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遠江 千頭峯城 🏯本坂峠と宇利峠を押さえる国境の要衝

遠江 千頭峯城 (静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶・センドウ山)<県指定史跡>

この春から次男が名古屋の大学に入学することになりました。
奥方の実家・静岡へご報告と休暇を兼ねての帰省です。
遠くからいつも孫たちの事を気にかけてくださる義父と義母には感謝ですね。

さて、今回は空いた時間(正確には空けた時間)をいただいて浜名湖沿いを北上。
千頭峯(せんとうがみね)城を久し振りに訪問してみました。(20年振りです)
この城は登りやすく、実に色々な遺構が残っていて見学しやすいのでおススメです。

senntou (31)やや雨模様時の千頭峯城、比較的なだらかな城山です。

makayaji1.jpg
麓の摩訶耶寺から登るのが解りやすいでしょう。

東側の道路の千頭峯トンネルの南側の入口付近からも城専用の駐車場があります。
摩訶耶寺では素晴しい庭園も見学可能ですし(拝観有料)、城の大手にも相当します。
雰囲気を味わえるので自分はこちらから登りました。

senntou (29)
野地城の城門が山門に移築された、と伝わる高麗門をくぐります。

senntou (2) senntou (3)
寺の東脇の道から一応案内があり、ミカン畑へと進んでいきます。

senntou (25)
まっすぐ北へ登り上がれば主郭までつながっている登山道。

この道は本曲輪(主郭部)への最短ルートです。
しかし、途中に現われる幾つかの腰郭をぶった切って造られた後世のルートでしょう。
大手道は途中から西側を回り込むように延びていたものと思われます。

senntou (4)
その大手を直下に押さえていたと思われる南曲輪の土塁。

senntou (5)
背後と直下には大規模な竪堀が用意されていました。

senntou (6)
そのまま急斜面を登り切れば本曲輪に到着します。

南曲輪から西曲輪へは連絡ルートがありますので、こちらが本来の大手かもしれません。
そしてここから二の曲輪、本曲輪、と至ったのでしょう。
西曲輪も周囲を土塁で囲まれており、虎口が備わっています。

senntou (14)
西曲輪と二の曲輪間は深い堀切で画されています。

発掘調査では、遺物が西曲輪から二の曲輪一帯で多く出土したようです。
城内での生活空間がこの西側にあったと考えられています。
削平もしっかりかけられ、広い空間が集中していることからも窺えます。

senntou (15)二の曲輪から見上げる本曲輪の切岸。

二の曲輪は本曲輪を西から北、東へとぐるっと半周囲んでいます。
本曲輪との高低差も大きく、中央部の窪地によって2つの空間に分かれています。
本曲輪周囲にかけられたシャープな切岸を見学できるビュースポットでもあります。

senntou (17)
二の曲輪東から本曲輪へのルートが延びます。

上の写真を撮影した立ち位置にはかつて低い土塁跡が認められたようです。
現在はほぼ判別不可能なほどに自然消滅しています。
いよいよ正面の木段を登れば本曲輪。

senntou (22)土壇のある本曲輪に到着しました。

3月末日に訪れたにも関わらず既に散り始めている中央の山桜。
静岡県の春の訪れは結構早いんですね・・。
眺望は望めませんが、曲輪内はとても整備されていて長椅子も用意されてました。

senntou (8)

senntou (9)案内板には城歴案内と周辺城砦とのの関わりが示されています。

senntou (10)一帯は城郭網が形成されていたようです。

千頭峯城は中千頭峯砦、長岩砦、鯉山砦などの出丸・支城とで構成されています。
現在残る遺構は戦国時代の今川氏か、徳川氏による改修を受けている、という見方が妥当です。
南北朝時代の千頭峯城は東の中千頭峯砦に比定する考えもあります。
(中千頭峯砦も見学しましたが、現在みかん畑となって全壊状態でした)

senntou (11)高師兼によって攻められたという記録もあります。

千頭峯城は井伊道政が後醍醐天皇の皇子・宗良親王と供に籠もった三岳城・西方の支城でした。
井伊氏一族の奥山朝藤を守将として浜名神戸荘官県氏、大江氏などが籠もった城とされます。
戦国期の記録がよく残っていないのが残念ですが、徳川氏との関りが注目されます。

senntou (21)
東尾根には東曲輪が続きます。

かつては曲輪内を2条の堀切が存在したようです。
内側の堀切は開墾によって全壊、しかし痕跡はなんとなく感じられます。
以前の縄張り図にはそれが示されていて貴重です。

その事実を知らずに現地を訪ねると、「どこにそんな堀切があるんだ(怒)!」
と何度も縄張り図を見比べてしまうことになります。
そういった断り書きを加えた「縄張り現況図」といのも必要な昨今かな、と思いましたね。

senntou (18)
東曲輪の北側には井戸曲輪があります。

senntou (19)
直径で3メートルほどの素掘り井戸、斜面なのによく掘ったものです。

千頭峯城の記録は南北朝時代のものですが現在の遺構は明らかな戦国期遺構。
一部消失した堀切や土塁はあるものの、全体的にはよく残っている遺構群だと思います。
要の部分には土塁や堀切、竪堀を備え、削り込んだ箇所も見られました。

今回はじっくりと作図をしながらの見学でしたので「現況図」として参考になれば幸いです
senntougaminez.jpg

千頭峯城は遠江と三河の国境近くに位置しています。
東三河方面から往来できる本坂峠と宇利峠を同時に監視できる要衝といえましょう。
そして同時に浜松や二俣にかけての中継地点としても重要視されていました。

それぞれの峠方面に向かって西曲輪と南曲輪が受け持つが如く展開しているような・・、
そんな感じを受ける縄張りです。
おそらく南に位置する本城山・尾奈城とも関りが深い城郭なのではないでしょうか。

senntou (26)
中腹の開けた場所から鯉山砦が確認できます。

千頭峯城の支城網の中では遺構がよく残っています。(支城を全てを見てないですが・・)
鯉山砦にも根性で行ってきましたので後日記事にしたいと思っております。
出丸、支城、という表現がピッタリな感じの砦でした。

・・それにしても、

奥方の実家に帰っておりながら相変わらずやってることはなんら変わりません。
これだけは決してブレることがないようなので、今後ともよろしくお願いいたします・・。
・・って今更何言ってんだか・・(冷汗)


Ⓢは摩訶耶寺の駐車場をお借りしました。
Ⓖは千頭峯城の本曲輪。

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 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

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