FC2ブログ

三河 亀山城 🏯奥平一族、運命の選択の地

三河 亀山城 (愛知県新城市作手清岳・城山) <市指定史跡>

前回の記事で古宮城を取り上げてみましたが・・。
古宮城までおいでになったのなら、こちらの亀山城に辿り着くのも必然となるでしょう。
逆に申せばこの両城、セットで見学することで効果アップ、印象アップ!です。

どちらを先に訪問するか・・それはあなた次第です!

亀山城は国道301号線沿いにある道の駅「つくで手作り村」の東側の丘上にあります。
道の駅から更に南東側に橋を渡り、ゆうゆう広場の駐車場まで行くことができればほぼ城内。
ここでは美味しい五平餅が食べられる隠れスポットもあります。

mkameyama (12)
この「亀」、「山」、「城」、「趾」、が目印。

mkameyama (1)
訪問した時は晴天から一転の豪雨明け。・・果たしてラッキーなのか?
(その考え方は自分次第・・。)

ちなみに自分は五平餅が大好物でありやんして・・。
ですから山間部の山城訪問では必ず食する、というのがマイ掟になっております。
飛騨、木曽、三河、信州、他どこへ行くときも超楽しみな日課となっております。

・・さて、そんなことはどうでもいいです。
亀山城の低丘陵は比高も30メートル程ですので手軽に登れちゃいます。
現在は公園としてよく整備されているので散策にはもってこい。

mkameyama (9)
東南方面、ゆうゆう広場方面からの登城口が便利です。

mkameyama (10)
ささっと描かれている割には見事な鳥瞰図です。これでいいのです!

主郭の山頂は東西に長い楕円形で周囲に土塁が巡っています。
虎口は東西に土塁に挟まれた平入り虎口がお待ちかね。
大まかな遺構の配置を把握したらいざ、登城していきます。

mkameyama (6)ペイントロードに導かれると、西虎口へとたどり着く。

こちら西の虎口は土橋で小郭の間を連絡します。
もっとも、このあたりの遺構は一部土塁を含めて消失しているようです。
見所はやはり防御意識の高い抱え込み土塁でしょう。

mkameyama (4)
本丸は周囲を土塁で囲まれて臨戦的な印象を受けます。

mkameyama (5)亀山城址の「図」(小笑)

mkameyama (13)
本丸からは武田氏築城の古宮城がちらっと見えますね。・・意識しちゃいますね。

mkameyama (3)
本丸の東虎口。

東の虎口を出ると二の郭につながり、北側に桝形状の虎口が開いています。
二ノ郭も比較的広いスペースがあり、本丸南の横堀部とも連絡しやすいようです。
こちら方面からの登城口も歩いてみるとほぼ全遺構を見学できます。

mkameyama (7)
主郭の南側には深い横堀が巡っており、その普請ぶりが見所でしょう。

mkameyama (8)
本丸側との高低差には唸るものがあります。

奥三河山間部にありながらその立ち位置は常に難しい地域です。
16世紀になると、今川氏、織田氏、松平氏、武田氏と配与先を転々とします。
特に武田氏の南下に対しては一族内でその臣従先を分かつなどの悲劇もありました。

忍耐と苦労の連続の末、奥平貞昌(信昌)は長篠城主に抜擢。
その忍耐力は長篠の戦いにおける籠城戦で見事に開花。
史上名高い歴史キーマンとして活躍します。

mkameyama (14)石垣台座には立派な石碑があり、拍手👏パチパチ・・。

奥平氏の運命を賭けた一つ一つの選択は結果的には報われたといってよいでしょう。
亀山の「亀」の如く守勢を保ちつつ、好機には遅々としてでも歩み出す。
そんな奥平氏と「亀」との縁は不思議に他にもあります・・。

信昌の四男、松平忠明が慶長15年(1610)に移封されたのは伊勢国の同じ読み亀山城
正室である徳川家康の長女「亀姫」とは仲睦まじく、大切にしました。
(信昌は生涯一人も側室を置かず・・、いや、置けず??)
亀姫との縁談がまとまったのは元亀4年のこと。‥等々。

なんとなく縁起がいい、奥平氏の礎となった亀山城でした。



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

奥平信昌の信念の選択

コメントいただきありがとうございます!

らんまるさんが亀山城を訪問されてみえることは記事を読ませていただいてたので存知しておりました。亀山城に限らずアウェイの城もしっかりと見学されてみえるので、私などの記事は夏休みの絵日記程度のものです。

しかし、ホントにこの三河山間部はアクセスもそうですが移動時間も相当かかり
比高の高い山城まではなかなか手が回せないのが現状です。
当時の武田氏などはなんの利益を求めてこの奥三河に莫大な戦費をつぎ込んだのか理解に苦しみます。半分は兵站確保と糧道確保なのでしょうが、堅実すぎて財政破綻を招いたように思えて仕方ありません。

信昌らが武田を選ばなかった理由の先見性がその後の一族飛躍へと繋がり、またその器量を見抜き、大切にした、織田・徳川らの目の付け所が正解だったのだと解釈しています。

雨上がりの城址もいいもんです

6年前に訪れた懐かしい亀山城。ここと設楽城を訪問しているのに、何故か超絶有名な古宮城は通り過ぎてしまい、そののち深い後悔に苛まれてしまい現在に至る・・・(汗)

まあ、当時はアウェイの城は勉強不足で奥三河ももうちょっと下調べしてから進軍すれば良かったと。
この時は二泊三日の一人旅で、田中城、高天神城、諏訪原城、小山城、吉田城、長篠城、設楽原古戦場、二俣城、野田城などを精力的に巡り、田舎の鼠もようやく見分を広げる基礎となった旅でした。

織田、徳川、武田と大勢力に翻弄されながら、見事戦国時代の荒波を乗り越え、徳川氏を支え幕末まで子孫繁栄の礎を築いた奥平氏。

こんなド田舎から運命が急転するとは信昌も思いもよらなかったでしょう。

長々とすみません。つい、懐かしく成り申した・・・(笑)
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

最新登城記事
カレンダー
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数