紀伊 和歌山城 🏯紀州徳川氏により「南海の鎮(しずめ)」へ発展

紀伊 和歌山城 (和歌山県和歌山市一番丁・和歌山城公園) 
《国指定史跡》 【日本100名城】

wakayama (3)登城前夜、ライトアップされた天守閣を見上げて。(美しかった・・)

「和歌山県の城ってどこ知ってる?」

自分の身の周りの人々に聞いてみたことがあります。
某SLGの野望シリーズで遊んでいる長男、町内会の旅行好きなおっちゃん、
中にはある程度の城の知識のある方もみえましたが・・。・・さて、いかがでしょうか。

和歌山城でしょ・・、それから・・、・・う~ん・・、うん?」(既に手詰まり・・)

意地悪質問でもないですし、返答に期待したわけでもありません。
和歌山県在住の皆様には本当に申し訳なきことですが、他県ではこれが実情です。
後にも先にも和歌山城こそが無二の代表城、といってしまっていいのでしょう。
(新宮城とかが出てこれば大したもの)

今回はそんな(どんな?)和歌山城を手短ではございますが歩いてきました。

wakayama (2)まず押さえておきたいのは石碑です。(意外と地味な場所にあり)

wakayama (14)
横目地(石の横方向への継ぎ目)がきれいに通った石垣もあれば・・。

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緑泥片岩を使用した割石による野面積もあり・・。

wakayama (13)
いろいろミックスされた石垣群などの折り重なりが面白いです。

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本丸の下段の石垣は巨大な根石が算木積されて堂々とした迫力があります。

wakayama (8)見上げた二の門櫓。野面積の脚線美に足が止まりました。

wakayama (7)
天守曲輪に到着。100名城スタンプは右下の受付場でいただきです。

wakayama (6)
天守二の門から入城で~す。

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北西角部の乾櫓。直下には西の丸と砂の丸が見おろせます。

wakayama (10)
小天守と乾櫓を多聞櫓で結びます。

wakayama (11)
小天守からの頭上攻撃も想定されますが、ちょっとお洒落なデザインです。

wakayama (12)妻壁には銅板張が※青海波模様となってやっぱりお洒落ッス。

※青海波(せいがいは)模様とは・・
青海波は、広い海がもたらす恩恵を感じさせる柄です。
無限に広がる波の文様に未来永劫の人々の平安な暮らしへの願いが込められた縁起の良い柄です。

wakayama (5)本丸から見た和歌山城天守。

天守は三重三層。
一重目屋根に比翼入母屋破風、二重目屋根に唐破風、
最上階に廻縁と高欄を設けて、とてもバランスのよい雅な外観ですね。

ちなみに現在の天守は復興天守です。
昭和10年(1935)国宝に指定されましたが、後、空襲により灰塵に。
それ以前にも落雷による焼失もありました。

wakayama (1)西の丸から見上げた天守はまさに闇に浮かび上がった城、といった感じでした。
(夜の写真はムズカシイ・・)

小牧市にて10kmレースに出場しました。

第28回 小牧シティマラソン大会に出場

メイン会場:パークアリーナ小牧及び周辺道路
平成30年1月28日(日) 10kmコース AM9:30スタート

IMG_4651.jpg

やってきました、小牧市です。
今年最初のレースの10kmレース・・。
・・なんですが、とにかく寒い!・・のです・・。

寒い中をジャージを着てトレーニングするのはいつものこと、割と平気です。
それがレース用の薄着で走る、となるとてんでダメなんです。
「寒いのと暑いの、どっちが好き?」と言われると暑い方が全然ウェルカムな久太郎でございます。

IMG_4662.jpg
ご覧の通り。お恥ずかしい。(写真提供:Y吉さん)

IMG_4656.jpg
見上げれば小牧山城が。(やる気アップ)

今回はラン友・Y吉さんからお誘いを頂いてのエントリーです。
山国育ちにとって平野部でのフラットコースは走りやすそう、ということで参戦。
寒さを吹き飛ばすためにも入念なアップをしてレースに臨みました。

IMG_4654.jpg
今にも雪が降ってきそうな空模様です。(・・やっぱ寒い)

それでは、スタートです。(・・しかし寒い)

<序盤>スタート~3km

最初は細い道から団子状態でのスタートになります。
これはY吉さんからあらかじめ教えてもらっていたことですので織り込み済みです。
コースの端の見通しの良いコースでペースを作っていきます。

参加人数も多いのですが、皆さん走力がある方ばかり。
しばらく走っても混みこみの団子状態が続きました。
自分より少しペースが速いな、というランナーさんに付いていきます。

<中盤>3km~6km

この辺りまでくると見覚えある景色が・・。
以前小牧・長久手合戦の陣城めぐりをしたエリアです。
小松寺山砦、久保山砦、岩崎山砦・・、思わずよそ見しながらのラン。

そんな余裕があったのかもしれませんが、km/4分20秒以内で走れています。
とにかくペースを落とさないよう、同レベルの方々に付いていきます。
寒さのせいか、あまり汗がでません、給水はパスしました。

<終盤>6km~9km

さすがにフラットなコースです。アップダウンがないのでちょっと拍子抜けなくらいです。
逆に言えばどこでパワーを使い、どこで抑えるか・・。
そんなラン・モードの選択ができずに困惑。流されるように距離を踏んでいきます。

そのため終始クルージングペースになってしまいました。
後で後悔した点が一つあるとしたら、同じペースで9km地点まで来てしまったこと。
時計は見ていましたが、後半のペースアップができなかったことです。

<ラスト・スパート>ラスト1km

そうです、気が付いたらもうすでにゴールのパークアリーナが目の前!
完全にペースアップを緩めてしまっていました。
加速装置に点火できたのはゴールの200m前、遅すぎました。

それでも最後の1kmはkm/3分58秒、
ゴールしたものの余力が残っているせいでしょうか、息があがっていませんでした。
ラストスパート、ちょっとかけるの遅かったようです。

結果は42分09秒(ネットタイム)でした。

タイム的にはほぼ想定した通りの結果でゴールできました。
ただ課題は後半のペースアップですね。ちょっとサボってしまいました。
・・というか練習量も若干少なかったので仕方ありません。

あと、何を言っても言い訳になりますが、やはり寒かったデス(T_T)。

2週間後には淡路島にて洲本ハーフマラソンに挑戦します。
今回の小牧ではいい刺激と課題をいただきました。
Y吉さんと今年のマラソン展開を計画しながら帰路につきました。

Y吉さんの年間計画にも等しい内容には感服するやら呆れるやら。
走るのが好きなんですね~。
自分も頑張って愉しむぞ!、・・そんな気持ちにさせてくれました。

紀伊 弥勒寺山城 🏯秋葉山合戦の舞台となった雑賀党の城

紀伊 弥勒寺山城 (和歌山県和歌山市秋葉町・弥勒寺山)

雑賀城の北へ1kmほどの秋葉山山頂一体に弥勒寺山城がありました。
織田信長が石山本願寺を攻めた際に、雑賀孫一は応援を求めてきた顕如上人に応じます。
孫一らは顕如上人を弥勒寺山城に籠らせ、当地を本陣としました。

mirokuji (13)和歌山城から見据える秋葉山・弥勒寺山城址

mirokuji (2)
国道42号線から秋葉山中腹にある県営プール脇から登れます。

車でしたらここの駐車場をお借りできるのですが・・。
早朝ですと開園していませんので麓のどこかで探さないといけません。
結構な急坂になりますので、体力を試すには丁度いいようです。

mirokuji (1)登り口には弥勒寺山と顕如上人旧蹟の石碑があります。

mirokuji (12)
こんな滑り台もあったりします。景色が良かったので一枚。

mirokuji (9)頂上の弥勒寺山案内板とその背後は高台となっています。

mirokuji (6)
ピークにある顕如上人桌錫所(たくしゃくしょ)の碑。

mirokuji (3)

mirokuji (5)

mirokuji (4)

雑賀川の川底におけツボを沈め、川原には柵や逆茂木を並べて備えていた雑賀衆でした。
そこへ信長方による総攻撃があるも、川底に足を取られて前身できない状況に。
進退窮まり、標的となったところに雑賀スナイパーたちの鉄砲が一斉に火を噴きます。

大混乱に陥った信長軍は退却せざるを得ませんでした。

mirokuji (11)
頂上一帯はほぼ公園となっていて、めぼしい遺構は見当たりません。

現在は公園として遊具や展望台が設置され城址の面影はほぼ感じられません。
周囲の景色を一望できるような展望台があります。
眺望から当時を様相を想像して見る他ありませんね・・。

mirokuji (7)
展望台に登ってみました。

mirokuji (8)おっと・・、和歌山城が見えますね。

mirokuji (10)反対方向には妙見山・雑賀城もすぐそこです。

その他、ここからは峰続きの諸砦や周囲の多くの城砦も見渡せます。
雑賀衆の城は遺構こそあまり残っていませんが、点在する拠点がまとまって
一つの大城郭をなしていたのではないでしょうか?

雑賀城と弥勒寺山城を中心として各砦が連携して織田軍を翻弄する。
そんな神出鬼没な作戦を実行するための城砦群であったのでは・・。
当時に想いを寄せてみて、そう解釈して下山しました。



紀伊 雑賀城 🏯鈴木佐太夫・雑賀孫一(鈴木重秀)ゆかりの山塞

紀伊 雑賀城 (和歌山県和歌山市和歌浦中2丁目・城跡山公園)

熊野八咫烏の陣羽織、肩に立てかけた愛用銃「愛山護法」、
ゲリラ戦で信長を狙いすまし、窮地に追い込んだ、雑賀鉄砲集団の首領・・。
そんなイメージが自分の中の雑賀孫一こと鈴木重秀の姿です。

雑賀城はそんな孫一と父・佐太夫の拠った史跡の一つに挙げられた拠点です。
ところが、孫一が拠点とした城、というのは実は特定ができません。
ゲリラ戦法を得意としていた彼らに防御施設の城など無用だったのかもしれません。

saigajyo (10)「妙見山城」とも呼ばれ、雑賀城といわれる丘。

雑賀城(妙見山城)は養珠寺の背後にある丘に築かれています。
寺は徳川頼宣の母養珠院の位牌を安置するために建立されました。
城の丘はさほど高くなく、周囲の山々より低いくらいです。

saigajyo (9)南の麓、セブンイレブンさんから見ると城址らしい姿です。

saigajyo (6)麓の津屋公園内にある雑賀城に関する案内板。

丘の南端部にある妙見堂から北の千畳敷と呼ばれる城跡山公園一帯が城域です。
5分もあれば頂上に到着できます。
駐車場は養珠寺さんにお借りしました。

saigajyo (7)・・こ、これだけ?(´・_・`)

末尾にちらっと記される雑賀城の説明。
これだけでは説明になっていませんが、雑賀城を「ここだ」と特定している自信が良い。
先ずは登ってみます。

saigajyo (5)
頂上手前の様子。鳥居が朝日を浴びています。

この鳥居の向いている方向を地図上から線を引くと・・、
なんと熊野本宮社に行きつくとか・・。(確かにそのようです)
雑賀衆の掲げる八咫烏の旗指物も、ここに関係しているんですね。

saigajyo (3)
頂上には妙見大菩薩のお堂があります。

saigajyo (2)

saigajyo (4)
それほど広いとは言えない頂上部です。

城の遺構らしきものは、正直あまり見当たりません。
妙見山の頂上周囲の斜面が切り削られているぐらいです。
あとは千畳敷の角に物見岩があったかどうか、ぐらいのものです。

saigajyo (1)千畳敷からみる今一つの拠点、秋葉山の弥勒寺山城。

雑賀城は明確な遺構が残っておらず、古城跡の面影はほとんど見られません。
ここでは雑賀孫一らが織田軍の足跡を感じ取り、その虚を突く奇襲作戦を練った場所、
・・そう考える方が自然で、なんだかそれだけで楽しくなってきます。

saigajyo (8)
雑賀城下を流れる和歌浦川も外郭防衛として利用されたようです。

・・さて、帰りに養珠寺の方から大変興味深いお話を伺うことができました。

雑賀鉄砲衆の狙撃型連射方式「雑賀撃ち」についてです。
考案したのは雑賀孫一らしいのですが、一体どんな射法なのでしょう?
織田信長による長篠・設楽原の合戦における「三段撃ち」は有名ですよね。

「雑賀撃ち」なるものはこうです・・。

一人の鉄砲の達人に後ろから発射用意できた銃を次々と渡して撃っていく手法です。
複数の一流スナイパーたちが狙った敵を確実に討ち抜いていく・・、脅威的です。
紀州において織田軍の有能な将士が次々と命を落とした一因はここにあるのかもしませんね。
原田(塙)直政は落命、信長自身も深手を負います)

saigajyo1.jpg 熊野本宮社の八咫烏石紋。

※「雑賀撃ち」とは私的に使用した表現であって一般的な呼び名ではありません。



 

紀伊 湯浅城 🏯本当の湯浅城はこっちです

紀伊 湯浅城 (和歌山県有田郡湯浅町青木・青木山)

「湯浅城はどこですか?」と尋ねると、
「どちらの湯浅城ですか?」と逆に尋ねられる、
そんなやりとりがここ和歌山県湯浅町でのあるある話になっています。

そもそも、本来の湯浅城の隣の丘陵に立派な天守風国民宿舎湯浅城があることが原因です。
実際、こちらを本当の湯浅城として認識していかれる観光客も多いと聞きます。
歴史背景を理解して訪れれば違和感ありまくりでわかるはずなんですが・・。

yuasa (1)国民宿舎「湯浅城」の外観。確かに城郭建築であります。

この写真を記事のトップに掲載する自分も自分ですが・・。(他意はありません)
改めてお断りしておきますと・・、
中世の湯浅氏累代の居城「湯浅城」と国民宿舎の「湯浅城」は全く別物。
(但し模擬天守の4Fが資料館となっていて、湯浅城の資料や模型が展示されています)

yuasa (2)  yuasa (3)
左へ行くと国民宿舎湯浅城ですので、右へ行くと中世湯浅城です。(正直どっちかわからん訳です)

yuasa (6)史跡としての湯浅城は天守風建物がある南の丘陵に築かれています。

yuasa (4)
こちらの登山道より見学できます。

湯浅城見学は管理人の方への連絡が必要です。
入口は鍵がかかっていますが、電話して開けてもらえます。(10分ほで来ていただきました)
入口に連絡先電話番号があります。(勝手に入山するのは慎みたいものです)

yuasa (7)

yuasa (5)
湯浅城の想像鳥瞰図が示されています。

山頂の主郭から各尾根に広がる曲輪があり、堀切や土橋、土塁などが残っています。
それほどな縄張りではありませんが、山全体が城砦化されている様子がわかります。
大きな窪地を池跡としています。

yuasa (9)
城内には模擬冠木門や逆茂木などがこしらえてあります。

管理人さんをはじめ地元の方々が時代考証しながら整備してみえるそうです。
なかなか立派な出来具合いで、雰囲気が出ていますね。
(個人財産的なところがございますので写真は最低限にしておきますね)

yuasa (10)腰曲輪に立つ石碑。

yuasa (11)
背後の高台が本丸になります。

yuasa (12)
本丸一帯は「パワースポット、青木山」だそうです。

湯浅城がどちらを指すのか?
それは目的をもって訪れた人が判断することになります。
自ずと城址整備をされてみえる方々の手による湯浅城に辿り着くハズです。



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、間もなく開設以来、2年を迎えようとしております。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

紀伊への城歩き
お正月のお休みをいただきましたので2日間和歌山県のほうへ城めぐりに行ってまいりました。
ある程度の予習をしての紀伊国入りでして、いろいろな城址を見学してまいりました。
今回で3回目の紀州訪問ですが、西紀州は初めての事です。
紀伊の山城って残念ながらあまり知名度ないんですよね・・。
理由は(想像ですが)恐らく他の国のように強力な有力大名が現れなかったのが一因しているでしょう。
しかし、訪れた城跡の中には「これほどの山城がなぜ名も知れず隠れているのか」という感動もありました。
・・ごくごく簡単ではございますが、記憶が新しいうちに随時更新していきたい、と思っております。
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