紀伊 湯浅城 🏯本当の湯浅城はこっちです

紀伊 湯浅城 (和歌山県有田郡湯浅町青木・青木山)

「湯浅城はどこですか?」と尋ねると、
「どちらの湯浅城ですか?」と逆に尋ねられる、
そんなやりとりがここ和歌山県湯浅町でのあるある話になっています。

そもそも、本来の湯浅城の隣の丘陵に立派な天守風国民宿舎湯浅城があることが原因です。
実際、こちらを本当の湯浅城として認識していかれる観光客も多いと聞きます。
歴史背景を理解して訪れれば違和感ありまくりでわかるはずなんですが・・。

yuasa (1)国民宿舎「湯浅城」の外観。確かに城郭建築であります。

この写真を記事のトップに掲載する自分も自分ですが・・。(他意はありません)
改めてお断りしておきますと・・、
中世の湯浅氏累代の居城「湯浅城」と国民宿舎の「湯浅城」は全く別物。
(但し模擬天守の4Fが資料館となっていて、湯浅城の資料や模型が展示されています)

yuasa (2)  yuasa (3)
左へ行くと国民宿舎湯浅城ですので、右へ行くと中世湯浅城です。(正直どっちかわからん訳です)

yuasa (6)史跡としての湯浅城は天守風建物がある南の丘陵に築かれています。

yuasa (4)
こちらの登山道より見学できます。

湯浅城見学は管理人の方への連絡が必要です。
入口は鍵がかかっていますが、電話して開けてもらえます。(10分ほで来ていただきました)
入口に連絡先電話番号があります。(勝手に入山するのは慎みたいものです)

yuasa (7)

yuasa (5)
湯浅城の想像鳥瞰図が示されています。

山頂の主郭から各尾根に広がる曲輪があり、堀切や土橋、土塁などが残っています。
それほどな縄張りではありませんが、山全体が城砦化されている様子がわかります。
大きな窪地を池跡としています。

yuasa (9)
城内には模擬冠木門や逆茂木などがこしらえてあります。

管理人さんをはじめ地元の方々が時代考証しながら整備してみえるそうです。
なかなか立派な出来具合いで、雰囲気が出ていますね。
(個人財産的なところがございますので写真は最低限にしておきますね)

yuasa (10)腰曲輪に立つ石碑。

yuasa (11)
背後の高台が本丸になります。

yuasa (12)
本丸一帯は「パワースポット、青木山」だそうです。

湯浅城がどちらを指すのか?
それは目的をもって訪れた人が判断することになります。
自ずと城址整備をされてみえる方々の手による湯浅城に辿り着くハズです。



紀伊 天路山城 🏯湯川直春の実弟・弘春の居城

紀伊 天路山城 (和歌山県日高郡日高町比井・天路山)

天路山城は亀山城から西へ7kmほど小坂峠を越えた海側の地にあります。
間の途中には入山城などの山城城郭もあり、そちらの見学などもできましょう。
天路山城は湯川直春が築城、その弟の湯川弘春が譲り受けた居城、というのが興味深いところです。

tennjiyama (1)山肌周辺が伐採されている山頂一帯の山が天路山城です。

tennjiyama (8)
比井集落の通りを赤い消火栓から細い路地を入っていきます。

天路山城の入口は非常にわかりずらいです。
何人かの地元の方に聞き、やっと見つけました。
よくある話ですが、城跡の存在さえ知られていないパターンですね。

tennjiyama (9)
そのまま山に向かって直進すると右手に上る階段脇に木柱案内があります。

tennjiyama (10)かなり疲れ気味の木柱に手書きの城址柱がいい仕事してますね~。

tennjiyama (3)
土居跡に残された五輪塔。

階段を上ると畑がありますが、この畑が土居跡になります。
畑の斜面の下には五輪塔があり、ここから山頂目指して登ります。
途中、かなりの藪とかなりの急斜面に心が折れそうになりますが頑張りました(笑)。

tennjiyama (4)
山肌が伐採されているのは道路工事のためでしょうか。

将来、天路山城への遊歩道でも?・・なんて。

tennjiyama (5)
三方向を土塁で囲まれた山頂部の本丸と切岸。

tennjiyama (6)
三の丸には狼煙台と思われる高い台があります。

tennjiyama (7)
腰曲輪の側面には小さい石で積まれた石垣があります。

本丸と二ノ丸の西側下をめぐる腰曲輪の側面の石垣は特に素晴らしいのですが・・。
残念ながら撮った写真がぶれてしまいました・・。(予備にと思って撮った2枚とも)
ですので涙ながらに掲載を断念!(再度チャレンジ?)

tennjiyama (11)
城の南には比井漁港が静かな湾を形成しています。

天路山城は海に面し、内陸部の兄・直春と連絡した湯川弘春が居城しました。
彼が兄・直春に追従して秀吉の南征軍に共に対抗した記録はありません。
しかし、支城主として湯川党の一門有力者として兄と行動を共にしたであろうことは想像できます。

弘春の主張如何によっては湯川党の軍議決定そのものに影響を与えたかもしれませんね。

tennjiyama (2)
これは目を引いた!クエのモニュメント

和歌山県日高町ではクエが郷土料理として有名です。
クエは近年、幻の味の高級魚として全国的に知られ、大変な美味で評判となっています。
ランチで煮付けがとても美味しかったので、皆さんも一度ご賞味してみたください。


天路山城登り口をマークしておきます。

紀伊 小松原館 🏯紀伊守護をも凌いだ湯川氏の居館

紀伊 小松原館 (和歌山県御坊市湯川町小松原・湯川神社)

亀山城の東南麓には湯川氏の居館跡である小松原館が存在しました。
亀山城からも近いのでセットで訪問してみました。
場所は御坊駅から歩いて300mほどの湯川子安神社を目指します。

komatubara (3)湯川子安神社です。

komatubara (1)湯川直光、直春親子が平時の館を構えた所です。

本城亀山城が寒風が吹く季節は住みにくい、という理由で平地に居を構えたそうです。
比較的暖かい地方で「寒い」などと、結構ひ弱な印象です。
まぁ、高台の浜風は寒いことは確かですね。

現在の神社の敷地には一部水堀が残っています。
湯川氏は当時、紀伊の守護をも凌ぐ勢力を誇ったそうです。
現在の御坊商工高・湯川中学校一帯の広大な土地が館の敷地でした。

komatubara (4)訪問した時は水が抜かれて堀底が現れていました。

「これは石垣の様子も見学できる」、ある意味ラッキーなのか?と思いました。
「よし、堀底に降りてみよう!」、・・そう思ったのが運の尽きでした・・。
・・そこは思っていたような堀底ではなかったのです・・。

それは上から勢いよく堀底に飛び降りた瞬間でした・・。
「!!」、沼と化した堀底に靴がどんどん吸い込まれていきます!
「こ、これは?、マジでヤバい(汗)」、・・最悪です。

komatubara (5)
足を吸い込まれながら撮った気合の一枚です。この後、なんとか脱出!

常時は水堀であったことを完全に忘れていました。
小松原館、なかなかに堅城です!
・・というか神社にて新年早々横着をした報いでしょう、バチがあたりました(猛省)。

komatubara (7)
高台にある湯川子安神社には往時の雰囲気が。

神社は湯川直春が娘の安産を願って浅間神社(現・静岡県)に祈願。
その分身を亀山城山麓に移して今日に至っています。
娘の無事出産を願った直春の愛情が伝わってきました。

komatubara (2)

ひょっとしてその娘婿というのは、争った手取城主・玉置直和なのでしょうか?
・・だとしたら、直春の気持ちを考えるほどに切なくなります。
娘の幸せを誰よりも願っていたはずです。

komatubara (6) 石碑の裏も大切です。

直春の愛情深い娘親としての一面を感じた小松原館でした。



紀伊 亀山城 🏯紀伊の穴熊・湯川直春の居城

紀伊 亀山城 (和歌山県御坊市湯川町丸山・亀山) <市指定史跡>

今回の城めぐり、西紀伊を選んだ理由はですね・・。
それは自分が紀伊で最も関心があった武将たちに魅せられたからです。
いずれも羽柴秀吉の紀伊平定戦に対し、運命を賭けた5人それぞれの動向です。

雑賀党の鈴木佐大夫・雑賀孫一(鈴木重秀?)の親子。
湯川党の湯川直春・湯川弘春の兄弟、
そしてその湯川氏の女婿・玉置直和、の5人です。
特に湯川直春・弘春兄弟の動向には不思議な魅力があります。
既に紀伊大半の城が秀吉の手によって落とされているにも関わらず、平定目前での宣戦布告です。

‥一体何の狙いがあったのでしょう。

yukawakameyama (2)東西に延びながらもほぼ独立峰になった亀山の山頂が城址です。

yukawakameyama (1)城址の腰曲輪には当時の復元想定図が掲げられていました。

本丸を頂点として、輪郭式に曲輪を配した様子が窺えます。
大きな堀切などはなく、郭を段々に重ねたのみに見えますが・・。
これは主郭以外が開墾によって面影しか残っていない所もあるようです。

yukawakameyama (3)
主郭部周辺の切岸は辛うじて城郭遺構として残っています。

yukawakameyama (5)
本丸の現況です。

yukawakameyama (9)周囲を土塁でぐるっと囲まれています。

yukawakameyama (4)
本丸の西側の土塁は最も厚みがあり、高さもあります。

yukawakameyama (7)台座がいい・・、亀山城石碑でございます。

yukawakameyama (10)「亀山城跡(址)」、に苦笑( ´,_ゝ`)プッ
(「跡」でも「址」でも・・どっちでも一緒ですよ(笑)。真面目だな~と。)

yukawakameyama (6)
本丸には湯川氏一党の供養塔も。

天正13年(1585年)羽柴秀吉の紀州平定に際し湯川直春は秀吉と対決することを決意。
娘婿の手取城主・玉置直和に対して同調を求めるも玉置氏はこれに従いませんでした。
これは前回の手取城の記事でも触れました。

何故に大勢の決まった秀吉の紀伊平定に逆らうことになったのか・・。
少なくともこの程度の居城ではとてもではありませんが籠城にも耐えうることは無理です。
この時のいきさつは漫画「センゴク権兵衛」(宮下秀喜さん著)でも活き活きと描かれています。

湯川直春は秀吉軍を山深い熊野山中へ引き釣り込み、ゲリラ戦を展開していきます。
熊野山中を庭のように知り尽くした強靭な国人衆に疲弊する秀吉軍。
秀吉本隊からの平定催促は派遣部隊の結束を乱していきます・・。

秀吉軍の軍制システムの弱さに付け込む、神出鬼没の作戦を展開していく湯川一党。
そして湯川党は秀吉軍との和睦条件に本領安堵を引き出すことに一時的に成功します。
まさに穴熊戦法と呼ぶにに相応しい湯川直春の作戦勝ちに見えました・・。

yukawakameyama (8)本丸から見る御坊市内と日高港。

しかし天正14年(1586年)、湯川直春羽柴秀長の居城である大和郡山城で没しました。
頃合いを見て隠密に謀殺された、とも伝えられる直春なのでした(一説です)。
このあたりの話は島津家久の一件とも話が被ったりしてますので案外史実なのかもしれません。

熊野の山中を利用し、と国人一揆を主導した湯川直春の生き方、
・・こういう粘り方もあるのだな、と感じ、魅力を感じるのです。

「びばぁ~っ、進めぇ~!」 by センゴク権兵衛の湯川直春でした。



紀伊 手取城 🏯義父と袂を分かつ決意をした玉置直和の居城

紀伊 手取城 (和歌山県日高郡日高川町和佐・城山) <町指定史跡>

和歌山県下の中でも、規模、原型保存、この城に勝る城址なし、と言われるのが手取城です。
今回は主要部のみの見学になりましたが、とても印象に残った名城だと感心しました。
その名に恥じない紀伊国屈指の巨大城郭といえます。

tedori (16)別所谷の中、手取城が築かれた、通称「城山」。

手取城は和佐玉置氏によって築城されました。
「みずからの手で領地を切り取った」という由来から手取城、と名付けられたそうです。
亀山城の湯川氏とともに日高地方を二分する勢力を築いて代々居城しました。

天正13年(1585年)羽柴秀吉の紀州侵攻に対し、亀山城主・湯川直春は娘婿である手取城主・玉置直和に共に秀吉と対決することを望みますが、直和は首を縦に振りませんでした。
湯川直春は娘婿であろうとも二百余名で手取城を攻め、城を焼き払いました。
(これを坂ノ瀬合戦と呼んでいるそうです)
tedori (1)
城山の南を走る道沿いに手取城入口の道標が出ています。

この林道は舗装され東の丸まで続いており、普通車ならなんとか通行可能ですが・・。
途中から気持ち狭まりますので右側に現われる土取場に駐車し、そこからは徒歩のほうがベター。
林道途中から遺構が始まっていきますのでおススメです。

tedori (2)
この「古城行道」の石碑背後の堀切あたりから見学していけます。

tedori34.jpg
徒歩5分ほどで長さ100メートル以上に及ぶ東丸に到着します。

tedori (3)

tedori (5)
基部に見られる新しめの石垣は寺院の址だそうです。

tedori (6)
本丸の南、二ノ丸ではちょっとしたピクニックができそうです。

tedori (11)どこかで見たような理想の石碑に共鳴~(*^-^*)

tedori (10)
本丸に到着すると・・。

tedori (8)
西に西の丸をはじめとする曲輪が連なるのが見え・・。

tedori (9)日高平野方面が一望できます。

tedori (7)本丸の北側には崩れた石垣が見られ、その先の下には4条の堀切も見られました。

tedori (14)本丸・二ノ丸と西の丸を画す幅広の大堀切。

tedori (13)
右手の土塁は西の丸にある蔀(しとみ)土塁と思われる大土塁です。

tedori (12)
西の丸の中心部にある「狼煙台」と思われる遺構。上から見ると五角形になっています。

tedori (15)
全体的に主郭部はとても見学しやすく、貸し切りしてるのが贅沢すぎる気分。

湯川氏と常に共同行動をとってきた玉置直和も秀吉の南征では政策転換せざるを得ませんでした。
これはある意味、時世の流れを把握した当然の選択だと思われます。

覚悟を決めたのは男たちばかりではありませんでした。
玉置直和に嫁いでいた湯川直春の娘は離縁を勧める父の勧めを一蹴。
夫・直和に添い遂げる決意をするのでした。

湯川直春は涙ながらに手取城の落城を見届けるのでした。

城址には沢山の桜が植えられていました。
きっと春には素晴しい花見もできるのでしょう。
紀伊の代表的山城に相応しい、見応え充分すぎる手取城でした。



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、開設以来、3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

フルマラソン走りました!
5月27日、富山県黒部市にてフルマラソンを走ってきました。
自然豊かな山河と田園風景に心も癒されました。
42kmにも及ぶ暖かい地元の方々の声援は底力となって響き、情熱にあふれたランナーさんたちとお友達のY吉さんからもパワーをいただきました。
・・そして戦国越中を彩る数々のお城址もしっかり見学してこれました(笑)
多分、城記事は書けそうにないのでご報告までになりそうです。
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