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美濃 杉野一夜城 🏯白鷹城に向けられた武田氏による白刃の砦

美濃 杉野一夜城 (岐阜県恵那市明智町杉野・大平山)
<明知白鷹城をめぐる織田・武田間での攻防戦の趾・武田方編>

久し振りの記事更新になります。
久し振りすぎて何を書いていいものか思い浮かんでまいりません。
コロナウィルスの影響で城めぐりを一切断念しておりました・・。

・・と言わなければいけないところですが・・。
実を申しますと、国の解除対策状況を見ながら隣の郡に出掛け城探索しました。
しかしながらバツの悪さはありません。

世界中の専門家と言われる人や政治家が様々な意見を述べています。
でもその第一人者と呼ばれる方の意見がいつも正しい訳ではなさそうです。
いや、むしろ間違った意見を述べることも普通にあるでしょう。

何を信じ、何を鵜呑みにしないか・・。
多くの意見を聞いたうえで物事を判断していかなくてはいけません。
それができなければ今後の世界、上手く生きていけそうにありません。

・・さてかなり前置きが長くなりました。
今回は明知白鷹城をめぐる織田・武田間での攻防戦のあとを巡りました。
両軍によって築かれたといわれる各々の陣城砦です。

まずは明知白鷹城攻めにあたって武田軍が陣を構えたとされる杉野一夜城です。

aketijinjiro (19)杉野地区から見上げた一夜城のある大平山。

大平山という名の通り、麓からみても山頂付近は平らになっていそうです。
大軍の駐屯地とするのであればこのような山容で眺望が得られればよいのでしょう。
大平山は明知白鷹城を南西約2.5km先に見据えています。

aketijinjiro (60)
一夜城へは安住寺の裏山の林道を利用しました。

遠山景行公の墓所がある安住寺の裏山からも直登できそうです。
が、自分は林道から地形図を頼りに適当な所から尾根を目指しました。
このあたりは勘によるところが大きいのですが、たいがいドンピシャです。

aketijinjiro (66)尾根沿いピーク手前に現われる堀切が城域への目印です。

堀切、といっても規模的には浅く遮断性を重視したものではなさそうです。
内部の遺構とは近いながらも連動性がなく単独仕様となっています。
これは遮断よりも城域を画す一線的な意味あいがあるのではないでしょうか。

aketijinjiro (68)
主郭部の周囲には狭いながらも曲輪が確認できます。

aketijinjiro (5)
曲輪からは主郭部周囲を武者走りが延びています。

後ほどの散策で解ったのですが・・。
この犬走りは主郭下部をほぼ一周しています。
手元のウォッチ機能では一周約370メートルもありました。

aketijinjiro (61)主郭部の東側の切岸を観察します。

上の写真でみるとかなり掻き揚げられた切岸に感じられます。
しかし全周囲がこの様になっている訳ではありません。
東端部と西端部の一部のみでみられる以外は実に曖昧なラインになっていきます。

aketijinjiro (63)
主郭部から見下ろす腰曲輪と堀切方面は確かに急峻になっています。

aketijinjiro (62)
主郭部内部は軟傾斜となって端部も曖昧ですが広さは充分。

「一夜城」というように視覚的に城郭に見たてることが最優先です。
内部は将兵同士が移動連絡でき、万が一の反撃に備えれば充分でしたでしょう。
城方に圧力を加えていく拠点となるのが役割でした。

aketijinjiro (70)最高所には「永久穂神社」が祀られています。

aketijinjiro (8)
明知城方面には3~4段ほどの平坦地を連続させています。

曲輪自体も粗雑で曲輪化されていない箇所も見られます。
ただ所々に見られる曲輪同士の連絡口(虎口か?)付近は比較的はっきりします。
陣城というのは端から端までを整地する必要はない、ということが理解できます。

aketijinjiro (4)
竪堀の起点のようにも見えますが連絡虎口と思われる掘り込みです。

aketijinjiro (11)南東尾根からは足下に杉野地区と門野地区が望めます。

残念ながら木々が濃く明知白鷹城が鮮明に見えるポイントはありませんでした。
しかし木々の間から僅かながら明知城の位置ががチラチラと確認できました。
城址でのチラリズム。興奮してどうする・・。

sugiiti.jpg

天正2年正月、明知城を巡っての争奪戦が繰り広げられました。
武田家を継いだ若き当主・武田勝頼と迎え撃つ遠山氏と織田信長
先年の上村合戦での勝利と岩村城の奪取の成功で意気揚がる武田軍。

杉野一夜城は岩村城から派兵した武田方による築城かと考えられています。
武田方の将・秋山伯耆守虎繁がここで戸障子をたて廻し、
一見して白壁のように見せかけた、といわれるのが一夜城の由縁です。

視覚的効果はこの上ない影響を与えたことでしょう。

或いはこの地に武田勝頼自身が出張った、とも伝わります。
当時遠山方の城砦群を文字通り「風林火山」の勢いで落としていった勝頼。
ここから睨み付けられた明知城方はすくみ上っていたのではないでしょうか・・。

この状況に対し織田方も翌月2月1日に先遣隊を明知城救援に派兵します。
信長は嫡子・信重(信忠)と共に岐阜を出立します。
風前の灯となった明知城にとって織田の援軍こそが唯の頼みとなりました。

次回は織田方が陣したといわれる鶴岡山砦を訪れます。

aketijinjiro (14)
南東尾根をさらに進むと石仏と石祠があります。

慶長8年に遠山氏はこの一夜城の跡に愛宕神社を勧請し、鬼門除けとして建立しました。
当時の名残りが今でもこうして語り継げられているのでしょう。
縄張り図面、自分には明知城に突き付けられた大きなナタの刃のように映りました。


㋹は遠山景行公夫婦の墓地がある安住寺です。
Ⓢは最寄りの林道からのルートを示しました。ここから尾根を西に辿ります。
Ⓖは杉野一夜城の主郭部です。永久穂神社が祀られています。

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しんこうさんへ

しんこうさんこんばんわ。
先日は龍造寺談話楽しかったです。
今回はコメントいただきましてありがとうございました。

こちらも梅雨入りした途端にレイニーデイズが続き、結構降り込んでいます。
しかしこの時期は仕方ないですので在宅ワーク(城の)に取り組んでいます。

今回は陣城、というテーマで記事を書いてみました。
天正期ともなると各戦で陣を急造の城砦に仕上げる、という手法がだんだん定着していったように思います。人海戦術で築きあげるので粗雑さはありますが切岸プランとしては実に面白い形跡が残るのが見所だと思います。

さて、しんこうさんも明知城に行かれたのですね。もう少し早く出会っていたらご一緒したかったですね。惜しい・・(笑)。
明知鉄道は本当にのんびりとしてて、昭和の風情が残っていて車窓の景色も癒されます。私も大好きですよ。この前は友達と折り畳み自転車を持って乗り、帰りは自転車で帰ってきたりもしました。

杉野一夜城の堀切は「とりあえず作ってみました」という程度のセオリー的な立派な堀切なんですがこれがまた可愛くって吹き出してしまうんです。各地方で一夜城の伝説話はありますが割と元祖的なこの杉野一夜城、敵がびっくり、怖気づいてしまう様子が想像できます。

あと北条家の遠山さんといえば元はこちら美濃からの出だそうです。
私も天地人で遠山康光が脚光を浴びる日が来るとは夢にも思わなかったのでチョイ役でも嬉しかったですね。

大河も一時的に中断してしまい、はっきり言ってモッくんの斎藤道三が主役だったようなイメージです(笑)。光秀はまだ織田家に仕官さえしておりません・・。
コロナも大河もどうなることやら・・。

でもしかし、ただいま肥前の戦国史の勉強を始めました。(ちょっとですけど)
しんこうさんのアップされる記事を参考にしつつ進めていきたいと思っておりますので迷惑かもしれませんがよろしくお願いいたします!!

どうもありがとうございました。

No title

久太郎さん

こんにちは、しんこうです。
コロナも収束しつつあると思ったら、長崎では梅雨入り(涙)、先日より大雨で、天気予報ではずーっと雨です(涙)

新しいシリーズ始まりましたねぇ、楽しみにしています♪
やはり単にお城の紹介をするよりも、より楽しく読ませて頂くことができます。

杉野一夜城、場所を拝見させて頂くと、明知白鷹城の北側、よく場所を確認すると、この明知白鷹城は、昔、明知鉄道にゆられながら訪城させて頂いた思い出の城でした。当時は草ぼうぼうで遺構の確認が難しかったのですが、最近はきれいに整備されているような写真を見たことがあります。また是非とも訪城したいと思います。


杉野一夜城、陣城ということで、空堀や土塁を回したり、桝形などは無く、それほど凝った作りにはなっていないようですね。ただ、堀切はいい感じに撮られていることもあって、こちらもゾクゾク感が伝わってきます♪

有名な岩村城や苗木城などこの一帯は遠山さんが治めていた地域なんですね、西の端長崎から美濃は遠く、遠山さんと言えば、大河・天地人での遠山康光、螢雪次朗さんという俳優さんが、すごく印象的だったとことをよく記憶しています。あと遠山さんと言えば金さん(汗)ぐらいです。

それにしても、美濃の山間部は有名な城郭以外でも、沢山の個性的な城があるのでしょう。うまい具合にそちらに転勤があれば巡ってみたいです。

では
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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