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羽島市の石田城の近辺を歩く

石田城(羽島市下中町石田・市之枝)
次は八神城から北上して桑原川沿いにあったといわれる石田城に行ってみました。
八神城主の毛利氏は元々この石田城を居城としていたそうです。

IMG_7385.jpg石田城址周辺

この地にはかつての城の遺構もなければ城址を示す標柱もありません。
しかし城址と伝えられている南の地に三七松の遺跡という関連史跡がありましたので
紹介してみたいと思います。

IMG_7220.jpg三七松遺跡

説明版の文章より
 伝説によると、天正12年5月竹鼻城が秀吉に水攻めされたとき、城主の不破源六は妻の実父である
八神城主毛利掃部介に援軍を求められたが断られたので、武士の意地から妻を離縁した。
 妻は家来の三七に送られ、実家に帰る途中石田と八神の境で「他家へいったん嫁したからには、どう
して帰れよう」と自害した。三七は遺体をその地に埋葬し、一本の松を植え墓標とした。
これが「三七松」であった。

IMG_7218.jpg三七松説明版

三七松は、大人六人が手をつないでやっと抱えられるほどの大木にまで成長しましたが、大正8年に枯死
してしまったようです。この小丘には三七松に関わる石碑も建てられています。

調べたところ、その後三七自らも切腹したといいます。松は後年、枝を折ると血がにじみ出ると村人に恐れられ
「石田の三七松は天に怖れて地で茂る」と馬子にも歌われたそうです。

ちょっぴりはかなく悲しい話ですが、地元ではこの地を大切に保存している様子が窺えます。

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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

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