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志摩 鳥羽城 🏯美しい鳥羽湾と嘉隆まつり

志摩 鳥羽城 (三重県鳥羽市鳥羽3丁目・城山公園) <県指定史跡>

伊勢・田丸城を見学した後、向かったのが鳥羽城です。
水族館や遊園地、ドライブにと何度か訪れている観光名所溢れる志摩です。
何度も眼と鼻の先まで訪れながら指を加えて訪城できずにきたのも今回まで。

でも現地に着いたらなんだか騒々しいぞ・・。
なんでこんなに人がいるんだろう?、弟クンといぶしかしげな表情に・・。
「鳥羽城ってこんなに人が来る城だったっけ?(鳥羽城に失礼ですが・・)」

yositaka.jpg

その人だかりの訳は程なくして判明しました。
この日4月6日は「鳥羽春祭り」と「(九鬼)嘉隆さくら祭り」が開催されていたんです。
何も知らずに来たのでびっくり!、これも何かのご縁でしょうね。

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「左三つ巴紋」が目を引く三の丸広場はとても賑わっていました。

tobaj (9)今まさに最高の見頃を迎えた桜を見ながらの登城でした。

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本丸西側の石垣群ですけど、どうも積直しっぽい・・。

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いかにも海城らしいです、松の木が生える本丸に到着。

tobaj (3)本丸周辺の石垣は当時からの遺構が現存しています。

算木積で組まれた野面積みで、九鬼嘉隆時代の遺構だとか。
カンラン岩や千枚岩など様々な石材が使われていて面白いです。
大方は現地周辺の海岸部で採取された地産の石で組まれました。

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旧鳥羽小学校のグランド一帯が本丸でした。

近年、天守の具体的な寸法が書かれた古文書の保管が発見されました。
その古文書によると、三重の天守の寸法が記載されていました。
天守台には納戸も設けられていたとか。

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本丸からの海の眺めが素晴らしかったです。

以前よりだいぶ木々を伐採したように感じます。
麓から見てもんなに見通しが効く眺望があったようには思えませんでした。
すぐ真下によく来た鳥羽水族館が見えます。
(あの時は城が気になりつつも家族サービス最優先でしたね(*´~`*)・・)

tobaj (8)嘉隆が眠る答志島を見て想いを寄せてみます。

九鬼嘉隆は天文11年(1542)志摩国に生まれ、織田信長の長島一揆で頭角をあらわしました。
天正6年(1578)、鉄板で装甲した大船6艘を伊勢大湊で建造をした嘉隆は石山本願寺攻めに参戦。
信長の要望に応えて造られた燃えない鉄甲船の威力は凄まじかったようです。
(第二次木津川口の戦い)

結果、嘉隆らは雑賀・毛利水軍約600隻を打ち破る完全勝利をあげます。
この海戦で本願寺の孤立化と織田軍の優位は決定的になりました。
抜群の戦功にて、信長より伊勢志摩両国の内3万5千石を加増されます。

江戸時代の軍記物などでは「海賊大名」の異称をとりますね。

嘉隆は、関ヶ原の戦いで西軍に味方したため、答志島で自刃しました。
その後、息子の守隆によって答志島にて首は首塚に、胴部は胴塚に葬られています。
首は「鳥羽城の見えるところに埋めてくれ」との遺言通り、 鳥羽城を一望できる築上山に埋葬されました。

守隆による父の助命嘆願が了承されたのですが、間に合いませんでした・・。

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ふと、城下を見るとイベントで盛り上がっている祭りの声が聞こえてきます。

tobaj (10)七段の棚石垣は近年の模擬石垣ですが、とても壮観です。

この独特の石垣、当時の絵図にも記されておらず、近年の模擬石垣なんですって。
棚田のようにも見えますが、城跡公園らしく見せるために作ったビジュアル系石垣です。
落とし積みのようにも見えますが、これはこれで見応えあり、ですかね。

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広角レンズで覗くと、グッととワイドにドーピングできます。

tobaj (13) tobaj (14)
ちょうど花見振舞い、ということでおもてなしにありつきました。

「水軍汁」というものですが、伊勢エビの殻でダシとりした味噌汁です。
大根と油揚げ、ラッキーだったら伊勢エビの身も少し入ってました。
弟クンと美味しく味わって、しばしの休憩でした。

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後世の遺構が大半を占めますが、雰囲気は充分に残っている鳥羽城でした。


伊勢 田丸城 🏯桜と石垣と精霊木に囲まれて

伊勢 田丸城 (三重県度会郡玉城町田丸) <県指定史跡>

春うらら、桜満開の城の日(4月6日)に志摩方面へと城めぐりしてきました。
共にお付き合いしてくれるのは弟クン。兄弟同じ趣味っていいもんです。
志摩へ入る手前、今回の田丸城は、弟クン大のお気に入りの城でもあります。

なんでにでも「平成最後の○○」と言ってしまいがちな「元号末」。
今回が「平成最後の桜・城めぐり」となります。・・って言うと、なんか寂しい・・。
でも、弟クンと平成の思い出を語りながらの城ドライブはワクワク気分でいっぱいです。

tamaruj (20)満開の桜が迎えてくれた田丸城の大手門付近。

tamaruj (21)二之門手前に立つ城址石碑を先ずは押さえておきます。
(石碑は本丸や主郭部周辺をいくら探してもありませんので、ここで要チェック!)

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北の丸駐車場から回遊していきます。

いきなり現れる石垣群に心躍りまくりで、年甲斐もなく感嘆してしまう・・。
そもそも石垣ファンというのはこのあたりのツボがみな一緒のようです。
弟クンも、のっけからの迫力に足が止まります。
(弟クンと2回目の訪城なんですが何度来てもいいものです)

tamaruj (18)ご説明は現地の案内板が簡潔かつ詳しいので転載させていただきました。

伊勢北畠氏を継いだ織田(北畠)信雄によって田丸城は大改修されました。
ここのところ、ドラマや漫画、映画で出番の多い三介殿(さんすけどの)です。
信長の次男にして、よく暗愚だの凡庸だのと評価される信雄ですね。

tamaruj (8)この石垣の重なり具合、なんとも絶妙でして。

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ここの石垣と大樹には精霊が宿っているような気がしてなりません。

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本丸と北の丸との繋ぎ目の、くびれた凹部が面白い箇所です。

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こちらは本丸と二の丸との間の空堀。

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橋も石垣で固められています。

tamaruj (1)入口がハノ字に開口する天守台。

ユニークな入り口ですが、後世に改変を受けているようです。
しかし、入口手前に突き出た桝形の遺構、これはかつての形状を留めています。
小さいながらも三層の天守閣があったそうで、想像すると楽しいですね。

tuitamaruj (2) tuitamaruj (1)

tuitamaruj (3)

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穴蔵式の天守台からして犬山城天守とにていたのでしょうか。

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内部に備え付けられた小階段も、何にどう使われたのか興味深々です。

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程よい高さの石垣が桜とともに整然と続く・・、美しい・・。

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里の眺めものんびり。

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数ヶ所の崩落もみられます。石垣の断面が見られのですが・・せつない。

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小さめの石で積み上げた石垣と土部との絡み合いが趣あります。

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庭石にでも使えそうな結構いい石使ってます!

tamaruj (19)北の丸の下には富士見門が移築されています。

払い下げられた田丸城の城門や蔵などは、あちこちで見られるようです。
また機会があったらそれらの移築建造物も是非見てみたいと思いました。
より一層田丸城の雰囲気が味わえると思います。

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穏やかな水面の外堀にも当時の雰囲気が残ります。

この城は以前、父と母、自分の家族と弟クンファミリー11人で訪れた思い出の場所です。
ふと振り返ると、そこかしこで大はしゃぎしていた子供たちが思い出されます。
いや、子供達以上にはしゃいでいたのは我々のほうであったかも(笑)。

最後に弟クンと感動した箇所を紹介したいと思います。

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石垣の隅部で城を守っているようなヘラクレスオオカブトムシ。

素朴な算木積みの見事さもさることながら、桜に負けじと色ずく葉。
ここでもやはり精霊が宿っているような生命力溢れた気配を感じました。
感じ入る二人、しばらく立ち尽くして仰ぎ見る時がありました。


駿河 江尻城(小芝城) 🏯当時は一大拠点の城郭だったようで

駿河 江尻城(小芝城) (静岡県静岡市清水区江尻町・江尻小学校一帯)
【静岡マラソン2019と迎えてくれた駿河の城・覚書 番外編】

静岡マラソンにて見学してきた駿河の諸城の覚書・今回は番外編です。
前回の泉頭城でこのシリーズもようやく終えることができる、と思いましたが・・。
・・何か忘れた気がしてなりませんでした。そして思い出しました!

駿府城をスタートした今回のマラソン大会、ゴールは清水駅というコースでした。
そのフルマラソンを走り終えた後、フラフラになりながら、どこをどう歩いたのか・・。
足を引きずりながら、気力と執念で辿り着いた地、それが今回の江尻城だったのです。

ejirij (1)清水江尻小学校に立つ江尻城の説明版。

江尻城は永禄13年(1570)、甲斐国の武田氏により築城されました。
縄張りには馬場信春が関与と言われ、城代にも山県昌景を起用するなどの力の入れようです。
後に一族の重鎮・穴山梅雪を城代に充てる等、この城の重要度が窺えます。
(まさにタケダ・オールスターズ動員)

城は巴川を背後に控えた微高地上に本丸を中心とし、三方を巴川引きの水堀で囲う平城でした。
図によれば、甲州流築城術でもある丸馬出しが3箇所に設けられているようです。
武田水軍や水運とも密接に関係し、近世城郭にも匹敵する大規模な構えでした。
(馬場信春らしい諏訪原城の平城版 、といった感じを受けました)

ejirij (3)
清水江尻小学校の東校門は「本丸門」となっています、・・ええやないですか。

山県昌景の死後、江尻城には穴山信君が入城します。
信君は江尻城の改修を行いますが、織田・徳川氏の侵攻の際には内通し城を開城、降伏します。
徳川氏の勢力下になった後は嫡男・穴山勝千代信治が城代となるも、勝千代は若くして病没します。

ejirij (2)駐車場の片隅、小公園の中には「小芝城」の名で石碑が立っています。

この石碑、日曜日だったのが幸いして、運動クラブの父兄さんに教えていただきました。
石碑フェチな自分としてはマラソンの疲れもぶっ飛ぶほど嬉しかった・・、
・・という程ではありませんでしたが、発見できて良かったです\(^o^)/。

ejirij (5)
魚町稲荷神社には少しばかり、城の名残りが感じられました。

梅雪曰く、「一村一郷に鎮守あり、一家に氏神あり、(どうして)一城に鎮護の神のなかろうか」
そうして造営された社殿が稲荷神社の由来だそうです。
城代として新たに赴任した穴山梅雪信君の構想意欲が感じられます。

梅雪の構想とは裏腹に徐々に傾きかけていく武田氏の領国経営。
勢いを増す織田・徳川の勢力、やがて敵対勢力として相対する小田原北条氏・・。
武田一族である彼が選んだ道は考え抜いた上での苦渋の選択であったことでしょう。


Ⓢは江尻小学校の「本丸門」。
Ⓖには「小芝城」城址碑があり、駐車場入り口脇には江尻城説明版があります。
小学校への無断立ち入りは厳禁、撮影希望等、許可をいただきましょう。

駿河 泉頭城 🏯柿田川湧水群に癒される城郭

駿河 泉頭城 (静岡県駿東郡清水町伏見泉頭・柿田川公園)
【静岡マラソン2019と迎えてくれた駿河の城・覚書その⑧】

静岡マラソンにて見学することができた駿河の諸城の覚書・8回目です。
今回は城めぐり、というよりは名水めぐり、といった表現のほうがお似合いです。
静岡県清水町にある自然公園、柿田川湧水公園を散策してみました。

公園内には透明度の高い神秘的な水が湧き溢れて、とても美しいです。
また、富士山周辺に降った雨雪が、溶岩の中を通り、地上に湧き出る地下水が柿田川の源です。
今回の城めぐり、シメの泉頭城はそんな癒しスポットの中にあります。

izumikasiraj (3)湧水第1展望台から見る柿田川の川底。

川底から湧き出る水に、砂が水中でさらさらと絶えず動いています。
まるで生き物のよう見える様子は見ていて飽きることはありません。(上記写真中央部)
城跡に来た、という実感は全くない異世界に足を踏み込んだ感じがしました。

izumikasiraj (4)
自然が織りなす、力みなぎるパワースポットです。

izumikasiraj2 (1)宮崎アニメを思い浮かべますね。

izumikasiraj (5)
湧水第2展望台からの蒼い湧き水。

izumikasiraj2 (2)

・・それはそうと、城は?どうなったのでしょう・・。
綺麗な水面を見ていると、心も綺麗になっていく・・、
あたかもそんな気持ちに包まれてしまい・・。

城跡散策はすっかり後回しになってしまいました。(てへぺろ)

izumikasiraj (2)柿田川湧水公園内での唯一の城しるべとなる案内板。

ここに城があったなんて、誰も見向きもしていないのでは・・、
・・と思いきや、説明版を熟読している同じ年頃のオッサンを発見。
二人でカメラアングルにこだわり、場所交替しながら連写している姿はいと怪し・・。

泉頭城は、北条氏康が武田勢に備えるために築城されたといわれています。
後、大坂の陣を経て、江戸での政権を磐石にした徳川家康は、この地を隠居所と決定しました。
この城の要害性と交通要衝としての利点を重視したのもあります。

しかし、なんといってもこの美しい水と自然に囲まれた生活環境をとても気に入ったようです。
家康は縄張り検分のためにこの地を訪問する予定でしたが翌年、急遽中止となります。
結局、隠居城は駿府城(静岡市)へと変更されました。

izumikasiraj (1)柿田川公園内にはにいくつか遺構が残されています。

柿田川名所湧水の道と駐車場は、泉頭城の本曲輪(本丸)に位置しています。
しかし、縄張り図と照らし合わして見学しても城郭としての部分はさほど感じられませんでした。
公園内ですので他の観光客の方々の手前、あまり変な所へは踏み込めませんでしたし・・。

やはり公園化によって城郭としての部分はかなり影を潜めてしまっているようでした。
今回は公園散策を愉しみ、明日のマラソン大会に向けて心の浄化をはかりましょう!
・・ということで城見学は控えめでスミマセン。

izumikasiraj2 (3)

それにしても家康公も人の子ですね。
残された余生をこの神聖な土地に求め、憧れたのでしょうね。
しかし、周囲は、天下は、それを許さなかったのかもしれません。


Ⓖは柿田川湧水公園の駐車場です。
国道からの入口は見落としがちですので手前の信号を過ぎたら徐行してサクッと左折、入場したいものです。
ここから歩いてゆっくり散策することになります。季節によっていろいろな自然との出会いがあることでしょう。
因みに若干の駐車場料金が発生します。

駿河 戸倉城 🏯狩野川に囲まれた境目の城

駿河 戸倉城 (静岡県駿東郡清水町徳倉和田・本城山公園)
【静岡マラソン2019と迎えてくれた駿河の城・覚書その⑦】

静岡マラソンにて見学することができた駿河の諸城の覚書・7回目です。
いくら好きな事とはいえ、7つ目の城ともなるとさすがに疲れがでてきますね・・。
どこをどうドライブしてきたのか、意識朦朧ながら到着したのが今回の戸倉城です。

tokuraj (1)西方面から見た戸倉城・本城山

・・とはいうものの、現地に到着するとワクワク気分が湧き上がってきます!
これは城めぐりでしか味わえない独特の非日常テンションですね。
「疲れた」などと言ってられません。自分にベホイミの呪文をかけて、いざ散策。

tokuraj (2)現地駐車場にある案内板より

天文年間(1532~54)以降、伊豆国と駿河国の境目の城として重要視されたようです。
狩野川をはさんで沼津・三枚橋城とは相対しており、両城間での抗争の地となりました。
永禄12年(1569)、今川氏滅亡後は北条氏尭が入城しました。

tokuraj (4)
主郭部には昭和の匂いがプンプンする展望台が。

現在城跡周辺は本城山公園となり麓から遊歩道が整備されています。
山城ですが、さほどの坂でもないので程なく頂上まで行けました。
登山道はいくつかあるようなのですが、今回は西口から登ってみました。

tokuraj (5)
内部は螺旋階段になっており、やはり懐かしい雰囲気です。

tokuraj (6)
展望台からはぐるっと周囲の景色が楽しめます。

tokuraj (7)お天気ならこの位置に富士山が拝めるようですが・・、今日は残念です!

tokuraj (8)
本丸周囲は絶壁になった所もある天然の要害です。

尾根伝いを散策して堀切等の遺構を確認したかったのですが・・。
周囲は雑草が茂って突入に躊躇してしまいました。危険回避モードです。
ま、マラソン前に無理はいかんですね。(無茶はしてますけどね)

tokuraj (3)説明版での遺構確認と城郭史をお勉強です。

豊臣秀吉の小田原征伐の際は、北条氏は戸倉城を放棄し韮山城へと退きました。
確かに大軍を前に機能できる城郭には感じられません。
そもそも元々は狩野川の河川交通を見張る機能を担っていたものと思われます。

境目の城の運命、緊張は突然訪れるもの、なのでしょう。


Ⓢは本城山公園の西口の駐車場です。東口、南口にも登山道があります。
Ⓖは戸倉城の本丸です。どこから登っても10分とかからずに到着できそうです。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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