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丹波 亀山城 🏯明智光秀公の丹波攻略拠点を散策

丹波 亀山城 (京都府亀岡市荒塚町)

丹波・八木城と園部城を見学して京都方面に取舵一杯!
その足で丹波・亀山城に寄ってみました。
郷土の英雄・明智光秀公の夢の址に是非立ち寄りたくて・・。
(大河ドラマの予習も兼ねて・・)

さて・・、といっても現在の丹波亀山城は新興宗教団体「大本」の宗教施設内となっています。
城の一部は許可をいただいたうえで見学が可能、ということで行ってみました。
ちょっとドキドキしましたがそこは亥年の男、プチ勇気で突入してみます。

見学にはちょっとした段取りがあるのでご説明しながら・・。

(※宗教施設ということで関連施設の画像は極力控えさせていただきます。)

①駐車場
見学ということであるのなら大本本部の大駐車場に駐車可能(無料)です。
京都での観光に慣れていると有料かと思いきや意外に無料でした。(ありがたいことです)
行きかう方たちは皆さん礼儀正しく挨拶をされるので、かしこまってしまいます。

tannba03 (70)大本本部の案内図。

あくまで「大本本部」としての案内図。誰が見ても頂部一帯は城址だとわかるのですが・・。
そこには「本丸」とか「門址」とかいう図示は見当たりません。
宗教関連施設名での説明が既に別世界となっているようです。

②見学受付
正面のみろく会館内の左手受付にて見学の旨を伝えます。(拝観料も無料です)
記帳に氏名と住所を記入。目的欄には「城跡見学」の項があり、〇で囲みます。
すると事務員さんがご丁寧に亀山城の簡単な説明・案内をして頂きました。
館内2階では城に関する絵図や写真なんかも見学できます。

tannbakame (1)
内堀の一部であった万祥池。

③万祥殿にてお清めのお祓い
再度、万祥殿右手の受付で城跡見学の旨を伝えます。
すると巫女さんが(神社でいう)オオヌサでお祓いしてくれます。
低頭してけがれを払い落としていただく簡単な儀式です。

・・「お直りください。」(・・お、終わりましたか??)

さ、これで晴れて城跡にパスできます。
左側の小さな門から堂々と城跡へ向かうのであります。
ちょっとめんどくさいかもしれませんが「郷に入りては郷に従う」ことで。

IMG_8438.jpgいきなり現れる天守台に心の準備が伴わない・・(^_^;)。

よく画像で見かけるお決まりの写真ですが結構迫力あります。
積み直しされているようですが、見た目全くわかりませんでした。
この石垣の前に立つと、そういったことも些細なことに思えてしまいます。

IMG_8436.jpg
扇の勾配、反りからの上部・直積への勾配が美しい。

IMG_8434.jpg
明らかなる積み直しですが、角部が鋲状になっているのが面白い。

IMG_8430.jpg画角を変えるとまた違った迫力が増します。

IMG_8441.jpg
ここから先、上部へは「聖域」のため立ち入りはできません。

「聖域」・・と言えば・・。
車田正美さんの『聖闘士星矢』か池上遼一さんの『サンクチュアリ』以来だろうか・・。
(・・所詮、自分の頭の中はその程度なのか)

ダメだと言われると見たくなるものですが、・・やはりやめときましょう。
足元にはセンサーらしきものも・・、イノシシにも罠を嗅ぎ分ける能力くらいはある。
第一、拝見する側としてのマナーは守らなければいけません。これ常識。
(ここでは試されている感がある)

IMG_8446.jpg
石蓋された井戸らしきものもありました。

tannba03 (79)明智光秀公築城亀山城跡の石碑は公園の片隅にあります。

tannba03 (77)
公園にはブロンズ製の鯱瓦もモニュメントとして飾ってありました。

tannbakame (2)
南郷公園一帯には外堀が廻っています。

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現地では明智光秀公の城下町史跡めぐりも。

こちらも大河に向けて準備が整いつつあります。
美濃可児、近江坂本、丹波福知山、等、どこでも光秀公は人気です。
彼が平定した土地はどこも城下町や交通・産業が発展したとこばかり。

敵同士で戦い合った武将ともどことなくお互いフェアな面を感じます。
個人的な想像ですが、きっと泰平の世につながる治世を施した証なのではないでしょうか。
戦いに戦いを重ねていくのではなく、その先には彼が目指した理想の『聖域』があったものかと。

そしてここ丹波亀山城は大いなる決断に踏み切った、彼の運命を分けた地になりました。

tannba03 (72)『聖域』へとつながる階段と折り重なる石垣。

亀山城の見学できる地域は限られますが、ゆっくり一周することで雰囲気は充分堪能できます。
どのような形であれ、このように見学できるのですからとてもありがたいことだと思います。
大本の関係者の皆様のご厚意に深く感謝いたします。

光秀公の人柄がまた一層偲ばれた丹波亀山城でした。


Ⓢは大本本部の大駐車場をお借りいたしました。
Ⓖは丹波亀山城の石垣遺構。見学の手順・マナーを遵守しましょう。

丹波 園部城 🏯日本城郭史で最後の築城城郭

丹波 園部城(園部陣屋) (京都府南丹市園部町小桜町・現園部高校)

丹波・八木城を下山した後に立ち寄ったのが園部城です。
この園部城、実は日本の城郭史上最後に築城されたと言われるお城で有名?です。
・・恥ずかしながら自分は知りませんでしたので(^_^;)。

sonobe (9)園部城の現存巽櫓と櫓門。

園部藩は元和5年(1619)国替えによって但馬・出石より移封となった小出吉親が起こしました。
当初、小出吉親はこの地に築城することを江戸幕府に願い出たのですが・・。
諸事情あってか許可が下りなかったため、天守や櫓を持たない陣屋として築いたものです。
徳川幕府の制度上では陣屋という扱いになるが、規模としては城と呼べるものでした。

城が完成したのはなんと維新後の明治2年(1869)になっての事。

幕末の動乱期でもあり、園部は京から近く万が一の時には要街地ともなります。
そういった度々の進達にも関わらず、なかなか改修は認められませんでした。
しかし、慶応4年(1868)明治政府に願い出、「帝都御守衛」の為として遂に認められました。

sonobe (8)園部城では最大の櫓で象徴的な巽櫓。

sonobe (7)とても整った美しい外観である櫓門は現在は校門に。

小出氏の念願が実って良かった良かったとなったところでしたが・・。
悲しい事に、完成からわずか三年後に廃城になるという運命をたどります。
大半の建造物が取り壊されるなか、「櫓門」と隣接する「番所」と「巽櫓」がのこりました。

あと、いまひとつ「太鼓櫓」は南丹市八木町にある安楽寺に移築され残されています。
また、園部高校の裏手には小麦山と呼ばれる山があり、この山頂にも三層の櫓が建てられました。
今回は訪問できませんでしたので、また足を延ばして見てみたいな、と思います。

sonobe (4)園部城石碑。

sonobe (1)
堀の一部がプールになっています。こんな活用法があろうとは。

sonobe (6)
こちらは模擬天守風?で南丹市国際交流会館の建物。

園部城跡である園部公園内にはいると真っ先にこちらの天守閣が目につきます。
ガラス張りの壁に、石垣が「コンクリ垣」となっているので間違える事はないかと思いますが。
特に史料館といった施設でもありませんので見て楽しめればいいでしょう・・。

sonobe (2)
遺構と現代建築との境目がわからない・・。

sonobe (5) お向かいの石垣は当時のもの??。

sonobe (3)
こちら天守ではありませんが、遠目に見るとそれっぽく見えてしまう・・。

見所は限られますが、物足りなければ小麦山まで散策すれば結構満喫できるかと。
城址一帯は園部高校の敷地内となっていますので見学や撮影には気を遣いたいものです。
平日なら門を入った右手にある事務室に一声かけていくことをおススメいたします。

街中に溶け込んだ中にも堂々さを感じさせる園部城でした。



Ⓢは巽櫓・櫓門の位置。
Ⓖは小麦山頂上・櫓郭跡地

丹波 八木城 🏯丹波最大級の山城へ登りました

丹波 八木城 (京都府南丹市八木町八木・城山)

ここ数年、京都・丹波に行く機会が増えました。
長男が京都で学生生活を送っているからです。
帰省の折、迎えに行ったり、荷物を届けに行ったり、そして・・。

それにかこつけて京都・丹波の山城をめぐるというのもルーティンの一環となっています。
お小遣いの少ない自分にとって、我が家の公費で行ける、こんな嬉しい事はありません。
長男にも会うことができ、おまけに城まで行けるなんて・・。

かわいい子には旅をさせよ、といいますが、いや~、納得です。(なんか違うか・・)

長男:「俺、5時間目まで講義あるから夕方まで暇つぶしてていいよ」
自分:「了解!」(`・ω・´)ゞ
・・こんな気持ちいいハキハキとした返事をしたのも実に久しぶりです。

・・っということで今回は以前から憧れていた丹波・八木城に行くことができました。
丹波・八木城は丹波国三大城郭のひとつで、黒井城八上城とともに数えられています。
また、キリシタン武将・内藤如安ゆかりの城としても知られていますね。

yagienkei.jpg城山一帯に展開する複合梯格式の山城、八木城。

天文22年(1553)内藤国貞三好長慶と結んで八上城主波多野氏と対立。
八木城は波多野方に攻められ落城、国貞は討死します。
その後、松永久秀の弟・松永長頼が八木城を奪還します。

長頼は国貞の娘を娶って内藤宗勝と名を改め、八木城主となります。

しかし内藤宗勝は永禄8年(1565)黒井城攻めで討死。
宗勝の子がキリシタンとして著名な内藤如安(ジョアン)です。
内藤如安については、後、小西行長の重臣となり、関ヶ原合戦後は前田利家の庇護を受けます。

江戸時代にキリシタン追放令が出されるとマニラに追放されました。

tannbayagi (17)麓の春日神社西口に立つ内藤ジョアンと八木城の石碑。

キリシタン武将に相応しいお洒落~な石碑です!
十字架と装飾されたデザインが清廉な印象を受けます。
この石碑を見るだけでもここに来た甲斐があるというもの。

tannbayagi (18)
模擬城郭風?の高速道路下のトンネル手前に路駐できます。(説明版あり)

tannbayagi (20)
登山道は山城にしては登りやすいと思いました。(個々の感想)

tannbayagi (19) tannbayagi (21)
10合目から1合目までカワイらしいイラストが案内してくれました。

tannbayagi (22)
25分ほどの登山で頂上に到着です。わ、なんか景色良さそう・・。

tannbayagi (26)
本丸にはいい所にベンチがおいてあります。

tannbayagi (24)やはり山城からの眺望というものはいいものですね∠( ^ o ^ ┐)。

本丸からの眺望は本当に素晴らしかったです。
冬のピーンとした張り詰めた空気が余計に相まっていました。
散策前のしばし、ブラックコーヒーとカロリーメイトでおやつタイム・・と。

さて、今回は主郭部だけののんびり散策です。

●本丸●

本丸にある縄張り図を参考にして見学する範囲を決めます。
丹波・八木城は別郭の集合体で構成されています。
個々の郭自体が一城郭規模に匹敵するといっても過言ではありません。

tannbayagi (25)

tannbayagi (1)
一段下からみる本丸は天守台にも見えるような迫力もありました。

tannbayagi (23)
両脇を土塁で囲った曲輪の様子もよく観察できます。

tannbayagi (2)
本丸虎口の土塁。

tannbayagi (5)本丸周辺には石垣も残っていました。

tannbayagi (6)

tannbayagi (14)
崩された石垣の中にあってもよく残っていると思います。

場所によってはもっと高石垣が残っている箇所もあるようです。
また次回訪問した時はしらみつぶしに探してみたいものです。
(いつもながらいい加減な予習しかいないので、後で後悔すること度々・・)

tannbayagi (4)
金の間より見上げた本丸と虎口。

●二ノ丸(内藤和泉守将郭)●

tannbayagi (10)
本丸と二ノ丸を連絡する馬場の址。

真冬の山城はとても見通しがよく、直線が映える郭の一つです。
尾根全体が城郭となっているため空間的にも広く感じるのが特徴です。
曲輪ごとに守将の名が付いているのも歴史的緊張感がありますね。

tannbayagi (13)
どちらかというと本丸よりも切岸がはっきりして、高いのがわかります。

tannbayagi (8)
こちらも本丸規模に匹敵するほどの土塁です。

tannbayagi (9)本丸・二の丸の堀切。

●北の丸(内藤五郎郭方面)●

tannbayagi (15)内藤五郎郭直下の堀切。

北に面した曲輪ですが、本丸とは距離があるため南面のような明るさがありました。
所々に小さな謎の横穴がありますが、何かを採掘したようです。(マンガン等?)
どこまで行っても遺構の規模が小さくなる気配がないほど大きな城郭に驚くばかり・・。

まだま見所はたくさんあるのですが、今回の散策はここまでです。
この城は非常に規模が大きく、じっくり味わえば色んな発見があることと思います。
ヤブ漕ぎになる箇所もあるかと思いますが、探索する価値の高い山城だと思います。

山城歩きでなくとも、ハイキングとしても気持ちいいコースだと思います。
さてさて、今回は長男の用事にかこつけてのどさくさ城めぐり。
また来れるチャンスは何度もありそうですから・・。

こちらにはまたじっくり再来したいな、と強く思いました。(我が家の公費で・・)



Ⓢは内藤ジョアンの石碑が立つ登城口。車は説明版脇に路駐か、春日神社に。
Ⓖの城山山頂部まで遊歩道があります。(山頂まで徒歩約25分)

大和 多聞城 🏯松永弾正久秀殿に逢いたくて・・その②

大和 多聞城 (奈良県奈良市多門町・多聞山・現若草中学校) 
【年末恒例・城友さんと行く年納め城めぐり紀行その⑥】

yamatojijyo (145)
平山城でも低い部類に入る多聞(山)城。

永禄3年(1560)に松永久秀によって築かれた多聞城
松永久秀の大和支配の拠点の一つとして有名な城です。
有名な理由として、多聞櫓の由来となった城、いうのも挙げられます。

・・ご存知だと思いますが・・。
「多聞櫓」とは、城内の宿舎長屋を櫓としても使えるよう石垣端に建てた施設。
後の城郭建築に多大な影響を与えた画期的な建築技法となっていきます。

yamatojijyo (141)近年に設置された案内版が詳しいです。

ルイス・フロイスによりヨーロッパにも、城の天守風建築物の様子が伝えられたといわれます。
日本の近世城郭における天守閣の始まりは、この多聞城こそが先駆建築である、とも。
信長の安土城にも影響を与えた、という話も本当らしい気がします。

yamatojijyo (142)
城跡は若草中学校の敷地となっています。

無断での校内散策はご法度のため今回は周囲からのみの見学です。
城の西側は仁正皇太后陵と聖武天皇陵となっているのでここも立ち入りはできません。
部分的にはには遺構が残されているそうですが・・、残念です。

tamonn.jpgこの石碑があるとやっぱり雰囲気が格段に上がります。

元亀三年(1572)、久秀は反・信長包囲網に加わり反旗、多聞城には子の松永久通が籠城します。
しかし、天正元年(1573)甲斐の武田信玄が没して包囲網も破綻。
多聞山城を明け渡すことで信長に降り、信貴山城へと退きました。

信貴山城を見学した後だけに、当時の壮麗な「松永流城郭」を想像したひと時でした。



Ⓖは階段横に城址碑が立っている位置で、手前には案内板もあります。
駐車場は特にありません。

大和 龍王山城 🏯十市氏の築いた南北二城構成の巨大城郭

大和 龍王山城 (奈良県天理市田町・龍王山)
【年末恒例・城友さんと行く年納め城めぐり紀行その⑤】

雨は小降りになってきたものの、雨の山城はやはりキツイもの。
雨があがるのを期待して足を延ばして来たのが竜王山城です。
・・でも願いも虚しく今回は見学断念するしかなさそう・・。

ryuuouyama (19)北城と南城の中間には大きな石碑があります。

龍王山城は標高585.7mの龍王山山頂に築かれ、北城と南城から成る山城です。
、といってもそれぞれが独立した別城といってもいいもいい規模の城郭群。
大和の中でも最大級の中世山城で、大和の有力国人だった十市氏が築城しました。

ryuuouyama (12)

ryuuouyama (14)大和国内でも大規模な巨大城郭。

北城は本丸を中心に周囲に曲輪を配置する縄張りです。
南城は尾根筋に沿って曲輪が一列に並ぶ連郭式の縄張り。
どうやら南城の後に北城が築かれたようです。

ryuuouyama (11)

ryuuouyama (3)ゆっくり見学すれば見所がたくさんある山城です。

以前訪城したこともある城ですので、今回は雨という事で登城は諦めました。
南城からの素晴らしい眺望を城友さんに見せてあげたかったのですが・・。
霧も発生して視界も悪そうなので無理かな・・。

ryuuouyama (7)南城からの眺望は絶景です。(前回時の撮影写真)

主郭からの眺望は奈良盆地が一望でき、その向こうの山脈まで見えました。
空気が澄んでいると明石海峡大橋まで見えるそうです。
こちらの南城にはハイカーの皆さんがよく登られてみえました。

ryuuouyama (5)
南城では主に眺望が楽しめるのがいいです。

さて、一方北城はテクニカルな城郭遺構が展開しています。
ryuuouyama (13)

ryuuouyama (1)
辰巳の櫓跡の下には石積らしきものも見られます。

ryuuouyama (2)堀切など、全体的に遺構が見学しやすいです。

本丸跡の奥には何故か遊具やアスレチック展望台がありました。
また一見土塁に見えたものが実は植木だったりと楽しませてもらえます。
山城探索するのに相応しい一大城郭といえましょう。

龍王山城を本格的な城郭に修築した十市遠忠とはどれほどの人物だったのでしょう。

1540年(天文9年)筒井氏と和睦してからの十市遠忠の勢力は急成長した。
ライバルの木沢長政が討ち取られると、遠忠の勢力は更に拡大、筒井氏の勢力をも凌ぎます。
興福寺から使が訪れるほどの権力者となり、「山ノ城」とも呼ばれました。

十市遠忠は和歌、連歌、書を行い文化人としても名を馳せたようです。
お公家様とのお付き合いが上手だったのもプラスに働きました。
武辺だけでは強固な地盤を築けていけなかった大和特有の巧みさを感じます。

また次回訪城できる機会があった時はじっくりと訪問したいものです。



Ⓢまで舗装林道経由にて車で行けます。(駐車場あり)
Ⓖは北城の主郭部。
✔は南城の主郭部。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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