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美濃 六ツ城 🏯実戦配備色の強い見応えある戦国の山城

美濃 六ツ城 (岐阜県郡上市白鳥町野添日向) <町指定史跡>

真夏を避けていた美濃の山城めぐりもやっと再開できるシーズンとなりました。
平野部より一足早い初秋を感じる白鳥町です。
前回、原口城から南の真下に見えた六ツ城(むつじょう)を訪ねてみます。

同城は近くの六ツ橋の名をとって六ツ城(むつじょう)と呼ばれるようになったようです。

mutu (1)尾根先の六ツ城と、その背後にそびえる原口城の位置はまさに指呼の距離。

原口城からは城内が丸見え、直線距離にしてほぼ900メートルに相対しています。
麓間だけなら200メートルしかはなれていません。
この位置関係、敵対関係なのか?、それとも頼りになる支城関係なのか?気になりますね。

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六ツ城の山城を正面から見ます。刈り入れ前の稲穂が黄金色に輝いていました。(写真:左)
9月下旬といってもまだまだ蒸し暑いです。可愛いヒマワリが健気です。

車は城山直下の公民館に駐車場をお借りしました。
城址石碑と縄張り図つきの案内板がありますので、こちらから登っていきます。

mutu (5)旧白鳥町の城址石碑は規格が揃っているようです。

六ツ城は猪俣氏によって築城され、代々居城としていたようです。
天文9年(1540)朝倉軍が越前から侵入し、東氏の篠脇城を攻め立てた際、家臣で六ツ城主・猪俣五平次義綱は、木越城の遠藤胤縁・遠藤盛数兄弟と共に朝倉勢の背後をついて1か月後には越前へ敗退させます。
地の利を得た地元武士団の結束の勝利だったといえます。

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案内板には城主・猪俣氏について城の遺構の様子が詳しくあります。予習していけます。(写真:左)
お墓の右奥にある石階段から登っていく登山道があります。(写真:右)

mutu (8) おっと!、登り口に立ちふさがるカマキリが。

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登城途中に見られる石積群。

麓近くの登城道周辺には、石積が見られますが、城のものではないでしょう。
後世の産物かと思われ、祠や神社を祀ったスペースが見られるのでその関係遺構かと思われます。
しかし、これはこれで庶民的な労力を感じる面白い遺構です。しばし凝視・・。

mutu (10) 登山道は登りやすく整備されています。

mutu (11) 大手道に沿って登ると「かくれ岩」にたどり着きます。

「かくれ岩」には岩と岩の間にに人が隠れることができる程の空間がありました。
これも守り仕掛けの一つだったのでしょうか?
事実、この城の防御遺構はこのあたりから展開していきます。

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桝形っぽい虎口を通ると大手曲輪に到着。広いスペースがあり削平もしっかりされています。(写真:左)
本丸へ至る奥には土塁と堀切がセットで設けられています。(写真:右)

そして、曲輪の周囲、外郭を注意深くみてみると、部分的に石垣が使われていた形跡もあります。

mutu (15)大手曲輪北側に見られる石垣。よく残っています(^-^)。

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ちょっと別アングルからも観察してみると、崩れてはいますが、しっかり石垣です。

石垣を確認できてちょっと興奮気味です。
本丸へ向かいますが、こちらの一の堀切もなかなかのものです。

mutu (18) 土橋つながりで、堀切の両側は竪堀となっています。

mutu (19) 一の堀切を越えると本丸に至ります。

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本丸内には、曲輪周囲に礫石がゴロゴロしています。(写真:右)

恐らく、実戦にそなえて投石用として城中に用意されたものが残っているものと思われます。
投石が有効な迎撃手段であったことを物語っています。
結構生々しく、リアルですね。

mutu (20)本丸の奥にも大きな土塁が残っていました。

この土塁、よく観察すると、周囲を石垣で囲まれていて、それが崩れたような印象を受けます。
当時は内側を頑丈な石塁で固めていたものと思われます。
もちろん、有事には、石つぶてとして使うことも想定していたのでしょう。

mutu (21)本丸直下には深い二の堀切が待ち受けます。

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高さも幅もある大堀切です。尾根の脇、両側は勾配が急で岩山のため回り込みも不可能です。

mutu (27) しかも長い竪堀で遮断しています。

この堀切にはとても強い防御意識が働いているように感じます。
尾根伝いからの攻撃を充分に意識していた備えがしてあります。

そして、今回自分が最も感じ入ったのはこの「狼火台」遺構でした。

mutu (24)細尾根の緩斜面を利用して造られている連絡用狼煙穴。

粗雑ですがここまでしっかりとした状態で残存しているのはなかなかありません。
どうやって伝達していたのか、どこからの意をどこへ伝えていたのでしょう?
穴に目をやりつつ、あごに手を添えながらあれこれ想像してみます。

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「念のため」か、搦手筋にも、小さな堀切がありました。

六ツ城は登りやすい上に、全体的に遺構がとても見やすく、残存状況が良いです。
頂上からの眺望は現在では望めませんが、その分遺構見学は充実しています。
奥美濃を代表する中世戦国山城だと思いました。

mutu (40)南の麓には道路脇に立派すぎる石碑も立ってました。

天正12年(1584)小牧・長久手の戦いで猪俣五平次義綱は、遠藤氏に属して秀吉方として出陣。
美濃の旗頭、池田恒興の軍に従って奮戦しましたが、乱戦の中で討ち死にしてしまいました。

地元の方に猪俣氏の菩提寺を教えて頂いたのでちょっと寄ってきました。

光雲寺 (岐阜県郡上市白鳥町六ノ里橋詰)

mutu (34) 真宗大谷派の光雲寺は猪俣氏の創建と伝わります。

mutu (31) mutu (33)
寺は里山の静かな地区にあり、古めかしくも凝った造りの鐘楼に引き付けられます。

mutu (32)鐘楼の柱の四隅にはこんな可愛い瞳の狛犬?が・・獅子丸か?

mutu (37) mutu (38)
本堂です。屋根を見ると冬は雪深い地区であることがわかります。(写真:左)
そしてどうしてもこういう所に目がいってしまいます。さりげなく彫り込まれた力作ですね。(写真:右)

mutu (36)猪俣氏の墓は同寺の東の山肌にひっそりとありました。

mutu (35)

伝来の地を命がけで守ろうと勇戦・奮闘した猪俣一族を偲んで訪問させていただきました。

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六ツ城は隠れ名山城ですよ。

コメントいただきましてありがとうございます。

大先輩に文をとっていただいたとに大変恐縮しております。
私は六ツ城の手付かずの遺構が今日までほぼ完在状態で残っていたことに大変な喜びを感じました。
これぞ中世土豪の山城、といった感じの見応えのある山城ですね。

御養家、また御実家が近くに在られるそうですね。
里山風景がとても美しい地域で素朴でやさしい方々にお会いしましたよ。
私も本屋家系が郡上八幡なので郡上にはたまに出かけますよ。

マラソンは10km、ハーフがメインですが、今年はフルマラソンにチャレンジいたします。青梅、東京など憧れの名コースもいつか走ってみたいと思っております。
それにしても素晴らしい走歴ですね。私は山岳レースなんて考えたこともございませんでした。

つたないブログではありますが今後ともよろしくお願いいたします。
是非ともまたご教示していただきたいと思っております。


郷里

遅ればせながらのコメントで失礼します
六ツ城址の麓の集落に我が養家があります
(いわゆる婿養子に入った所、普段は東京に住んでいますが)
(また鷲見城址に近くには生家があります)

したがって六ツ城址は何度も歩いたことがあります
しかし一時期は叢、藪に覆われてとても歩ける状態ではなくなっていました
御レポを拝見してかなり良い状態であることを知りうれしくおもいます

久太郎さまはマラソンなどをされている由
私も青梅マラソン、東京マラソンに参加したことがあります
また日本山岳レース(24時間耐久)など何度か出場しました
いずれにしろ少々昔のことです、今は四捨五入すれば七十になろうかというじじいでございます


プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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