出丸の間、直下を通ることになりそうです。
この場所にはおそらく城門や木戸が構えられていたことが想像できます。
そして、この場所が出丸との連結部となる重要な地点となっています。

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本丸部と出丸部をつなぐ連結部を示す案内。

それにしても「本丸」や「出丸」という案内表現を使っているということは・・。
ここが城址、という認識がある、ということでしょう。
・・何故に城址碑を立てないのでしょう?(しつこいですが・・)

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見学しやすい出丸郭と、20メートル以上に及ぶ土塁が見事です。

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斜面には畝状竪堀群がみられますが、う~ん、写真では上手くお伝えできましぇん・・。

主郭部と出丸部だけでも城域の広さがわかります。
公園化や住宅地造成で破壊された部分も含めればもっと広かったのでしょう。
出丸の南にはまだまだ遺構があった模様です。

御嵩城は城主を小栗信濃守としています。
信濃守は天文21年(1552)、甲斐武田氏の臣・平井頼母らと岩村遠山氏と一戦を交えます。
しかし敗退し降伏。以後武田氏に属する事になったといいます。

また地元の伝承によれば・・

小栗信濃守は御嵩権現山城に拠って兼山城の森長可と度々争ったようです。
しかし、城が危うくなると城山の麓の井戸に棲む 権現の使者、白蛇 が霧を降らして城を隠し守りました。
さすがの鬼武蔵・長可も攻めあぐんだようです。

そこで・・長可は奇計を巡らして、城主小栗氏に新たに西方の本陣山に新城を築かせます。
しかし、この本陣山城も完成直前に長可に攻め寄せられ、ついに落城してしまったそうです。
当然、神通力の加護は得られませんでした・・。

「これが長可殿のやり口かぁー!!」

また天正2年(1574)には、明知城救援に向かう途中に織田信長・信忠親子はこの城で宿泊。
恵那郡の武田勝頼勢の状勢を把握したようです。

小里城(瑞浪市)と鶴ヶ城(瑞浪市)が東濃口の最前線であったように、
ここ御嵩城(御嵩町)と兼山城(可児市)が中濃口の要であったことが想像できます。

それにしても森長可は一体どういう条件で信濃守の退城を促したのでしょう?
信濃守に限らず、似た内容で城を明け渡すよう迫られた城主は他にも伝わります。
それは誰でしょうか?、・・追ってまた記事にしたいと思っています。

城址碑がなかったので(まだ言う)、自作の図面を転載してみたいと思います。

mitakezumen.jpg美濃 御嵩権現山城縄張り図 作図:久太郎



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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、昨年4月6日に開設して以来、一年を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

僕には城がある?
朝夕がひんやりとしてまいりましたね。
3人の息子のバスケットボールクラブ活動をずっと応援してきましたが、この夏に三男が中学生としての活動を終えて以来、なんとなく物足りない週末を送っております。
あなたには「城とマラソンもあるじゃない」と言われればそうなんですが、試合の合間合間にその会場近くの城を訪ねるのが本当に楽しみでした。
・・と思っていたら高校生の次男の試合もぼちぼちあるようですので、今後はそちらにも足を運べそうです。
「えっ!?来なくていい?」
・・まぁ、そういうお年頃でしたね。(そりゃそうだわな)
城もあればマラソンもある!・・でもこれからも陰で応援していきます。
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