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美濃 鷺山城 🏯道三隠居後ゆかりの城

美濃 鷺山城 (岐阜県岐阜市鷺山)

2020年今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」毎週楽しみに観ています。
(いまどき)録画機がない我が家ではリアルタイムにしか観ることができません(汗)。
・・よって日曜日の20時には家族全員がテレビの前に集まります(昭和か!)。

「絶対に見逃せない」、という気迫の生活がそこにあります。

「気迫」と言えば劇中の斎藤道三(利政)役の本木雅弘さんです。
存在感が大きすぎて登場するだけで背中ゾクゾクしませんか?
底知れぬ不気味さと狡猾さの一方で親としての姿もチラつかせる場面も。

でも・・「操り人形に毒は盛りませぬ・・」・・あのセリフは怖すぎます(゚△゚;)。

minosagi (21)

さてそんな楽しみな大河ドラマのキーキャスト、斎藤道三土岐頼芸ら。
彼らに関する城や史跡にも足を伸ばしたいものです。
今回は彼らゆかりの城、鷺山城に登ってみました。

minosagi (5)平野部にあってポツンとある鷺山城。山とも丘とも表現できます。

登山口は主に3つあります。比高は50メートルの山です。
どのコースからでもお手軽ですので往路と復路を変えての散策がおススメです。
もちろん全コース制覇もいいと思います。

北東は、鷺山小学校向かいからの登り口。
南より、北野神社からの登り口。
西より、心洞寺からの登り口。

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こちらは鷺山小学校向かいのコース入口。北曲輪に直結します。

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こちらは心洞寺さんからの登山コース。堀切直結ならこちらから。

今回は南の北野神社参拝コースで行きます。

minosagi (18)境内の前には斎藤道三慰霊の碑が建立されました。

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採土造成の際に山の南中腹付近から出土したという礎石らしき大石もあります。

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鷺山公園経由で登って行きます。(これは当然石垣ではございませんので)

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どのコースからも散策コースが整備され5分程度で登れます。

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主郭南側の曲輪には東屋があり、岐阜方面の眺望が楽しめます。

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遠くに金華山の岐阜城も小っちゃくはっきり見えるのが感動。

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濃尾平野も見渡せてなかなかの戦略要地と認識できます。写真手前は採土された区域。

この鷺山の南側は戦後の高度経済成長期に土砂が採取されました。
実に山の南約3分の1くらいは削り取られています。
また派生している尾根の先端部も道路造成などによる採土の跡がみられます。

当時、開発が急ピッチに進む世の中、市中にて土材が確保できるのです。
鷺山の採土ペースはそれに拍車をかけました。
あまりの乱削に住民たちによる史跡意識がそれをストップさせたのです。

このことは頭に入れながら散策するといいと思います。

minosagi (9)鷺山城の説明版は詳しいです。背後に引かれた山のラインが意味不明ですけど。

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鷺山の頂部はよく整地され本丸と思われます。

minosagi (14)鷺山城址の石碑。近づかないと読めない所が石碑ファンの心をくすぐる。

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主郭部本丸を下から見上げます。切岸というほどのあとはありませんが・・↙。

minosagi (2)ここにある鞍部を利用した堀切には唸るものがあります。

写真では右側が本丸、左側が太子殿のある北曲輪になります。
積極的に堀り切ったというよりも元からあった鞍部に手を加えたという感じです。
しかし両曲輪間は20メートルにも及ぶ大きな遮断施設ということになります。

ここから主郭側の西斜面に入って行きます。

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西側には大きな竪堀が畝状となって並んでいるのがわかります。

minosagi (4)4~5条ほどの畝竪堀の様子です。

本丸直下の西側のみに集中しており不思議と東側には確認できません。
またこの竪堀群は北曲輪の西側にも確認できます。なぜ西側だけ??
西側に対する異様なまでの周到意識とは何なのでしょうか、と考えさせられます。

まるで金華山の稲葉山城からみれば西の出城のような雰囲気です。

sagizu.jpg自作縄張り図です。採土区域と崩落区も確認してみました。

山の採土がここまでで収まったことはある意味幸運だったと思いたいです。
「鷺山城には特に遺構がみられない」とされますが、そんなことはありません。
主郭直下の畝竪堀群は当時からの遺構だと思われます。

後年になって竪堀麓付近は手が加わっている箇所もあると思われます。
その部分を見極め、遺構の連動性の目から見てみたいものです。
あと・・竪堀の型は大桑城に見られる竪堀遺構と酷似していることも注目できます。

稲葉山城と大桑城、その間の鷺山城。
位置的な関係と歴史的な関係の中に共通点が見られて面白いものです。
守護土岐氏との居城の変革と合わせての考察も新しい発見があると思います。

minosagi (24)鷺山城の東麓には居館址の土塁一部が残っています。

大部分が宅地化された中で部分的にせよ残っていること自体キセキですね。
NTT鷺山社宅北棟(現在閉鎖されています)の山側に残っています。
地籍図によると一辺が約120メートル四方の方形館だったと推測されています。

・・ま、普通に探したら探せないし、土塁なんて言われても普通わかりません。
山側の高みから見るとL字型になった角部であると想定されます。
鷺山に向かって土塁の延長部が山中にも少し残っていました。

天文17年(1548)斎藤道三が家督を息子の斎藤義龍に譲ると鷺山城に隠居したことは有名です。
また道三と正室・小見の方明智光継の娘)との間に濃姫が生またのもこの鷺山です。
濃姫は天文18年(1549)ここから尾張国の織田信長に嫁いだので「鷺山殿」と呼ばれていました。

しかし義龍は弘治元年(1555)道三を鷺山城から追放し翌年道三を攻め滅ぼしました。
この時、道三は鷺山城から北の大桑城に逃げていた、という記録もあり有力な説です。
俗にいう「長良川の戦い」ですが、この時鷺山城はどんな運命を辿ったのでしょうか。

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稲葉山に向かって咲く水仙に春の訪れと時の(土岐の)流れを感じました。


㋹は鷺山城の主郭部です。
登山道は記事中に示した通り3つのルートがあります。
付近に駐車場はありませんが北野神社さんには一台は停められそうです。

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らんまるさんへ

らんまるさん、こんばんわ。
う~ん、今回は支離滅裂発散コメントではありませんね?
それはそれで調子狂っちゃいますがありがとうございます( ´艸`)。

さて、この大河ドンピシャ時期に鷺山城なんか書いちゃって下手に炎上でもしたらブログ閉鎖に追い込まれるのではないかと覚悟して恐々としております。

鷺山、という名の由来はおそらくサギのねぐらを指す意と思います。平野部にあってサギの比高高度と山の標高が同じくらい、渡り鳥系の休息地としても最適な山であったと思われています。

そしてまさに「国盗り物語」のブームが鷺山城の土砂採取を救ったといっても過言ではないようです。やはり地域の住民は地元の史跡を大切に理解してみえるものです。開発の波は致し方なくとしても民意が反映された良き時代でもありました。

屋代城には麓の先端部から尾根道をひたすら登って見学したことがありますが
素人でしたのであまり土砂採取の形跡はわかりませんでした。
でも「この城すげ~」と思いながら弟くんと登った記憶が甦ります。

さてらんまるさんが仰る通りとてもじゃないけどこの城では義龍勢の攻撃は防げなかったでしょう、いかに畝堀をこしらえようとしてもです。

ちなみにこの畝竪堀ホントに西側だけにあるところを見ると西濃方面からの迎撃にかなりの緊張が高まったことを意味しているような気がします。

近年の研究では道三はどうもここから山県の山中に逃げ込んで籠ったらしいという検証も考えられています。それが美濃守護職の山城として有名な大桑城です。ここに籠れば尾張織田の援軍が義龍勢の背後を突くこともできる、という算段でしょう。あ、これは久ちゃん説ですがね。

それはそうとホントに不穏な世界になってしまいました。
中世山城を愛する私たちにはむしろいい居場所である山ですが、花粉がなければな・・。
でもはやくおさまって「城デミック」状態で堂々と城めぐりをしたいものです。

ずぼらな録画派です・・

こんにちは、イマイチ月イチコメンテーターのらんまるですw

おくりびとが演じる道三も鬼気迫るものがありますが、小生の道三像は某大河ドラマ「国盗り物語」の平幹二郎さんでした。深芳野は三田佳子さん、小見の方は山本陽子さん・・油売り商人が国を乗っ取るとあんな美女を侍らせられるんだ、と子供心に妙に感心しておりましたが・・・(笑)
真田丸で息子の演じた勝頼さん、さすがサラブレット一家の血統です。

「鷺山」の名は、その山容からきてるのでしょうか?それとも鷺の塒(ねぐら)だったから?信州にも鳥の名を冠した山や山城がありますが、だいたいはその山の形から名付けられているケースが多いようです。
開発前の鷺山はどんな形だったんでしょうね、興味が湧きます。

それにしても「よくぞ残して頂きました!」と拍手喝采です。小さな城ながらポイントを押さえて結構しっかり造り込んでありますね。連続「ウネウネ」は御馳走です。しかし、ここで義龍を迎え撃つには百戦錬磨の道三でも無理無理(笑)

長野県千曲市には屋代城がありますが、やはり高度成長期の宅地開発で城の中央部を土石採取で削られ、主郭背後の五連続堀切があった尾根は、森将軍塚古墳の崩落を止める為にやはり削られてしまいました。古代遺跡の保護のために中世城郭の遺構が破壊されるという「なんでやねん!」という悔やんでも悔やみきれない行政の失態でした。
それでも消滅は免れて痛々しいながら遺構は残っているのがせめてもの救いです。

それにしても居館跡の土塁が残るとはびっくり。それを掲載してくれた久太郎さんには感謝感謝。ここもよくぞ残してくださいました。破壊前は発掘調査とかしたのかしら。

今日はなぜか真面目にコメントしてしまいました(爆将)

早く世界に平穏な日々が戻るといいですね。
そういいつつ、今月も喚起良好でウィルスとな無縁の山城三昧の信濃先方衆でございますw
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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