淡路 洲本城 🏯淡路水軍の山上要塞を歩きました

淡路 洲本城 (兵庫県洲本市小路谷・三熊山) 《国指定史跡》
【続日本100名城】

この日、午前中にすもとマラソン大会を走り終え、ルーラしてきたのがここ洲本城です。
淡路島に来た以上なにがなんでも見学したい淡路の代表的城郭です。
前日の雨と引き換えの強風でしたが、晴れなら申し分ありません、さっそく見学です。

sumoto (4)洲本城石碑と御殿跡の櫓台越しにみる三熊山山上の洲本城。

sumoto (16)

山頂部の「上の城(かみのしろ)に対する山麓の「下の城(しものしろ)」も整備されています。
阿波徳島藩の蜂須賀氏・重臣の稲田氏が城代となって由良城から移りました。
以後、幕末まで「御殿」と呼ばれる政庁として使用されました。

sumoto (1)東西に長い総石垣の大要塞です。

sumoto (5)
南の丸の石垣は長城のように長く美しいラインで構成されています。

sumoto (2)西の丸方面から見た本丸主郭部と大阪湾。

洲本城は室町時代後期に安宅氏によって築かれました。
戦国期の安宅氏、というと三好長慶の実弟、安宅冬康が有名です。
安宅氏に養子に入り、淡路とその水軍を統括しました。

当時、洲本城では三好四兄弟長慶・義賢・冬康・一存)が一堂に集まり、
「洲本会議」が開かれ、機内制圧の作戦が話し合わされたと言います。
四兄弟による合議政策は薩摩での島津氏と似ていますね。(体質内容は違いますが)

四兄弟、いずれも優れた政略力と統率力を持ち合わせていたようです。
(実は5兄弟?あと一人の彼については後ほどの志知城記事にて・・)

しかし、暗雲が立ちこめ、兄弟は相次いで死去、
冬康も兄・長慶との仲違いによって殺害されてしまいました。
三好氏は急激にその勢力を失い、家臣の松永氏が台頭していきます。

sumoto (13)
本丸へと続く広い石段からは洲本城の威風を感じます。

sumoto (12)
大石段から本丸への内桝形虎口も堅固。

sumoto (6)
本丸南側の石垣は最も安定感があり、石垣の反りも美しいです。

sumoto (8)
本丸の西面から天守台を見上げます。着きました(*^_^*)。

sumoto (9)
本丸北口の搦手虎口、こちらも堅固な内桝形門です。

sumoto (11)1928年(昭和3年)に築かれた復興天守は国内最古!

2013年(平成25年)には天守、天守台の補強工事も行われました。
鬼瓦が独特な天守は小さいながらも迫力抜群、洲本市のシンボルです。
町のどこからでも仰ぎ見ることができ、洲本市民さん、羨ましい限りです。

sumoto (10)天守より見る眺望は反則級の素晴らしさ!です。

城下町が一望できるのは当然ですが、それと遠くまで見渡せる大阪湾です。
洲本城が水軍の城として海を意識していたことがここに立つことで自ずと理解できます。
大阪湾を西から直接制すことができるのはここ洲本城だけです。

そして洲本城に来たからにはこの遺構を拝まないといけません。(半強制)

sumoto (7)
山の要害性を利用した「登り石垣」と呼ばれる遺構です。

二条の石垣が北斜面に向けて階段状に構えられています。
文禄・慶長の役で日本軍が朝鮮の地に築いた「倭城」に見られる遺構です。
恐らく朝鮮の役での教訓技術を活かした脇坂安治によるアイデアかと思われます。

sumosumo.jpg
登り石垣に仕寄るワタクシ、久太郎です。そのスケールお伝え能いますかね?
(写真提供:日向さん)

「登り石垣」は国内では伊予松山城近江彦根城の3例が挙げられます。
その中で洲本城のように階段状のものはありませんので、貴重な遺構です。
間近での見学は斜面の為、登攀がキツイのですが、下からでも充分見学できますよ。

ここで洲本城に関わった戦国の城主たちについて少々・・。
安宅冬康については冒頭下で触れました)

安宅冬康の死後は嫡男・信康が淡路国の水軍の総指揮官となります。
安宅信康は元亀3年(1572年)に足利義昭及び織田信長に降伏してその臣下となります。
天正5年(1577年)には木津川口の戦いにおいて毛利水軍と戦いました。

天正9年(1581年)信康の弟・安宅清康羽柴秀吉に破れ降伏します。
信長に所領を安堵されたようですが、程なくして所領を没収されて紀伊国に追放されたようです。
そして同年中に病死したため淡路安宅氏はここに滅亡した、と伝わります。
(紀伊国に追放される武将は高野山組をはじめ皆不遇の最期ですね・・。)

天正10年(1582年)には仙石秀久が城主となります。
秀久にとってはそれまでの戦功が格別に認められた処遇であったようです。
しかし秀久は城郭の改修に手を加える余裕もないまま讃岐高松へ移りました。

天正13年(1585年)、脇坂安治が城主となり洲本城を大改修していきます。
安治は24年もの間在城して、洲本城を石垣を用いた近世城郭へと改修しました。
現存している洲本城の遺構は戦闘経験の深い脇坂氏時代の色彩が濃く現れているでしょう。

sumoto (17)
ここから大型安宅船が巡航している姿がみえたのでしょうか。美しい大浜でした。

洲本城見学では水軍拠点としての性格を鮮明に感じ取ることができました。
また歴戦の城主たちが常に戦闘を意識した戦国城郭として関わったことも感じました。
城友・日向さんと強風に耐えながら俯瞰した町並みが強く印象に残りました。

大坂湾と紀淡海峡を押さえる巨大水軍要塞、洲本城でした。
(サイコーでした♪───O(≧∇≦)O────♪)



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

石垣派と石碑派?

しんこうさんへ

コメントいただきありがとうございました。
洲本城は本当に素晴らしい石垣の城郭でした。
写真は下手くそなのですが、心を打つ箇所は共通しているかと思います。
どの写真も感動に震えながら撮った写真ばかりです。
なので多少の見苦しさはお許しくださいませ。

石垣派のしんこうさんなら是非とも足を運んでいただきたい城です。
復興天守は他よりも小さくて見栄えもしませんが実に堂々としていましたし
視野に収まる実戦向きの縄張りにも感動しますよ。

私は土の城も石垣の城も同じくらい好きなのですが、それと同じくらい城址石碑が大好きです!(えへへ(〃´∪`〃)ゞ)
例えば・・、遺構が何も残っていない城跡でも城址碑が立っていれば、その石碑の立ち具合次第では名城に匹敵するくらい好きなんです。
城址碑を何分も眺めていることもよくあります(笑)。

・・変わってますよね・・。病気かもしれません。

またしんこうさんの投稿も楽しみにしておりますね。
いつもありがとうございます。

久太郎より

No title

久太郎 さま

こんにちは、しんこうです。

僕はどちらかというと土よりも石垣派なので、洲本城はぜひとも登場したい城のひとつなのです。
洲本城は石垣がすばらしい城と聞いているので、名古屋に勤務していた時期に、名古屋から長崎に帰省するときに四国経由で帰ろうかと考えていたこともあるぐらい、興味のある城なのです。

特に4、6枚目の写真あたりは、すばらしい石垣で写真を見ているだけでドキドキしてきます。5枚目は絵になる景色ですね。登り石垣があるとは知りませんでした。

また投稿楽しみにしてます。
では




プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、開設以来、3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

24時間戦えますよ
今年のゴールデンウィークはなんとか2日のお休みが取れました!
一日は久しぶりに家族全員にて本格アスレチックとテニスで汗を流しました。
もう一日は弟クンと丹波地方へ城めぐりに行けました。
渋滞を避けるため前日の夜から出発し、現地では早朝から山城を立て続けで攻め登ります。
4つの山城と2つの平城の見学をして帰宅したのは深夜12時。
次の日はいたる所が2日分の筋肉痛・・。
24時間戦えますか?と聞かれたら・・。
城のためなら(なんとか)戦える久太郎でありました。
最新登城記事
カレンダー
04 | 2018/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数