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三河 古宮城 🏯三河における甲州流城郭の代表塞

三河 古宮城 (愛知県新城市作手清岳・宮山)<市指定史跡>【続・日本100名城】

古宮城は長閑な田園地、比高50m程の独立丘陵に築かれています。
この城は武田氏の家臣・馬場美濃守信春によって築かれたと伝わり有名です。
甲州流築城術の粋を極めた大要塞の姿が素晴らしいのでおススメしたい城です。

furumiya (10)手軽に登れる古宮城のある宮山全景。

そんな古宮城、「続日本100名城」にも登録され、前途洋々なハズなのですが・・。
・・なにせ三河の山間部、交通アクセスが不便なためもあり、
綺羅星の如く名城揃いの愛知県内では後回しにされる一方です・・。

という事で・・美味しい五平餅を食べにも行ってみませんか?(;^ω^)

furumiya (1)白鳥神社前に案内看板がございます。

脇の小さな案内板には名城スタンプの設置場所も記してあります。
スタンプは城址内にはありませんので、お目当ての方はチェックを。
(作手歴史民俗資料館、もしくは近くのコンビニ、Yショップつくで店さんまで)

furumiya (2)
巨大なヒノキに囲まれて、頭クラクラ💫。

furumiya (3)高い土塁に囲まれた主郭南側の桝形虎口。

武田氏城郭によく見られる両袖内桝形虎口と呼ばれる遺構です。
虎口内でクランクが見られ、両脇から横矢を掛ける仕組みですね。
一視点で見られるこれ程の鮮やかな遺構、そうそう見られません!

furumiya (4)
曲輪のラインに沿って土塁がぐるっ、と巡るります。

furumiya (5)
森林自体が非常に手入れされているので真夏の見学でも問題ありません。

furumiya (7)
各曲輪には幾重にも横堀と土塁が重ねられています。

furumiya (6)
東と西の曲輪間を大規模な堀と竪堀で分かちます。

furumiya (9)
土橋から見た大堀切。

furumiya (8)絵に描いたような山城テクニックの目白押しに驚嘆!(*゚Q゚*)。

武田氏の領国境、いわゆる境目の城に多く使われた技法が見られます。
遠江の諏訪原城など、武田氏の家臣・馬場美濃守信春によって築かれたとされる古宮城。
三河に侵攻し、作手の亀山城主・奥平氏を降し、この地における拠点として築かれたのでしょう。

城跡周囲には山全体を総堀と思われるような堀も巡っています。
中世山城の完成型といっていいもので、近世城郭への過程も感じ得ます。
また見学のしやすさもあり、教科書的なわかりやすい山城でもあります。

城郭初心者の方でも充分に遺構を読み解きできる素晴らしい城です。
是非ともその姿に驚嘆して欲しいものです。

・・あ・・美味しい五平餠、写真撮るの忘れちまったです、申し訳なしデス・・(ノ_<)。



対馬 池ノ屋形 🏯宗将盛居城と伝わる幻の城

対馬 池ノ城 (長崎県対馬市厳原町今屋敷・池神社)
国境の島・対馬の城郭めぐり その⑥  

今回の対馬の城めぐりも本稿でラストになります。
・・もし、1回目の金石城や対馬国境マラソンから目を通していただいている方が見えましたら・・
感無量この上ございません、少しは対馬の城や自然の魅力をお伝えできたのでしょうか??

「対馬へ行ってみたいな」、と少しでも思っていただけたなら嬉しいです。
自分も「いつか一度は行ってみたい」、と思った歴史ある島でした。
でも今では「いつかもう一度行ってみたい」、という気持ちでいっぱいです。

ikeyakata (8)
旅館から厳原の街中をぶらり散策してみました。

・・さて池之城は通称「池の屋形」と呼ばれています。
大永6年(1526)、宗将盛によって築かれたと伝わっている館城です。
街中散策をしながら見学して参りました。

ikeyakata (2)池神社一帯が池ノ屋形の跡地だと推定されています。

ikeyakata (4)たたずまいがある小さな神社です。

細い路地にあるのでなかなか辿り着けないかもしれません。
でも、ぶらぶらと歩いているうちに見つけられました。
歩きながら城下町の雰囲気も楽しめます。

ikeyakata (5)ちゃんとした説明版も中にあります。

池の屋形は宗将盛が中村屋形から移した館城です。
因みに中村屋形は前記事で紹介した宗義智公銅像のある公園一帯にありました。
享禄元年(1528)豆酘郡主の一族が謀叛を起こし池の屋形は焼失し、その後、金石城が築かれました。

わずか2年でしたが一時的にせよ府中の政庁として機能した池之城。
案内板の図面を見ると厳原湾に突き出した本丸、納戸曲輪が見られ、
三の丸には喰い違い虎口が見られ堀や土塁が巡っているようです。

宗氏の新城として相応しい本格的な館城であったのでしょう。

さて、厳原の街中にはあちらこちらで高さ3mほどの石垣壁を目にします。
これは『火切石』といって火災の類焼を防ぐために設けられた防火壁です。
狭い街中での火事は大規模火災につながってしまいますからね。

ikeyakata (7)
対馬先人の防火意識を感じる独特の遺構でもあります。


対馬 桟原城 🏯城郭から自衛隊駐屯地へ

対馬 桟原城 (長崎県対馬市厳原町桟原) <市指定史跡>
(付・宗義智公銅像)
国境の島・対馬の城郭めぐり その⑤  

対馬にて是非とも見学したい城を3つ揚げるとするなら・・、
しかも効率よく一日で回れる・・、という条件なると、
金石城清水山城金田城、の3城になると思います。

あと、もし道中で少しお時間があれば桟原城の跡地に寄れるといいと思います。
国道382号から少し入ったところにあるので訪問しやすいです。
ただ、案内看板が非常に小さいので見落とさないよう・・。

sagikihara (8)
陸上自衛隊対馬駐屯地に向かう案内とセットになっています。

sagikihara (7)
100mほど登ってカーブの左側に石碑があります。

気付かずに進んでしまうと自衛隊駐屯地に向かってしまいます。
駐車場はないので石碑の向かいのちょっと広い路肩に停めました。
道路から観察することになるので見学には充分に注意が必要です。

sagikihara (9)朝鮮通信使幕府接遇の地 宗家桟原館の石碑。

桟原城の跡地は現在、陸上自衛隊対馬駐屯基地敷地内となっております。
したがって、内部の見学はできませんが、外観から石垣などが見学できます。
隊員様方の「なんか怪しいヤツ」的視線をビンビン感じながらの一撃離脱型見学でした・・。

桟原城は延宝6年(1678年)、第3代藩主、宗義真によって築かれました。
宗義真は金石城からこの桟原城へと居城を移しました。
対馬府中藩は以後代々桟原城を居城として続き明治に至ります。

sagikihara (4)
桟原城の復元高麗門が厳原幼稚園に移築されています。

sagikihara (6)
市内各所に見られる武家屋敷の石垣等、歴史を感じますね(* ´ ▽ ` *)。

sagikihara (5)
対馬藩家老の格式を伝える長屋門。

桟原城が築城された際に西の浜の船着き場から城の大手門までが整備されました。
この「馬場筋通り」の両側には宗家一門と上士屋敷が門を並べていたそうです。
長屋門のある一画は家老・氏江家の屋敷でした。

桟原城では写真が撮れませんでしたが、国道に面した東側にも立派な城壁が見られます。
金田城が古代よりの、清水山城が中世、金石城と桟原城が近世、近代の城とするならば、
桟原城址は現代、陸上自衛隊の駐屯地として対馬の平和維持活動の場となっています。


桟原城城址碑の位置です。



あと・・ちょいと寄り道してきました。

宗義智公銅像 (長崎県対馬市厳原町中村)

清水山城の西麓の公園に宗義智公の像がありますので寄ってきました。
自分は旅館から歩いていったので駐車スペースがあるかどうかは確認しておりません。
国道沿いの西、中村地区の公園内にお見えですよ。

sagikihara (3)
火切石(防火壁)に囲まれた公園が目印です。

sagikihara (1)対馬の英主、衣冠姿の宗義智公。

国境の島・対馬の領主として必然、秀吉と朝鮮との間に入りました。
外交面では難しい判断を迫られること度々、対馬の安寧の為、苦渋の決断の連続でした。
彼には終生、絶妙な外交バランスが求められました。

sagikihara (2)あらゆる手段で朝鮮国との通交に尽力した名将にして名使かと。

朝鮮出兵における文禄の役では義父・小西行長と共に先鋒となり凄まじい軍功をあげます。
そのうえで、朝鮮国との早期和平講和への締結に奔走、苦心する姿がみられます。
戦後、義智公の生涯を捧げた日朝友好への努力は朝鮮通信使再開、という形で身を結びます。

soukehon.jpg 予習した漫画本(^-^)/。

清水山城を見据える義智公像はとても威厳ある姿でした。
対馬繁栄のため、幾多の試練にも立ち向かっていった表情に満ちていました。
真正面から相対すると彼の眼光(メジカラ)にヤラレてしまいました。

次の日の対馬国境マラソンを走りました。
「こうしてここまで来ることができるのも彼の業績あってのお蔭かもしれないな・・。」
義智公の業績を噛み締めながら走り切りました。


対馬 金田城 🏯防人の城・金田城後編

対馬 金田城 (長崎県対馬市美津島町黒瀬・城山) <国指定特別史跡>
国境の島・対馬の城郭めぐり その④ 金田城復路編(後編)  

金田城は標高272.8mの城山一帯に築かれた実に広大な朝鮮式山城です。
周囲を北に浅茅湾、東に黒瀬湾、西に箕形湾に囲まれ、半島全体が山城になっています。
前回の記事、前半では主に東と南を経て、山頂までの遺構を見学してきました。

kanedanoki 0008城山頂上からの景色ともサヨナラです。やはり地球は丸いのですね・・。

金田城は城山山頂から北東側一帯に石塁を築き、城域としています。
後半は頂上から北尾根に沿って下りながら、遺構を見ていこうと思います。

kanatafuku (1)
頂上から北に下る出来立てのような遊歩道がありました。・・が・・。

ステップは途中までで終わってしまい、山道に戻ります。・・いや、それ以下です。
おそらく整備事業の今年度の打ち切りによるものでしょう。
ま、それでも迷わなければよし。構わんよ!(・・シャア?)

ここからはニュータイプとしての覚醒が始まります。
ララァ…私を導いてくれ!
そしてなんとか導かれました・・

kanedanoki (38)高さ6mあまりの一ノ木戸の石垣。

城山頂上から暗い森の中を彷徨い、急斜面を下りて出会えただけに超感動。
石垣に絡みつくツタやシダ類の植物が古代感をより引き立てています。
石垣の角部にある平べったい石材、よく加工できたものです。

いや、もう、「スゴイな~」、としか言えませんでした。

kanedanoki (37)
張り出し部のようになっていますね。

kanakakita (2)
一ノ木戸から下に下ると大吉戸神社があり、海に出られます。

kanedanoki (41)ダイナミックパノラマの二ノ城戸です。(*゚Q゚*)

谷筋を大きな両翼の如き石垣で塞いでいます。
当時の城門を付け備えた様子を想像すると、その威容、圧巻だったんでしょうね。
左右の端から端、とても視界に収まりませんでした。

kanatafuku (5)
kanatafuku (3)

kanedanoki (18)
水抜き遺構でしょうか?

いや、もう、「ほんとにスゴイわ~」、としか言えませんでした。

kanedanoki (20)続いてビングシ土塁と門址に。

写真では判りずらいですが門の址があり、門を挟みこむように土塁が延びています。
城内では最も広いスペースがあり、居住区だったとも見られています。
土塁はビングシ山まで続いています。

kanakakita (1)更に進んで谷川を塞ぐが如くの三ノ木戸。

まるで谷川を塞ぐようなダムに似た木戸址です。
そしてここで奇跡的に一瞬だけ太陽が雲から顔を出しました!
後にも先にもここ対馬で日差しを見たのはこの時だけでした。

しかし、間近でみるとこの石垣、「やっぱ、スゴイね~」としか言えません。
先程から言葉にならない感想ばかりで申し訳ないのですが・・。
空前絶後の古代国家プロジェクト遺跡を目の当たりにして圧倒されっぱなしでした。

hitomawari.jpg
東南角石垣に戻ってきました。どうやら無事一周できたようです。

一ノ木戸からの遺構群は非常に見学しやすく整備されていました。
積み巡らされた石垣群からは、外敵からの攻撃をなんとしてでも食い止める・・。
そんな国境に赴任した防人たちの強い覚悟が感じられました。

「一所懸命」に守り抜く戦いがそこにあったのでしょう。

現地では『アンゴルモア』第33話に見られる場面が甦りました。
蒙古軍の総攻撃を受ける運命の朝を迎えた金田城と城兵たち。
劇中における長嶺判官のセリフをお借りしたいと思います。

「我ら防人 この金田城に来たりて この金田城に還る」
「我が屍より内に奴らを入れるな!!」

その壮絶な最期は全てを表現しているように感じました。
『万葉集』における防人の詠み歌も妻・恋人・家族、そして望郷を思う歌が多いのです。
自分も一時的ですが、ふと、そんな気持ちにもなり、家族に、故郷に感謝したくなりました。

金田城(カナタノキ)の彼方の記、ここまでといたします。
(最後はダジャレで〆ましょう(-_-;))





あと・・ちょいと寄り道してきました。

和多都美神社 (長崎県対馬市豊玉町仁位字和宮)

kanedanoki (22)海中に立つ鳥居が神秘的な和多都美神社に寄ってきました。

海幸山幸伝承と竜宮伝説に彩られた、海の女神・豊玉姫を祭る古社です。
本殿正面の5つの鳥居のうち2つは、海中にそびえていて、神秘的な雰囲気に包まれていました。
潮の干満により、その姿もまた違って見えるそうです。

kanedanoki (23)
今年は鳥居潜りを控える年なので傍らから見学しました。

ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とは日本神話の海の神のことを指します。
とても静かな海原を前にしていると神々のささやきが聞こえてきそうでした。
・・はい?、そんな特殊能力はありませんよ(笑)(*ノ∪`*)。



烏帽子岳展望台(長崎県対馬市豊玉町仁位)

烏帽子岳(標高176m)は、対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の北岸に位置しています。
和多都美神社からも車で10分程で到着しますのでセットで行けます。(少しばかり登りますが)
山頂は360度の大パノラマを見渡せる素晴しい展望台です。

ebosi33.jpg複雑な入り江と島々がおりなすリアス式海岸が目に気持ちいいです。

天つ彼方まで続いてるような・・。



対馬 金田城 🏯古代山城と近代要塞が併存・金田城前編

対馬 金田城 (長崎県対馬市美津島町黒瀬・城山) <国指定特別史跡>
国境の島・対馬の城郭めぐり その③ 金田城往路編(前編)  

金石城と清水山城の次に訪れたのがここ金田城です。
読み方は「かねだじょう」でもいいのですが、「カナタノキ」と読むと、より古代チックです。
自分にとっては中学生の時の歴史資料集で興味を持ち、以来、憧れの城でした。

また最近では城友さんの日向さんに「面白いですよ!」と勧められた漫画・・。
そうです、『アンゴルモア 元寇合戦記』の影響を受けて、金田城への想いは募るばかり・・。
ですので長年の夢が叶った訪城になりました。

少しばかり長い記事になってしまいますので、写真だけの流し読みでも結構です。
前編と後編の二部構成にせざるを得ません・・。

anngaru (2)
著者・たかぎ七彦さん描く朽井迅三郎を主人公とする読み応えある、熱い攻防録。

折しも、アニメ化が決定して、なんともタイムリーな時期でした。
現地の対馬でもPR活動で盛り上がっておりました。
宿では対馬ケーブルテレビで予告編がバンバン流れ、お土産にはコラボ商品があったり・・。

anngaru (1)
現地ではシークレットポスターも配布されていたようです。(見たかった・・)

さて、金田城は天智6年(667年)に大和朝廷によって築かれた朝鮮式古代山城です。
斉明6年(660)、唐・新羅連合軍によって百済が滅亡しました。
大和朝廷は百済復興を支援するために大軍を派遣するも天智2年(663年)の白村江の戦いで大敗。

大和朝廷は朝鮮半島からの侵攻に備える必要に迫られました。
対馬・壱岐・筑紫地方には防人を常駐させ、各地に古代山城を築いたのです。
その中の最前線の山城が今回の金田城です。

kanedanoki (1)
県道24号線から車両通行道で登山口までいけます。

、といっても途中からオフロードとなります。(聞いてないんですけど・・)
普通車やレンタカーでは下部を擦る恐れがあるので注意が必要です。
レンタカーを利用した自分は途中の脇道スペースに停めて歩きました。

kanedanoki (3)本来ならこの石碑の所まで車で来られるようです。

kanedanoki (4)
説明版のルート案内は登り口にパンフレットが用意されています。

パンフレットは必ず手に取って欲しいものです。
広大な城域ですし、他に訪れる登山者も少ないです(大変失礼ですが・・)。
途中で迷わないためにも、また遺構の所在地を見落とさないためにもです。

kanedanoki (6)
雨上がりだからでしょうか、このような滝も随所でみられました。

kanedanoki (24)
右手には波穏やかな黒瀬湾が眼下に広がります。

kanedanoki (7)東南角石塁に到着。(これ!、これ!、写真でみたヤツや~ん)

長~く連なるこの石塁は城域の中でも要にあたる部分。
敵の攻撃に備え、張り出し部分も構築されていたようです。
足場が良くないですが、ちょっと降りて見学してみます。

kanedanoki (25)高さ4m程の石塁は壁のように山全体を囲っています。

kanedanoki (9)
kanedanoki (10)
古代からの石垣ですから崩落した箇所もありますが、それも城感ですね。

kanedanoki (27)積み上げ断面図がわかりやすいショットを1枚!(口(^▽^)o)。

ここから北に向かえば城戸群遺構を見学できるコースになります。
山頂に向かうが先か迷うことろです。
自分は体力・気力があるうちに山頂へ向かうことにしました。

kanedanoki (28)少し山頂側に向かうと南門の跡があります。

門柱を支えたとみられる4対の礎石が良好にのこっており、
中には水抜き溝が掘られている礎石もあります。
今後の更なる調査が楽しみなポイントです。

kanedanoki (12)山頂部に近い南西部の石塁です。(これもよく写真で見かけますね)

先程の南門へと続いており、目視の限りでは延々と続いているようですね。
それにしても、古代の人々がこれほどの規模の石塁をどうやって積上げたのか・・。
・・自分が眺めている光景の向こうに当時の方々に課せられた苦労が偲ばれてなりません。

kanedanoki (13)
山頂部手前の旧陸軍砲台跡地に到着です。

kanedanoki (31)大きな円が砲台の跡。結構・・生々しいです。

kanedanoki (33)
kanedanoki (35)
kanedanoki (36)
弾薬庫や地下壕への施設もほぼ当時のまま残っていますね。

リアル・ラピュタの世界に脚を踏み入れたような感じです。

kanedanoki (34)古来より近代まで国防最前線として重要視されてきたのですね。

実は城山はここが頂上ではありません。
ここからまた5分ほど登った先に山頂があります。
以外と急な山道になるので今ひとたび気合が要ります。

kanedanoki (16)気合で城山山頂部に到着です。(v`∧´)

細い山道を尾根伝いに登って行きます。
ここまで誰かと一人ぐらいすれ違ってもよさそうなものですが、獣一匹にも遭わず・・。
明日のマラソン大会ではたくさんのランナーさんと走ることになるのにこのギャップ!

kanedanoki (15)
山頂部には「東武天皇」即位説のある北白川能久親王ゆかりの石碑もありました。

東武天皇・・明治天皇即位に際、奥羽列藩同盟が押し立てたもう一人の天皇・・。
以外と知られていない皆様、口を閉ざす歴史です。
本稿とは関係が薄いので敢えて触れません。危うきには近寄りません・・。
(だったらわざわざ取り上げんでも・・)

kanedanoki (32)山頂部からは素晴らしい絶景が広がります。

そこには神話にある国産みの頃まで遡れそうな世界が広がっていました。
この浅茅湾に点在する大小の島々と広大な海原、足下の密林とそれを包み込む空・・。
山頂までの道のりはちょっと大変ですが、これが待っているのですから・・。

・・すみません、ここらで休憩をいただき、次回の後半へ続きます。



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

対馬にプチ出国してきました。
7月7・8日と対馬国境マラソンに出場しました。
かつてないほどの災害になろうことを予測しなかったわけではありません。
災害に遭われた方々や関係者様方の気持ちを想えば不愉快な内容になってしまうことばかりかもしれません。
未だ復旧の道筋が見えない中でも、どうか希望を捨てず一日を積み重ねて行っていただきたい、と思い久太郎も復旧ボランティアに参加する意を決心いたしました。
何ができるかわかりませんが、少しでもお力になりたい、と思います。
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