三河 仁連木城 🏯戸田氏の盛衰を物語る城

三河 二連木城 (愛知県豊橋市仁連木町・大口公園)

「二連木城」は「仁連木城(にれんぎ)」とも記すそうですが・・。
ぱっと見すると、二連休、という土日休みが染みついた我が身です。
、ということでやはり「二連木」で表記していきます。(訳なきこだわりに大差は無い)

前回、船形山城の項にて多米氏の船形山城に対して戸田氏の築城の件に触れました。
そう聞くと、ここ二連木城も是非とも見学したい城址、ということになるでしょうか。
城址は大口公園となっているので散策気分で見学してきました。

nirenngi (2)1本丸周辺は大口公園となっています。

nirenngi (1)
こちらは建て替えられた石碑でしょうか?(船形山城では字が消えかかっていましたから・・)

知多・渥美の両半島を股にかけ、三河湾の制海権をほぼ確立させた戸田宗光
彼はさらなる版図の拡大を目論み、渥美から北進する決意を固めます。
明応2年(1493年)、渥美郡北端の二連木城を築城し、船形山城に対抗します。

宗光は船形山城をめぐる今川方との戦いで討ち死にしてしまします。
その後、戸田宗光の嫡男・憲光はその後今川氏に帰順し、牧野古白今橋城を攻め落とします。
憲光は二連木城戸田政光今橋城戸田宣成を入城させます。

nirenngi (3)
主郭部内は周囲を土塁で囲まれた曲輪がよく残っています。

nirenngi (4)
幅、高さもある分厚い土塁で、下には横堀がめぐっています。

nirenngi (5)愛知県公認、こちらがオフィシャルな石碑なんでしょう。

甲斐の武田氏が三河に南下した折にも今橋城の前衛砦として機能したようです。
平城とはいえ、台地上に築かれ、幾重もの土塁と堀に囲まれた要害であったのでしょう。
市街地となり、公園化された現在でもその雰囲気は伝わってくるものがあります。

全周に渡った土塁と堀、現在でも確認できる公園周囲の反り返った高切岸・・。
戦いに備えられた改修の址がみられ、一過性の城でなかったことは容易に推察できます。



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 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
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おかげさまで、開設以来、3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

24時間戦えますよ
今年のゴールデンウィークはなんとか2日のお休みが取れました!
一日は久しぶりに家族全員にて本格アスレチックとテニスで汗を流しました。
もう一日は弟クンと丹波地方へ城めぐりに行けました。
渋滞を避けるため前日の夜から出発し、現地では早朝から山城を立て続けで攻め登ります。
4つの山城と2つの平城の見学をして帰宅したのは深夜12時。
次の日はいたる所が2日分の筋肉痛・・。
24時間戦えますか?と聞かれたら・・。
城のためなら(なんとか)戦える久太郎でありました。
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