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志摩 田城城 🏯小城ながら九鬼氏ゆかりの居城

志摩 田城城 (三重県鳥羽市岩倉町城山・九鬼岩倉神社) <市指定史跡>

九鬼嘉隆が築城した鳥羽城を見学し、思いもよらず「嘉隆祭り」にも参加できました。
城めぐりをしていると、いろいろなサプライズがあるもので、それも先が見えない楽しみです。
鳥羽城の次は、九鬼氏ゆかりの田城城(たしろじょう)へと向かいました。

tsiroj (1)田んぼの中に浮かぶ断崖の城、田城城です。

さながら航空母艦のように浮かんでいるようにも見えますね。
こんなところにも九鬼水軍の残像が残っているようにも感じました。
早速、甲板?に登ってみたいと思います。

tsiroj (2)
正面から見ると思いのほか細尾根上に築かれた丘城です。

かつての田城城の周りは湿地帯の要害だったようです。
田城左馬之助による築城とも伝えられますが、天文年間に九鬼泰隆による築城と伝わります。
九鬼泰隆は嘉隆の祖父にあたる人物です。

tsiroj (3)神社の参道登り口脇に標柱と説明版があります。

嘉隆の兄・浄隆が家督を継ぐと北畠氏を後援とした志摩七党に田城城が攻められます。
城主の九鬼浄隆は音に聞こえた弓の名手として知られていました。
城兵をよく指揮し、寄せ手は攻めあぐねてしまったようです。

ところが、籠城戦の最中に浄隆が急死してしまったのです。
一度はこれを撃退した田城九鬼氏ですが、浄隆の子・澄隆が家督を継ぐと再び七党が来襲、
浄隆の弟・波切城主の九鬼嘉隆が澄隆を助けて戦ったが敗れて落城します。

その後、九鬼氏は田城城を奪還しますが、澄隆は嘉隆に暗殺されたとされます。
これは織田信長による嘉隆が家督を継ぐことを命じての指示だった、とも云われています。
甥・澄隆の後見役としてではなく、嘉隆自身が九鬼家を継ぐべき事情があったのでしょう。

tsiroj (4)
細い尾根状の参道が曲輪です。

tsiroj (6)
曲輪中央部分には堀切の名残とみられる竪堀が確認できます。

社殿造営の際に土取りや埋め立てなど改変を受けています。
どこまでが遺構かは把握しきれないのですが・・。
この感じ、想像でもいいかなって思います。

tsiroj (5)
奥には社殿が建っています。

tsiroj (7)
社殿の裏には櫓台とも感じられる一段の高みがありました。

tsiroj (8)
現在は九鬼澄隆の怨霊を鎮める為に建立された九鬼惣領権現が祀られています。

田城城はこれといった遺構は見られないようです。
しかし、九鬼一族の運命に関わった重要な史跡としての価値は変わりません。
嘉隆をはじめ九鬼氏のルーツを感じることができるでことしょう。


ⓈはJA農協さんの駐車場をお借りしました。(土日で休業日でしたので)
Ⓖは田城城の尾根・九鬼神社です。

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 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

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