FC2ブログ

丹波 八上城 🏯「丹波富士」高城山の巨大城郭

丹波 八上城 (兵庫県篠山市八上内・高城山) <国指定史跡>
束の間のG.W 丹波・鬼将たちの城を訪ねて・その③

その名の通り、「束の間のゴールデンウィーク」は丹波地方に駒を進めました。
同乗してくれたのは弟クン、強引な兄をもったばっかりに・・。
昔話に華を咲かせ、昔ドラマや特撮ヒーローモノの主題歌を唄いながらの深夜行軍。

密閉空間を幸いににかなり危ないヤツらでどうなることやら・・。
第3弾は丹波・八上城です。
時間的な都合もあり、ほぼ「ダイジェスト備忘録」的な記事です。
何度もお断りいたしますがご承知おきを・・。

t-yagami(18).jpg秀麗な山容は実にシンボリックで周囲からも目を引きます。

写真手前の山上には支城・法光寺城があります。
八上城の出城・別郭ともいえる砦で、他にも周囲には沢山の支城が構えられています。
そういった意味ではこれら支城も含めて「八上城城砦群」といってもよいでしょう。

t-yagami(2).jpg大体はここから登ることになるであろう、春日神社口の案内板です。

t-yagami(4).jpg丹波篠山五十三次シリーズの石碑は統一感があって良いです。
(籾井城も細工所城もこの手の石碑でした)

t-yagami(3).jpg主郭部周辺の縄張り図も図示されています。

ここで写メを撮って頂上付近で確認しながらの見学なんかがおススメです。
特に行きと帰りを別々のルートをとる、という方は迷わずに済むと思います。
一つの尾根と谷を間違えると大変な目に遭う巨大城郭ですから・・。

t-yagami(5).jpg
駐車場とトイレがあるのですが・・

お車での駐車場は上手く停めたとしても2台がギリギリ・・。
早い者勝ちです。先越されたら2時間くらい空かないですから・・。
自分達もほぼ同時にみえた方と調整して、後に出る方の車を塞ぐ形をとりました。
(これ結構プレッシャー(汗))

t-yagami(6).jpg
先遣の弟クン、一般人?の彼のペースでゆっくり登ります。

t-yagami(7).jpg
下の茶屋丸からの眺め、この景色でもまだまだ序の口?

t-yagami(8).jpg
長~い尾根沿いに整備された登山道に閉口しながらもファイトです!

t-yagami(9).jpg
右衛門丸に到着すると石垣が現れて、ちょっと元気が出ました。

t-yagami(10).jpg
三の丸、二ノ丸を経て本丸に到達間近。ここで振り返って景色を眺めます。

t-yagami(11).jpg丹波・篠山城がはっきりと確認できます。

・・といっても八上城が機能していた頃には篠山城はまだ存在しなかったのです。
何気ない時代の移り変わりを感じる風景です。
住宅生活圏と田畑耕作圏がはっきりと分かれている町づくりも面白く感じました。

t-yagami(14).jpg
本丸に到着しました。

t-yagami(15).jpg中央にずっしりと存在する波多野秀治公の碑。

天正3年(1575年)、織田信長の部将・明智光秀による丹波攻略の際、当初波多野氏は明智光秀に恭順の姿勢をとっていました。
しかし翌年、黒井城に攻め寄せた明智光秀に突如叛き、荻野氏と結んでこれを挟撃。光秀勢を丹波より追い落とします。
当然ですが 天正5年(1577年)再度明智光秀が丹波へ侵攻、八上城は厳重に包囲されました。

t-yagami (1) 漢文説明を解読中の自分。
・・理解しているかどうかはかなり疑わしい。(写真提供:弟クン)

籠城戦は約半年にも及びましたが、ついには秀治ら三兄弟が降伏、召し捕えられ落城しました。
三兄弟として波多野秀治・秀尚・秀香の名が伝わっています。

秀治らは丹波の入り組んだ山岳地帯を巧妙に利用して明智軍を翻弄します。
各支城とも堅固な構えを構築、織田軍の猛攻に1年半にも亘って耐え抜きました。
しかし長期の籠城戦で兵糧も尽き、光秀の調略で織田氏に寝返る諸豪族も出たようです。

t-yagami(17).jpg岡田丸に降りると本丸の石垣を見学できます。(((o(*゚▽゚*)o)))

t-yagami(16).jpg
古城感に溢れ、何かを語りかけてくるような石垣ですね。

t-yagami(12).jpg
中世山城の遺構もしっかりあります。

上の写真は自分が特に感じ入った、本丸東側の大堀切から~の、大竪堀です。
南北に長く大きく落とされていて、東口遮断の要となっています。

t-yagami(13).jpg
ちょっと神秘的な雰囲気の朝路池。

南東方向に降りて行くと二つの尾根に間の曲輪に「朝路池」があります。
落城の際に朝路姫が入水して自殺したと伝えられています。
・・と聞くと、ちょっと写真なんかも撮るの、控えたくなるのですが・・。

この山頂近くに湧き出て、枯れない、という点では取水遺構として見てもよさそうです。
・・しかし、人質として差し出した光秀の母が磔になったと伝わる松の跡・。
さすがに、ここではお写真が撮れません・・。(まぁ、本当はどうなのかわかりませんが・・)

尚、その後は明智光忠(明智光秀の叔父にあたる明智光久の子)が城代となりました。
彼は天正3年(1575年)の丹波過部城攻めで、織田信長より感状を下された功績もあるようです。
貴重な明智一門衆の・筆頭格の一人だったことは間違いないでしょう。

丹波を代表する大城郭、八上城は見所も多く、堅城ぶりが体感できます。
この城では攻め手の気持ちになって見学するよりも波多野氏ら籠城側の気持ちになってみるとまた味があります。
果たして光秀への突然の背信、何が彼らをそうさせたのでしょう?

萩野氏との結託、丹波国衆との折衝、丹波が誇る大要塞・・。
やはり「呼び込み戦法」は当初からの狙いだったのでしょうか?
この後に巡ることになる「黒井城」との関係が鍵を握っているような気がしました。


八上城の春日神社登城口を示しておきます。(駐車場はほぼ一台しか停められません・・)

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

兄弟というより分身。

コメントいただき」ありがとうございます!

それまで順風満帆だった光秀の人生はこの丹波攻めから大きく変換し、本能寺へとつながっているような気がしてなりません。
そんな八上城、駐車場が一台しかないことに地元の関係者も今から頭を抱えていらっしゃいました。

時に・・実はワタクシ、この趣味のきっかけは父が姫路城や松本城などに連れてってくれたのがそうなんですが・・。
細かい?無銘に等しい城めぐりをするようになったのは弟クンとの城めぐりからだったのです。先行者は弟クンのほうなんです。

弟とは小学校、中学校、高校、大学まで一緒で(ほんと偶然ですが)
学部も一緒、結婚した年も一緒、子供三人男子まで一緒、というキモイほどキセキ的な兄弟なのかもしれません。

戦国武将たちの兄弟の中には時に争いあったりもしますが、時代が時代だったら仲良くできたのだろうな~と思うとちょっと切ないです。

月山富田城には私もまた行きたいと思っています。
一泊交通費と諸経費で「我に七万八千」を与えたまえ~。

麗しき兄弟愛

真田丸で本多佐渡守を演じた近藤正臣がその昔「国盗り物語」で強烈な明智光秀を演じた事を覚えているのは、昭和世代の証であろうか・・。

それにしてもお亡くなりになられた西城秀樹さんの歌で一番好きだったのは「ブルースカイ・ブルー」。心に沁みるいい歌でした。
「ギャランドゥ」の意味を知ったのはその後しばらくしてである・・・(なんのこっちゃ…笑)

話が脱線するのは日常の茶飯事なのだが(友人がちゃめしごとと言っていたのは意味不明)、中国方面軍の司令官光秀の丹波平定に必ず登場するのは八上城と波多野三兄弟。団子三兄弟との違いはいまだ不明だという。
そんな山城にスーッと行っちゃう貴殿がうらまやしい羨ましい。

ざっくりのレポートありがとうございました。
生きてるうちに絶対行くぞ!「おう!!」(誰よ、アンタ・・・笑)

月山富田城が最近整備され過ぎて凄い事になっていると聞き及びました。
我が家のルーツは尼子氏に関連するらしいのですが、実際は眉唾ものですw
手遅れになる前に訪問してみたいものです。

貴殿の崇高なブログのコメント欄での身勝手な振る舞い、お赦しください・・・(笑)
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

最新登城記事
カレンダー
08 | 2018/09 | 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数