伊勢 五ヶ所城 🏯目を見張る二重横堀に感動
伊勢 五ヶ所城 (三重県度会郡南伊勢町五ヶ所裏・城山) <県指定史跡>
あいにくの雨の中、伊勢に城見学に行ってまいりました。
どうやら、晴れを祈り過ぎて、「雨乞い」ととられたようです・・。
前日の天気予報ですでにテンションが⤵⤵下がる中、お構いなしの人物これあり。
延期を打診するも、断固たる決意の城友・日向さんからの出陣要請です。
「雨」には「雨」の良さがある、妙に説得力のある意見に軍議はまとまりました。
自分は良き相方に恵まれているようです。
そんな意欲的格言に応えるべく久太郎(今回当番)が計画した城は3つの城館。
まず最初は奥伊勢を代表する名城、五ヶ所城です。
雨ということで手短でしたがとても素晴らしい遺構に出会えました。
城山橋から望む五ヶ所城の城山。
車での橋の通行、ちょっと要注意です。
ゆっくりと進入していただければ普通車以下なら大丈夫でしょう。
愛洲の館・展示資料館の無料駐車場をお借りしました。(後ほど寄ります)
「鍛錬の段」といわれる急階段を登って登城します。
いきなり、きっつい階段ですが、鍛える、と思って登りました。
相当な急勾配に無理くりつけた階段ですので、自分のペースで登ります。
珍しく日向さんがハイペースで登っていっちゃいました。
城址へは「あいすクン」が案内してくれます。
・・試合にでも勝ったのでしょうか?すごい飛び跳ね方です。
喜び方がハンパない少年剣士、「あいすクン」。
どことなく、我々の気持ちをぐっと掴む、何かを持っていますね。
ふたたび、「あいすクン」です。仕事してます。
遺構が現れました。
おや、主郭を取り巻く腰郭かな?
日向さんと近づいてみると・・。
主郭周囲を取り巻き巡る土塁と横堀でした。
手入れが行き届き、土塁も横堀も見学しやすいです。
本丸に到着しました。
剣祖・愛洲移香斎生誕の地の碑が立っています。
剣豪の祖というべき愛洲移香斎久忠は、この地で出生したとのこと。
移香斎は、九州鵜戸の岩屋に立て籠もって剣の奥義を悟り、愛洲影流を創設します。
愛洲影流は、上泉伊勢守信綱により新陰流となり、さまざまな剣道の流派へと受け継がれます。
(後ほどもう少し詳しく・・)
五ヶ所城は康永年間(1342年~1345年)に愛洲氏によって築かれたと云われます。
別名を愛洲城、と呼ばれ、南北朝時代は南朝方として北畠氏に属し北朝方と戦いました。
天正4年(1576年)田丸城主で北畠氏の養子となった織田信雄によって攻められ愛洲氏は滅亡します。
素晴らしい・・、隷書体で彫り込まれた文字に生命感を感じます。
(自分だけか・・)
主郭からみた二重横堀とそれぞれを画す大土塁です。
土塁は厚みがあり、天端を歩行移動できたことがわかります。
とても良く作り込まれた横堀が巡っています。
土塁から本丸を見ます。場所によっては本丸と高さが同じかそれ以上あるように思えます。
一通り見学を終えたら、雨を避けるように愛洲の館に駆け込みました。
こちらの資料館、是非セットで見学したいものです。
剣祖・愛洲移香斎に関する剣道の歴史に関する展示や五ヶ所城の模型が見所です。
愛洲移香斎ゆかりの刀をはじめ、開眼伝説、等々、ゆっくり見学できます。
資料館の館内の方がとても親切に説明してくださいました。(客が他にいなくて?)
剣術流派の系統紹介もとても勉強になりました。
新陰流となり上泉伊勢守信綱から、さまざまな剣道の流派へと受け継がれていきます。
柳生石舟斎 によって剣術の新陰流へと発達、
丸目長恵によって新陰流から創始されたタイ捨流(タイしゃりゅう)、
東郷重位によって薩摩藩を中心に伝わった古流剣術示現流(じげんりゅう)、
宝蔵院胤栄による十文字槍を使用した宝蔵院流槍術への影響、等々・・。
皆さんご存知の人物・流派ばかりではないでしょうか?
まさに剣術・兵法・武道の祖、といえるでしょう。
先程までイジッていたあの、「あいすクン」もきっと立派は剣士なのでしょう。
雨の日はゆっくりと資料館を見学するのもいいものです。
当時の城館の様子がとても精巧に作られ、いいですね~。(^ω^)
この模型は相方・日向さんもかなりお気に入りなご様子でした。
やはり、現地に行った後で確認の意味で見ると一層楽しめますね。
晴れた日は五ヶ所湾も近くに見えるようでしたが、今回はあいにくのお天気で×でした。
しかしまさに愛す(愛洲)べき歴史に触れる城館散策ができました。
・・こんなダジャレも雨に流していただいて、次の城へと向かうのでありました。
「雨には雨の良さがある」、・・本当ですね。
あいにくの雨の中、伊勢に城見学に行ってまいりました。
どうやら、晴れを祈り過ぎて、「雨乞い」ととられたようです・・。
前日の天気予報ですでにテンションが⤵⤵下がる中、お構いなしの人物これあり。
延期を打診するも、断固たる決意の城友・日向さんからの出陣要請です。
「雨」には「雨」の良さがある、妙に説得力のある意見に軍議はまとまりました。
自分は良き相方に恵まれているようです。
そんな意欲的格言に応えるべく久太郎(今回当番)が計画した城は3つの城館。
まず最初は奥伊勢を代表する名城、五ヶ所城です。
雨ということで手短でしたがとても素晴らしい遺構に出会えました。
城山橋から望む五ヶ所城の城山。
車での橋の通行、ちょっと要注意です。
ゆっくりと進入していただければ普通車以下なら大丈夫でしょう。
愛洲の館・展示資料館の無料駐車場をお借りしました。(後ほど寄ります)
「鍛錬の段」といわれる急階段を登って登城します。
いきなり、きっつい階段ですが、鍛える、と思って登りました。
相当な急勾配に無理くりつけた階段ですので、自分のペースで登ります。
珍しく日向さんがハイペースで登っていっちゃいました。
城址へは「あいすクン」が案内してくれます。
・・試合にでも勝ったのでしょうか?すごい飛び跳ね方です。
喜び方がハンパない少年剣士、「あいすクン」。
どことなく、我々の気持ちをぐっと掴む、何かを持っていますね。
ふたたび、「あいすクン」です。仕事してます。
遺構が現れました。
おや、主郭を取り巻く腰郭かな?
日向さんと近づいてみると・・。
主郭周囲を取り巻き巡る土塁と横堀でした。
手入れが行き届き、土塁も横堀も見学しやすいです。
本丸に到着しました。
剣祖・愛洲移香斎生誕の地の碑が立っています。
剣豪の祖というべき愛洲移香斎久忠は、この地で出生したとのこと。
移香斎は、九州鵜戸の岩屋に立て籠もって剣の奥義を悟り、愛洲影流を創設します。
愛洲影流は、上泉伊勢守信綱により新陰流となり、さまざまな剣道の流派へと受け継がれます。
(後ほどもう少し詳しく・・)
五ヶ所城は康永年間(1342年~1345年)に愛洲氏によって築かれたと云われます。
別名を愛洲城、と呼ばれ、南北朝時代は南朝方として北畠氏に属し北朝方と戦いました。
天正4年(1576年)田丸城主で北畠氏の養子となった織田信雄によって攻められ愛洲氏は滅亡します。
素晴らしい・・、隷書体で彫り込まれた文字に生命感を感じます。
(自分だけか・・)
主郭からみた二重横堀とそれぞれを画す大土塁です。
土塁は厚みがあり、天端を歩行移動できたことがわかります。
とても良く作り込まれた横堀が巡っています。
土塁から本丸を見ます。場所によっては本丸と高さが同じかそれ以上あるように思えます。
一通り見学を終えたら、雨を避けるように愛洲の館に駆け込みました。
こちらの資料館、是非セットで見学したいものです。
剣祖・愛洲移香斎に関する剣道の歴史に関する展示や五ヶ所城の模型が見所です。
愛洲移香斎ゆかりの刀をはじめ、開眼伝説、等々、ゆっくり見学できます。
資料館の館内の方がとても親切に説明してくださいました。(客が他にいなくて?)
剣術流派の系統紹介もとても勉強になりました。
新陰流となり上泉伊勢守信綱から、さまざまな剣道の流派へと受け継がれていきます。
柳生石舟斎 によって剣術の新陰流へと発達、
丸目長恵によって新陰流から創始されたタイ捨流(タイしゃりゅう)、
東郷重位によって薩摩藩を中心に伝わった古流剣術示現流(じげんりゅう)、
宝蔵院胤栄による十文字槍を使用した宝蔵院流槍術への影響、等々・・。
皆さんご存知の人物・流派ばかりではないでしょうか?
まさに剣術・兵法・武道の祖、といえるでしょう。
先程までイジッていたあの、「あいすクン」もきっと立派は剣士なのでしょう。
雨の日はゆっくりと資料館を見学するのもいいものです。
当時の城館の様子がとても精巧に作られ、いいですね~。(^ω^)
この模型は相方・日向さんもかなりお気に入りなご様子でした。
やはり、現地に行った後で確認の意味で見ると一層楽しめますね。
晴れた日は五ヶ所湾も近くに見えるようでしたが、今回はあいにくのお天気で×でした。
しかしまさに愛す(愛洲)べき歴史に触れる城館散策ができました。
・・こんなダジャレも雨に流していただいて、次の城へと向かうのでありました。
「雨には雨の良さがある」、・・本当ですね。
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