FC2ブログ

美濃 徳山城 🏯今もなお湖底の集落を見守るかのよう

美濃 徳山城 (岐阜県揖斐郡揖斐川町徳山本郷)

人為的行為で孤児となってしまった城、というはあるものです。
別に破壊を受けたわけではなく、人里から隔離され自然忘れ去られていく城を指します。
ダム建設によって容易に近づけなくなった城もまた然り。

近年では限界集落を飛び越え消滅集落などという様々な問題があります。
その逆に再調査によって新たに発見される城というのもままあります。
今回はダム建設に伴って水没は間一髪免れた孤城、徳山城を取り上げます。

mtokuj (12)対岸の徳山会館から望む徳山城址。

本来なら集落から見上げる形の山容がオープニングを飾る久太郎のブログです。
しかしその集落は今はありません。ダム湖の底に沈んでいるからです。
ダムによってできた人造湖、徳山湖越しに位置確認するより他なし。

mtokuj (25)
本郷カンタク隧道トンネルを出たらすぐに左折します。

mtokuj (24)
その先に本郷望郷広場があります。車はここに駐車できます。

この場所は旧徳山村民が故郷を偲ぶ意味で造られた広場です。
ここからは周辺の山並みや湖の美しさが望めます。
そして徳山の歴史が詰まったような神聖な場所のようにも感じます。

mtokuj (22) mtokuj (21)
左が「集落略史年表」、右が「本郷集落略史」となる石碑板です。

mtokuj (23)徳山ダム建設に伴って466戸・522世帯(約1,500名)が移転を余儀なくされました。
(徳山城の位置は左上。加筆させていただきました。)

ダム建設はすなわち、村の消滅という事態につながりました。
「全村水没」は故郷の消滅。先住の方々のお気持ちいかばかりだったしょう。
人々は沈みゆく徳山村を偲んで最後の別れを告げたのです。

mtokuj (20)
ここから等高線に沿って城址まで遊歩道があります。

mtokuj (19)側面には水没を免れた徳山城主郭部が浮き上がります。
左端には堀切の窪みがはっきり見えます。

mtokuj (16)
先端部にはしらびや杉があり迎えてくます。

mtokuj (15)古来より住民に親しまれ大切にされてきたしらびや杉は徳山村民の願いそのもの。

mtokuj (11)
徳山村の姿を見守ってきた生き証人です。

mtokuj (7)
階段を登ればすぐ上段に本丸があります。

本丸は約50m×約15mの長方形曲輪。
曲輪の奥に高くなった櫓台と土塁を設けたシンプルな縄張りです。
しらびや杉のあった辺りには前衛曲輪があったようです。

mtokuj (14)徳山城の城址石碑土台部は苔に覆われ雰囲気あります。

mtokuj (8)
ふと後ろには湖水水位がそこまできているのがわかります。

こうして主郭部が水没を免れ「ほぼ完存している」ということに大きな救いを感じます。
渇水期になると現れる、という訳でもありません。
満水期でもその姿はギリギリ浸水しない奇跡的な事例です。

mtokuj (2)
本丸奥部の高台は櫓台かと思われます。

mtokuj (3)尾根を分断するひときわ深く大きな薬研堀切です。

この堀切は幅こそ9メートル程ですが北斜面側は深さ約10メートルあります。
豪快で見事なV字を描いたラインには魅了されるものがあります。
ここでは溜息をついてただ見とれ味わっている時間がありました。

けどそんな時間も次の瞬間に困惑・・。
その先に登れないのです・・。
傾斜が高すぎて・・(写真では右側の尾根筋へのルート)。

mtokuj (4)
写真中央、黒い部分が堀切のある部分です。

なんとか登って振り返ってみます。
ご覧の通り尾根がざっくり切り抜かれています。
道理で登れないわけです・・。そして尾根道は・・。

mtokuj (6)
幅1~2メートル弱の細い馬の背道。両脇は湖・・。

足を踏み外したら足下の湖面に向かって転げ落ちてしまう・・。
唯一の弱点背後の尾根筋は一人しか渡り歩けないように施されているのです。
ここではまるで綱渡りをしているような気分。慎重に歩きます。

mtokuj (5)
そして二条目の「念のため堀切」もきちんと用意されています。

tkymjz.jpg
湖の表現はムズカシイ・・、いい方法はないものか(・_・;)

単純で基本的な縄張りながらキチンと押さえるべき所は押えます。
その一つ一つの遺構が顕著に残っている所が見所だといえそうです。
尾根筋まで来たら戻るのも大変なんです(^_^;)💦。

徳山氏の祖は坂上田村麻呂の子孫の貞守で貞観年間に美濃権守に補せられました。
そして徳山郷を拝領し徳山氏を名乗ったのが始まりとされます。
南北朝期の徳山貞信は延元二年(1337)に徳山城を築き南朝方として呼応。
越前の新田義貞側につき西濃地方の南朝側勢力の一角を形成しました。

戦国時代には徳山則秀が領主で織田信長に臣従し、柴田勝家の与力となります。
一向一揆など北陸地方の平定に尽力、加賀国松任城4万石の主となります。
佐々、前田、不破ら府中三人衆に次ぐ地位にいたと思われます。

則秀もまた勝家の人柄に引き付けられ頼みとされた武将だったのでしょう。

信長死後も勝家に従い天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦では佐久間盛政隊の先鋒として奮戦。
戦後、羽柴秀吉に赦され、丹羽長秀に仕えます。
早くから徳川家康に通じの関ヶ原の戦いでは家康に仕えて5千石を領します。

徳山郷と現在の各務原市に更木陣屋を構え旗本として明治まで存続しました。

なおこの「徳山」は「とくのやま」と読むとの説もあり。

mtokuj (10)樹齢600年の一本杉・しろびや杉が語るものを感じたい。

ダムが完成すると水位がその根元近くまで達するので枯れてしまうのでは・・?
そう心配がされましたが、現在でもこうして力強く生きています。
この木を見上げていると何か心が浄化されていくような・・そんな気がしてきました。

mtokuj (13)総貯水量はダントツ日本一という徳山ダム。

多目的ダムとしては日本一の規模である一方で総工費3,500億円も日本最大です。
巨大ダム建設に対するその是非は今後も検討を要されています。
完成後もなおダム必要性について全国的な論争が起きているのも事実です。

mtokuj (18)
あ、こんなところに葡萄が落ちてる?、いえいえ、獣の美しい糞ですね。

この貴重な自然の中には野生動物たちがいることも忘れてはならない。
治水事業と環境保護、そして史跡保護。
ここ徳山城から見る湖面からは様々な問題も付きつけられる思いです。

徳山城としらびや杉は今もなお湖底の村を見守っているようでした。

mtokuj (26)
※徳山ダムより奥の国道417号線は冬季は封鎖されますのでご注意を!
(12月中旬~3月上旬まで冬季封鎖、根尾方面からは12月上旬より)
(福井方面よりの冠山峠道路、高倉峠塚峠も冬期は閉鎖されます)

実は自分、封鎖されるまさにその日に訪問してしまいました(知らずに・・)。
調査見学を終えいい気分で帰路、すると国道がゲート封鎖されているではありませんか!
事態が飲み込めません・・。朝は普通に通れたのに・・(汗)。
すぐ土木事業所に電話連絡とり、施錠解除していただき無事脱出できたという顛末でした。
大変ご迷惑をお掛けしました。ここで改めて謝意と御礼を申し上げます。
・・スミマセン(-_-;)、ホントに。きっとこれも徳山城のご加護だわ・・。


Ⓖは徳山城の位置を示します。
Ⓢは徳山城への遊歩道がある本郷望郷広場です。

スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

しんこうさんへ

しんこうさん、こんばんわ!
コメントいただいておきながら遅くなりました、ありがとうございました!
奥方の実家に行き、新入学の甥っ子と姪っ子に会ってきました。
極力接触を避けるべき世の中ですが「意識が低い」と言われても仕方ありません。お祝いは直接伝えたい、そういう血が流れているのですから・・。

コロナウイルスですが、今の所岐阜県は爆発的でないにせよ美濃地方では警戒態勢が強い状況です。飛騨地方からはそういった話は聞き及びません。
長崎でも増加の兆しなんですね。感染経路が特定できない例がほとんどなのでこの日本で安心できるエリアなどなくなってきた感じがします。

例外的に城、それも誰もいない(来ない)山城は我々にとって唯一のセーフティーゾーンであるように思えて、それでもって桜も綺麗でこの地上世界で起きていることがウソのように感じられる時があります。本丸で桜を見ながらほおばるおにぎりのなんと美味しいことでしょう。しんこうさん、よ~くわかりますよ。

徳山城の記事を読んでいただきありがとうございました。
本来は城の遺構とか歴史とかだけについて書いてもよかったのです。
しかしこの城址に関しては現在に至る背景に触れることナシではかえって失礼だと思い、ドキュメントタッチ?にて思っていた気持ちを表してみました。

私などが旧徳山村民の皆様の心内をおもんばかる資格もないのですが稀にみる自然の宝庫であり人と動物と植物が共生し合う歴史ある楽園のような世界があったと思うと実に惜しい、と思うと同時になんか悔しい気持ちも湧き出てきました。

ダムが完成した以上、下流域に住む我々数百万の民の生活の幸を祈らなければいけない、そう思うことでしか報われないと感じました。恩恵をうける我々はこの徳山村のことを頭の片隅において欲しいと願い書きました。

読んでくださった方々がしんこうさんが感じられたように思っていただければいいな~と思います。作図している間誰もいるはずがない湖面からなんとなく誰かと誰かの会話する話し声が聞こえてきたように感じたのですが(多分波の音でしょうけど・・)全然気持ち悪いとかじゃなくて、本来それが普通のように思えたのです。

でも本当に城の主郭部と杉の大木が残ってくれて良かったな、と思いました。
しんこうさんのおっしゃる通り村民の方々の強い思いが伝わった、というのはあながち偶然ではないような気がします。

ありがとうございました。

らんまるさんへ

らんまるさんこんばんわです。
徳山城レポ目を通していただきましてありがとうございます。
その上コメントまでいただけるとは感激でございます。

この城は個人的にはとても思い入れがございまして私が山城に興味を抱き訪れた時にはもうダム建設の為立ち入り禁止になってしまった場所なんです。

さて、説明板の「5つの郭」の意味、よくわからなくて当然なんです。
実はしろびや杉のある曲輪のもうひとつ下に大手曲輪に相当する郭があったという記録があるからです。もちろん今は水没しています。その郭をふくめて5つの曲輪、という意味だと解釈してください。

しかし本当に主郭部はほぼそのまま残されており、集落からの比高100メートルの位置が絶妙に幸いしていた、といっても過言ではありません。冬季は雪に閉ざされるかなり山奥に位置しているためなかなか訪問できない城なのです。

そういえば木曽郡王滝村の王滝城「下の城」のパターンと感じは似ていますね。私も真夏の渇水期を狙って行ったことがあります。どこからどこまでが城なのかよくわからない王滝城でしたが現れた姿に感動したものです。ちなみに「上の城」にも登ってみましたが2段の削平曲輪と判断が難しい堀もあり、作図しました。どこへやっちゃったかな?探しておきます・・。

そしてここ徳山城も当然ながら麓に居館に相当する陣屋もありました。水が干上がらない限り目にすることはできませんが、出来得るものならそこにも行ってみたかった・・。え?ダイビングで行ってこい!って??だったらまだパラグライダーのほうがいいですね。(前回の引きずってゴメンナサイ💦)


しかし本当に帰り路にゲートが閉まっていた時はかなり焦りました。道理で一台も車が走ってないし静寂すぎて気持ち悪かったことも心細かった覚えがあります。・・知らなかったとはいえ不覚でした。

らんまるさんはそんな失敗はないかと思いますが、今後も気を付けて山城ワークを愉しんでくださいね。

ありがとうございました!

No title

こんにちは、しんこうです!

コロナウイルスの感染拡大心配ですね。岐阜県はいかがでしょうか?長崎も増加の一途で時間の問題のように思えます。
とはいえ、マイカーで山城へ行くにはまったく問題ないし、食堂にも入らないようにおにぎり持参で山頂の主郭で食べる楽しみもあったりします。天気のいい昨日もお出かけしてきました(汗)

徳山城の記事楽しく拝見させて頂きました。水没した村に対する住民の皆さんの思い、徳山城の強烈な堀切、そして帰り道の思わぬハプニングと短い記事ながら凝縮されたドキュメンタリーを見ているようでした。ありがとうございました。

石碑に村落の家並図や年表を残すとは、ここに住んでおられた方々の無念さが伝わってきます(涙)本当に忘れ去られることのないように、後世まで伝わっていくことを祈らずにはおれません。

それにしても、よくぞ杉と一緒にお城が残ったものだと。せめて城と杉は残ってくれよと、村民の方々の強い思いが伝わったのでしょうか(涙涙)

徳山城のご加護は貴殿の人徳かと

久太郎さん、こんばんわ! 力作ですね。

ツボを押さえつつ、最後に大どんでん返しのオチがあるとは・・・(笑)

説明板の5つの郭?の意味がよく分からなかったのですが、縄張図を見て納得しました。それにしても湖上に浮かぶ古城とは、不沈空母の如く水没した集落の生きた証の証人なんでしょうね。

貴殿の記事を読んで、木曽郡王滝村の王滝城を想いだしました。湖面の水位が低くなる時期にしか全容が見えない王滝城を偶然見る事が出来て、神様は必死こいて山城巡りをしている小生にご褒美を与えてくれたのだと何か勘違いしてましたが・・(笑)

今回の貴殿の記事で美濃にもそんな山城がある事を初めて知りました。ありがとうございました。

それにしても冬季閉鎖の当日にそんな場所へ出向いて城見学している輩がいるとは、建設事務所の方もさぞかしビックリでしょうネ・・・(笑)
そのうち、湖に転落しないように気を付けながら見学したいと思います。

「地元民が語る地元の山城は、学者の述べる百の解説よりも遥かに説得力がある・・・このことであった・・」(らんまる攻城戦記管理人語録・・・笑)
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

最新登城記事
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数