丹波 籾井城 🏯「丹波の青鬼」伝説に包まれた要衝
丹波 籾井城 (兵庫県篠山市福住北山)
束の間のG.W 丹波・鬼将たちの城を訪ねて・その①
その名の通り、「束の間のゴールデンウィーク」は丹波地方に駒を進めました。
同乗してくれたのは弟クン、昨年の越前地方城めぐり以来でしょうか。
昔話に華を咲かせ、昔アニメや戦隊モノのテーマソングを唄いながらの深夜行軍。
ヤバいテンションでどうなることやら・・。
第一弾は丹波・籾井城です。
時間的な都合もあり、ほぼ「ダイジェスト備忘録」的な記事です。
あらかじめご承知おきを・・。
田植え準備、心が落ち着く福住の歴史を感じる景観です。
「丹波の青鬼」と称され丹波では赤鬼・赤井直正と並んで武勇に優れた籾井教業。
今日でもその名は勇猛な武将として伝承されていますが・・、
どうも教業の名に関してはその実在が疑われつつも語り継がれているようです。
・・また私事ですが・・
某SLGでは丹波波多野氏でプレイを始めると教業に赤井直正・荒木氏綱を加え「鬼備え」を編成。
強面切り込み隊長としてバリバリ野戦で活躍させたお馴染み武将でもあります。
・・話しを戻します(ここはサクッと)。
実際は天正年間の明智光秀の侵攻に対した時の城主は籾井綱利であったようです。
天正4年11月(1576)、激戦に次ぐ激戦の末、明智光秀軍の侵攻を押し返します。
しかし翌年、再度(天正5年10月)押し寄せた光秀軍によって落城し、城主・綱利は自刃しました。

支峰を持つ城郭です。
橋のたもと、城山麓の城址石碑。(小さいので地面からあおって撮影(^∇^))
禅昌寺の墓地・駐車場に向かう道の左側に登山口があります。
草木に覆われ、見落としやすい感じです。
見落としがちな登山道案内。
途中、忠魂碑の前には大砲が・・。

なだらかな遊歩道が整備されていて登りやすいです。


主郭につながる各尾根にはキチンと堀切が設けられているのです。

本丸の切岸を手前の曲輪から観察します。

本丸に到着。「籾城公園」の石碑が中央土壇にあります。・・「井」の字はどした?

北に続く曲輪群は見通しがよくて見学しやすいです。
籾井城、最大の見所であろう、北尾根を分断する大堀切。
この堀切の見所は人一人が通るのに限った土橋。
そしてその土橋の片側を竪堀として削り落としている所です。
他にあるようで、あまりお目にかかれない珍しい「技あり」遺構といえます。
土橋、ちょっとアップしてみました。( ^o^)
籾井教業は籾井氏・旧臣の子孫が書き残したという記載から生まれた創作人物なのかもしれません。
しかし、京都から丹波へ入口にあたるこの要衝、籾井氏と光秀軍が持てる力と知恵をぶつけ合った故からの壮絶な物語が「青鬼・籾井教業」を生んだのかもしれません。

遠くから見ると、森のように見える一本の大杉、「安田の大杉」。
籾井城の西の麓に立つこの大杉は推定樹齢700~800年だそうです。
人同士の争いも営みも、ずっと見続け、見守ってきた生き証人といえます。
その物語を知っているのなら聞かしてていただきたいものです・・。
兵庫県から近い、とはいえない他県の久太郎ですが、この城を訪れるのは今回で3回目。
自分でも何故だかはわかりませんが、惹きつけられる雰囲気があります。
それはどこか懐かしく、心和む里全体の変わらない姿からくるものなのでしょう。
束の間のG.W 丹波・鬼将たちの城を訪ねて・その①
その名の通り、「束の間のゴールデンウィーク」は丹波地方に駒を進めました。
同乗してくれたのは弟クン、昨年の越前地方城めぐり以来でしょうか。
昔話に華を咲かせ、昔アニメや戦隊モノのテーマソングを唄いながらの深夜行軍。
ヤバいテンションでどうなることやら・・。
第一弾は丹波・籾井城です。
時間的な都合もあり、ほぼ「ダイジェスト備忘録」的な記事です。
あらかじめご承知おきを・・。

「丹波の青鬼」と称され丹波では赤鬼・赤井直正と並んで武勇に優れた籾井教業。
今日でもその名は勇猛な武将として伝承されていますが・・、
どうも教業の名に関してはその実在が疑われつつも語り継がれているようです。
・・また私事ですが・・
某SLGでは丹波波多野氏でプレイを始めると教業に赤井直正・荒木氏綱を加え「鬼備え」を編成。
強面切り込み隊長としてバリバリ野戦で活躍させたお馴染み武将でもあります。
・・話しを戻します(ここはサクッと)。
実際は天正年間の明智光秀の侵攻に対した時の城主は籾井綱利であったようです。
天正4年11月(1576)、激戦に次ぐ激戦の末、明智光秀軍の侵攻を押し返します。
しかし翌年、再度(天正5年10月)押し寄せた光秀軍によって落城し、城主・綱利は自刃しました。



禅昌寺の墓地・駐車場に向かう道の左側に登山口があります。
草木に覆われ、見落としやすい感じです。





なだらかな遊歩道が整備されていて登りやすいです。


主郭につながる各尾根にはキチンと堀切が設けられているのです。

本丸の切岸を手前の曲輪から観察します。

本丸に到着。「籾城公園」の石碑が中央土壇にあります。・・「井」の字はどした?

北に続く曲輪群は見通しがよくて見学しやすいです。

この堀切の見所は人一人が通るのに限った土橋。
そしてその土橋の片側を竪堀として削り落としている所です。
他にあるようで、あまりお目にかかれない珍しい「技あり」遺構といえます。

籾井教業は籾井氏・旧臣の子孫が書き残したという記載から生まれた創作人物なのかもしれません。
しかし、京都から丹波へ入口にあたるこの要衝、籾井氏と光秀軍が持てる力と知恵をぶつけ合った故からの壮絶な物語が「青鬼・籾井教業」を生んだのかもしれません。

遠くから見ると、森のように見える一本の大杉、「安田の大杉」。
籾井城の西の麓に立つこの大杉は推定樹齢700~800年だそうです。
人同士の争いも営みも、ずっと見続け、見守ってきた生き証人といえます。
その物語を知っているのなら聞かしてていただきたいものです・・。
兵庫県から近い、とはいえない他県の久太郎ですが、この城を訪れるのは今回で3回目。
自分でも何故だかはわかりませんが、惹きつけられる雰囲気があります。
それはどこか懐かしく、心和む里全体の変わらない姿からくるものなのでしょう。
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