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尾張 田楽砦 🏯小牧山から築かれた「大縄手」の結塁

尾張 田楽砦 (愛知県春日井市田楽町・長福寺一帯)

個人的には・・尾張平野部の城めぐりは難易度レベルが高いと思います。
使われた城砦の跡はほとんど残らず、周辺も市街地化しているからです。
しかし、そのなかにあっても断片的に残るごく僅かな手がかりがあります。

そんな手がかりや名残りを見つけ、感じた時の喜びを大切にしたいものです。
それはたとえ想像であって構いませんし、史実にそぐわない見解でもいいと思います。
その時代の方に言わせればその考え、案外合っているかもしれませんよ・・。

今回訪れたのは小牧長久手合戦に徳川方の砦として使われた田楽砦(たらが)です。
秀吉の指令本城となった「楽田城」の字を逆さまにした冗談なしの「田楽砦」。
秀吉に対するあてつけがましい地名ともとれますが、偶然です。

taraga (5)
田楽砦は現在の長福寺から東側一体だと伝えられています。

元々はこの地域の織田氏に属する豪族長江平左衛門の屋敷とされます。
しかし小牧長久手の戦いの前に犬山城は秀吉方の池田恒興に1日で攻め落とされました。
犬山城主の中川定成が北伊勢に出陣し、峯城に入り不在だったかのも一因です。

taraga (1)
犬山城からの敗残兵が集まったとされる伊多波刀神社。(長福寺の東奥)

その犬山城の残党が田楽の伊多波刀神社に集まっていたそうです。
そのことを聞いた家康は、彼らを説得し、長江氏の屋敷に砦を築いて守らせます。
そして小牧山城から蟹清水砦、北外山砦、宇田津砦、ここ田楽砦へと軍道も敷かれました。

「大縄手」、と呼ばれる長さ約4500メートルにも及ぶ空前の防御覆道です。

taraga (4)長福寺一帯は周囲よりも小高い丘になっていたことがわかります。

現在砦の遺構は住宅地となり消滅しています。
近年まで祠の上にあったとされる柱石も現在は確認できませんでした。
(以前来た時は駐車場の中にあったのですが、近年住宅化してました)

また長福寺の西から南にかけては小道が写真のように折れ曲がっています。
同時にこの部分が特に高低差が見られる箇所です。
これは砦の外郭ラインを引き継いだ面影かもしれませんね。

またはっきりとはわかりませんが、堀の址ではといわれる箇所も残っています。

taraga (2) taraga (3)
北側麓にある水辺と祠は堀の一部ではないかともいわれています。

taraga (6)長福寺境内からは小牧山が望めます。

小牧市とは行政地区が異なるため、石碑や案内版なども見当たりません。
小さく見える小牧山の麓からここまで大縄手軍事施設が敷かれたとすると壮大です。
短期間に人員総動員で造らせた家康の野戦魂を感じた田楽砦址でした。


田楽砦址とされる長福寺を示します。
今回駐車場が解らなかったので西隣の林昌院さんの参拝駐車場をお借りいたしました。

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 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
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おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

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