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阿波 岩倉城 🏯三好康長親子の本拠地なのだか遺構が遺憾・・

阿波 岩倉城 (徳島県美馬市脇町西田上・丹波の鼻)
三好徳太郎康俊の旧蹟を訪ねて-
【海部川風流マラソンで訪れた阿波の城と史跡・その⑨】

さて2月に徳島県で開催されたマラソン大会参加+の城めぐり。
阿波を代表する武将にまつわる城をごく簡潔に紹介していく回顧録です。
・・といっても知名度的にはあまり知られていない武将たちかもしれません。

しかしもしですよ・・、もしもの話ですが・・。
大河ドラマで取り上げられることになでもれば必ず登場する(はずの)武将ばかりです。
でも四国勢は長宗我部にせよ三好にせよ末路が切ないからなぁ・・。ないかな・・。

と思いながらも今回は(も)三好武将・三好康俊の居城、岩倉城の訪問記です。
康俊は三好康長(咲岩又は笑岩)の嫡男にして岩倉城の城主でした。
父・康長が河内高屋城にて畿内経営に向かったので城代として預る形になります。

aiwkrj (3)奥の高い山かと思いきやその手前丘陵上での岩倉城遠望。

天正3年(1575)土佐を統一した長宗我部氏が阿波国への侵攻を開始します。
康俊はこれに対抗するものの矢野国村らを脇城外で殺害して降伏します。
しかし天正9年(1581)阿波国奪回を狙う父・康長の勧めに従い織田氏に帰属します。

aiwkrj (7)
高速道路の下を潜ってすぐ側面まで車で行けるのは有難し。

aiwkrj (1)北側の尾根を大きく遮断する堀切がまず目に入ります。

幅は約8メートル、深さ6メートルほどでしょうか。
箱堀となっていますがその先の尾根は土地改良を受け現状と留めていません。
主郭部ではここが唯一といってもいい遺構となります。

aiwkrj (2)
主郭部から見下ろした大堀切。

aiwkrj (4)遺構が確認できるのは現在ここ本丸のみ。

説明版にもあるように地形改変を受け本来の城の姿はほぼ失われました。
かつては周辺の台地部一帯に六坊からなる構成を誇った山城だったようです。
この本丸でさえ南部分は消失している状態です。

aiwkrj (6)
重機で荒らされている様子の主郭部にがっがり・・。

露骨に残っているキャタピラのあと・・。なぎ倒された樹木・・。
泥が跳ね返った五輪塔・・。重機で削られた切岸・・。
無残です、これがあの三好康長親子居城の今の姿なのか・・。

何が目的かは存じません。しかしちょっと酷いなという残念な気持ちになりました。
今回の阿波の城記事は自分の心に強く印象に残った城を取り上げています。
怖れながらこの岩倉城はよろしくないイメージでの印象に残った城、という事です。

aiwkrj (5)
三好徳太郎康俊三好山城守康長らの五輪塔。

もし公園化する整備途中という前提なら致し方ありません。
しかし周囲の現状からしておよそ史跡としての扱いを受けているように感じられません。
せめて五輪塔はもう少し手厚くしていただきたいもの・・。

天正10年(1582)になって信長は長宗我部氏と断交。
神戸信孝を総大将とした四国遠征軍の先陣として父・康長が阿波に先行します。
康俊も岩倉城でこれに呼応しますが、ここで本能寺の変が発生します。

その後中富川の戦いで十河存保を破った長宗我部元親が迫ります。
勢いで阿波の城を次々に攻略、やがて岩倉城も長宗我部勢に囲まれます。
康俊はよく守り20日間持ちこたえますがついに開城し降伏しました。

不安定な三好政権にあって勢いづく織田氏と長宗我部氏。
その互いの間にあり、さらに遠い畿内の父・康長の去就にも気を配る康俊の立場。
苦境続き、なんとも身動きがとれない中での岩倉城預かりだったように感じました。


㋹は岩倉城本丸を指します。
徳島自動車道を一度東からくぐって北側からアプローチできます。
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非公開コメント

ねんさいさんへ

ねんさいさんありがとうございました。
そうですね~、岩倉城ですね~、・・もうちょっとやはりなんとかならいものか・・
あの三好笑岩(咲岩)の居城なのですから、という願いからちょっと辛口な記事にさせてもらいました。説明版にも「残った遺構はここだけ」といっているのですから、尚更大切にしてほしい、と思ったのです。

しかしながらのちに畿内~淡路~阿波の渡航制海権を握っっていく三好笑岩の居城が阿波の内陸部奥手に存在していたことは意外に思いました。城址は遺構も見所ですがそこから見る景色を見て想いをよせてみることができるのも魅力的ですね。

次は脇城、といきたいのですが、脇城は入口から本丸へ行って帰ってきただけの訪問なのでとても記事ネタがありません(~_~;)。
次回勝瑞城をもって阿波の訪問記は閉じたいと思っています。

いつも寄ってみていただきありがとうございます。

No title

 城の北側は高速道路が通り、説明板の前には貯水槽らしき建物がありで、あまりいい状態ではない岩倉城でしたね。城跡までは分かりにくいけど、県道から道標があり何とかたどりつけました。
 地元だと三好笑岩の居城として歴史ある城だと認識されているのか、道標や説明板があるので、もう少し何とかしてほしい城でした。
 城跡からは南側の吉野川方面の晴らしがよかったですね。当時も岩倉城からこんな感じの風景だったのでしょう。主郭北側堀切と主郭、貯水槽周辺の曲輪の見学なので30分で見学できました。
次はすぐ東側にある脇城ですか。
それではまた。
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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